第11話 mouning work【1】

「俺とお前の関係って何なんだろうなー」


 葵の家のリビングにて。ソファに我が物顔で寝転がりながらのんびり新聞を読むエシュが、ふと思いついたようにボソリと呟いた。この彼の発言は非常に唐突で脈絡もなく飛び出したものだ。

 そしてその発言を向けられた相手である葵も、思わず鳩が豆鉄砲をくらったような表情をしてエシュの次の発言を待つしか出来なかった。



 エシュの好奇心と実益を兼ねたオペレーション・トモダチもとい日向家強行突入事件から、はや2ヶ月が過ぎていた。

 その間に葵の家は確実に変化をしていた。


 特に己に危害を加えるわけでない相手ならば放置する。


 それが日向 葵という男が生きていた中で培ってきた、彼なりのスタンスであった。今までそれで特に問題も起こらず、いや、冷静な「観察」と変化への「即応」が可能な理想形だとすら思っていた。

 だからこそ、目の前にいるこのエシュという人物への対応に困惑していた。彼は、葵が今まで対処してきたあらゆる外敵タイプに属する者ではなかったのだ。


 そのため初めの接触以後、葵はエシュが危害を加える意志が無いと判断し放置していたが、それがいつの間にか自分の懐への侵入を許してしまう結果を招いていた。



 葵から見てエシュは、とにかくお節介な男であった。血縁関係、同僚である、同じ学び舎で机を並べたなどには到底当てはまらない。


 直接の利害関係など存在しないはずであった。

 葵の叔父である早瀬が調査を依頼しなければ、エシュの尾行が葵に露見しなければ、ただ同じアパートに住んでいるだけで、会ったこともない人物であるはずだった。

 そのように薄い関係性しかないのにもかかわらず、やたらとこの男は世話を焼きたがる。世話を焼くという大義のもとにずかずかと葵の生活圏にエシュは足を踏み入れるようになっていた。



 少し前の出来事で、こんなこともあった。


 ある日いきなり「2~3日居なくなるから」と言い残し、エシュはふらりとどこかへ出かけて行ったかと思うと、軽トラックに乗るだけの家具とともに帰ってきたのだ。


 リビング用のソファ、小ぶりのダイニングテーブルと揃いの椅子数脚、少し年代がかった頑丈そうなシェルフ、そして何故かコーヒーメーカー。

 それらがその日、エシュが葵の部屋の新入りとして持ち帰ってきた面々であった。


 しかもこれらの家具、中古品なのか多少使われた形跡があるものの、そのコンディションは全く申し分ないものであった。

 注目すべきは、その見るからに高い機能性と洗練された審美性を併せ持つよう意識された設計であり、あまりそういう物に詳しくは無い葵でもその造作に惹かれるものがあった。

 実際、元々の製品ブランドの評価も高いものであり、当然人気も高く、それゆえ中古品相場であっても高根の花となっている。


 そんな道具類を引き連れてひょっこり帰ってきたエシュは、さんざんに家主を巻き込んでそれらを配置し、それまでとは見違えるようなポストモダン風の生活空間に仕立て上げてみせたのだった。

 その出来栄えは優良であったらしく、「次に置くとしたらテレビだな」などと、己の仕事の成果を眺め満足そうにエシュは次のプランの存在をほのめかすのであった。



 これらの出来事はあまりにも唐突で、また部屋の主の意志や都合などもお構いなしに無断で行われた事であった。

 葵の理解の範疇を越えており、ただその日葵はエシュの飛ばす指示に従うしか出来なかった。ようやく持ち込まれたものが配置され、ひと息つけるようになって初めて葵は疑問を投げかけるしか出来なかった。

 一体これらはどこから貰って来たのか、と部屋の仲間になったばかりのソファに主より先に転がりくつろぐエシュに尋ねたが、彼の返答は「金持ち相手の引っ越しを日雇いでやればわかる」というものであった。


 一般的に転居というものは、少なからず家具や雑品の買い替えや廃棄の問題も伴ってくるものである。それらの廃品を知り合いに譲るという選択肢もあるにはあるが、その方法では限界があるものだ。

 全ての家庭と廃棄物の問題を解決できるわけではなく、残念ながら往々にして廃品というものは、廃棄処理業者やリサイクル業者に託されるものであり、引っ越し業者の作業料金に含まれているケースも含め、転居者の財布を圧迫する問題であった。

 その中でそんなすき間を縫うように、引越し手伝いで雇われた労働者達が、その日の雇い主と交渉し、廃品不要品の中から自分が望む物を格安ないしはタダで譲ってもらう光景が良く見られていた。


 元々この地方では引っ越し業者なども、転居作業の手伝いを日雇い労働者に向けて募集をかけることがあったが、雇う側も多少なりとも不要品を持って行ってもらえれば、廃棄物の処理費用を節約できるという事もあり、労働者への不要品の譲渡交渉はなかば通例となっている。

 今回エシュが手に入れてきた家具雑貨もそうして手に入れてきたものであった。


 幸いにも高額所得者の転居手伝いの仕事にありつけたおかげで、元より想定していた物よりずっと高級な品の数々を、ただに近い値段で取りそろえることが出来たが、それでもガラクタも多く混在する中から今回の様なお宝を確実に発掘してみせたエシュの力量は見事なものであった。


 葵もこれが普段なら無言で癇癪の一つでも起こし、これらの物品を全て窓から投げ捨ててしまうか、あるいはすぐ上階のエシュの住まう部屋へ荷物を着払い送りしてしまうなどを強行したことだろう。

 だが今回は幸いにも持ち込まれたものが気に入ったらしく、また便利なことから結局のところ利用してしまっているので、葵はエシュに、この一件に関しては文句が言えなくなってしまった。


 元々葵の部屋には、生活に不可欠な用具そのものが不足していたため、知らず知らずのうちに必然としてこれらを良く使うようになっていたのだ。



 そうしたことから始まり、今までろくに物が置かれていなかったはずだった葵の部屋は、それ以降もふと気が付けば、どこからかエシュが見つけてきた家具や生活雑貨類が持ち込まれ続け、今やすっかり人間の生活を感じさせるだけのものとなっていた。


 そして少し経った現在では葵もすっかりその空間に慣れ、暇な時はダイニングセットの椅子にかけ、手なぐさみにクロスワードパズルを解いている状態である。


「倉庫代わりにされているという自覚はある」

「なんでそういったひねた考えしかできないかね。オジサン悲しいぞー」


 口先では悲しいなどと言っておきながらも、暢気にソファの上で伸びをするだけのエシュを、葵は無言で一瞥したのち、再び己の手元に視線を戻しクロスワードのマスを埋めていく作業に戻った。


 そんな葵の淡白な反応に対しエシュは更に言いつのる。


「でも俺だって、お前に気を遣っているよ?」

「それは初耳だ、どこで気を遣っているのか聞かせてもらおうか」

「おまえん家あがるときは、ちゃんと靴脱いでる」


 エシュは鼻の穴を膨らませ気味にそう主張した。


 どうも葵は日本人の気質のせいなのか、自室内は素足で過ごすのが好きなようなのだ。

 この部屋を借りる際にも床に断熱材を入れてもらって足元の保温対策を施してあり、また、玄関ドアより内側の1メートル程度の部分を玄関エリアとし、それ以外の空間を素足で歩きまわれるようにしつらえているくらいである。


 確かに平素より大雑把である、くらいにしかパーソナリティを認識されないエシュにしては、この葵の玄関ルールを逐一守ってやっているなど、破格なまでに気を遣っていると言っても良いのかもしれない。


 だがそれくらいだ。そのくらいである。

 一般的に言えば彼はおせっかいだが、意地の悪い言い方をすれば無神経ともいえる。第一、葵はエシュに部屋の模様替えを依頼した覚えはなかった。


 葵が特に何も言わないだけで、持ち込まれたものは全て「エシュの考える『人間らしい生活空間』プラン」にそろえられたものであり、そこに葵の意志は無いのだ。

 家具を持ち込んだところで、それはエシュ本人が葵宅ででものびのびくつろげられるようにしたい、という思惑も全く無かったと言えるだろうか。


 それらを意識しておらずに、玄関ルールだけを守っているだけ「気を遣っている」と認めて良いのだろうか。犬のしつけと同様、今はまだ力関係の天秤の傾きを緩めてやるわけにはいかない。


「なぁ、葵と俺って友達?」

「それはない」


 それは本日で何度目かの同じ問いであった。あまりにも取りとめのない受け答えばかりであったが、そのたびに葵はいともあっさり、あらかじめプログラムされているかのような速さで、エシュからの問いかけを真っ向から否定してやっていた。


 いい歳をした大人がしきりに相手との関係性を確認したがる様は滑稽ではあるが、いささか不気味なのだ。

 これが女子学生同士の幼い会話ならまだ苦笑しつつも許せる可愛らしさもあるだろうが、いかんともしがたきことにここにいるのは双方ともに成人済みの男性だ。いい加減そのような会話をこなすにはむさくるしい。


 この男がはやく己に関わることに飽きてくれれば良いのに、と葵はこの日何度目かのため息をついた。

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