第10話 resilience【2】
「……とまぁ、こんな感じですかね」
早瀬と、そして先日は葵とも直接の面談を行った喫茶店にて。
今ではすっかり店主に顔を覚えられているようで、こちらが入店するや否や「今なら奥の席、空いてますよ~」などと声をかけられるなどという、いささか情報戦には不向きなオプションが付いてしまっている。
ここの店主は自体は自己顕示欲の強い目立ちたがり屋とか、やたら自分の持っている情報を吹聴したがるスピーカーとか、そういった困った行動パターンは持っていないが、雇っている人間までが全て同じようであるわけはない。
折角の良い打ち合わせ場所であったが、そろそろ第二第三の打ち合わせの候補地を探した方が良いのかもしれない。
「別段今のところ交友関係については、変な人間と関わりは持っていません。どちらかというと、日向氏自身からの外界との接触が貧困なくらいです」
やはり前回の面談と同じく、人の一番少ない時間帯の最も奥まったボックス席で、エシュは分厚い報告書を早瀬に手渡していた。
早瀬はその場で報告書に目を通し始める。報告書としては厚みがあるので、エシュは一瞬ミーティングの長時間化を心配した。
しかし、彼のページをめくるペースは思っていたよりも早かった。おそらく今この場での確認は大まかなポイントのみで、微に入り細に入り報告書を読みこむのは持ちかえってから後のことなのだろう。
肝心の報告書は対象者である葵の一日の行動パターンおよび外出の際の移動ルート、どの人物と会話をしたか、その際の内容、把握できなくてもその当時の葵の反応など、選挙法違反の容疑で尾行されている政治家か何かと第三者からは突っ込みを受けそうな細かさであった。
唯一書きこまれていないのは、対象者にこの調査が“バレた"ことだろう。
「ふぅん……そっか」
早瀬は何事かを納得したようにふむふむと頷きながら、報告書の頁をめくっていく。
当初エシュはあまりに書き込めることが少なくて、報告書の内容をどうしたものかと考えあぐねていたのだが、結局、葵との関わりが始まったことで実はぐっとページ数が増えてしまった。
小学校の宿題にある観察日記と同じ理屈で、興味が湧いたことでがんがん書き足してしまったのだ。
「おや……葵君と君は話したのかい?」
ふと早瀬がとある項目に目を止めそう言った。
“バレた"ことは書いていないが、接触していなければ辻褄の合わない個所がいくつかあったため、エシュは報告書内に“葵と上の階の住人として接触をした"旨を記載していたのを、早瀬は見逃さなかったようだ。
のちのちに報告書を精査して、これはどういった調査を行ったのか、調査方法に違法性はなかったのか、と追及されるのを避けるための措置であったのだが。
「あ~、ちょっと、自分のところから。うっかり窓から物を落としてしまいましてね……。で、まあ、それがまた、よりにもよってちょうど、葵さんとこの足場に引っかかっちゃいまして。そこでまあ、ひとことふたこと……」
「そう……どうだった?」
「いやぁ、快く落とし物も拾ってもらいまして」
エシュのその返答に早瀬は少しばかり驚いたような顔をした。それは意外、と言いたい風だった。
「そっか……」
顎に手を当てて早瀬は少し考え込んだ。
エシュはそのわずかな沈黙に内心びくついた。追及はされなくてもこの記述から、契約続行は不可能である、と判断されればこの仕事はそれまでである。頂戴した前金のみでは生活にも支障が出るだろう。やはり小手先のごまかしでは効かなかったか。
などという、エシュの焦りなど知りもしない早瀬は、しばし無言でいたかと思ったら、突然何かを思いついたような表情を浮かべて顔を上げた。
そしてエシュにこう切り出したのであった。
「もしよかったら、あの子にもう少し話しかけてもらえないかな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます