第6話 rapport【2】
その喫茶店は幸い、昼食前の時間帯だからか普段から人が少ない店だからか、まばらにしか客はいなかった。
奥のボックス席に陣取って放し声の大きさを加減すれば、店にいる人間に内容が筒抜けになる心配は無かった。
そういう造りのせいか時々、不倫調査の報告だの会社の横領の告発の算段だの、堅気の世界でも公にしにくい話をしている場面もあったりするが、おおむね近くの席に他人が陣取らない限りは盗み聞きされる心配は少ない。
依頼を持ってきた男は早瀬と名乗った。彼の依頼とは、とある人物の調査。
「で、俺はこいつを監視すればいいってことか」
「監視じゃないよ。危険なことをしていないか、見守っていてもらいたいんだ」
「世間一般では、今回のような依頼は監視って言うんだよ」
エシュはそう返しながらその写真を、テーブルの天板中央に小さくこんもり積み上がったファイルの束の上に戻した。早瀬の持ち込んできた資料で、何枚かの添付写真は同じようにある人物を収めたものであった。
早瀬から渡された写真には、ある中性的な人間が映っていた。
一瞬男なのか女なのか判断に困ったが、見る限りでは美形の部類に入るだろう。
依頼主である早瀬が“甥っ子"と指して言うのなら男なのだろう。が、それにしてもアジア系の人物の外見というものは、こう、年齢にしても性別にしても見分けづらい事が多く感じるから困る。
写真の中の人物は貧弱そうな体を黒のタートルネックで覆い隠している。灰色の長髪を束ねた若い人間。
どう見たところでただのモヤシだ。
「いい年こいたおっさんが、これまた大きい甥っ子の心配たぁ…気持ち悪い世の中だね」
はっ、と思わずエシュは鼻で笑う。
血を分けた家族同士であっても、ここまで大げさに心配されるとなったら、それは不気味なものがあるとエシュは思っていた。
「まぁ、普通ならそう思うよね。でもこちらにもいろいろと事情があるんだ」
ニコニコと笑顔を絶やさぬ早瀬はそのまま写真をずい、とこちらに押し出してきた。
反論は許さない。ということか。
(俺に選択させる気はない、任せるかどうかは依頼者である自分が決めることだ、といったところか。案外頑固なオヤジだな…)
この早瀬という男、エシュが断るわけがない、という前提でこの依頼を持ってきているようだ。外見とは裏腹に存外くわせ者のようである。
自身もこんな、親子喧嘩もどきに巻き込まれる形になりかねない依頼は正直気が乗らないが、あいにく懐具合に余裕があるわけではない。というか、はっきり言ってスカンピンまであとウン日、などという体たらくである。
普段からうまく収支の範囲内の予算で賞金首を捕まえられたら良いのだが、世の中全てそうそう上手くいくはずなどなく、気乗りしなくても日雇いの土木作業でもしなくては飯に困ることも多い。
重いため息を吐きつつ写真を摘み上げた。背に腹は代えられない。
「で、この甥っ子はどこに住んでいるんだ? まさか探し出せって話じゃ……」
「ああ、それは心配いらないよ。だって君が一番近いから、依頼したんだ」
かつんかつんかつん……
レンガ造りのアパートに取り付けられた鉄の階段を、誰かが踏みしめる音が響く。
アパート二階部分の部屋の前に立った白髪の青年は、雲が流れる空を仰ぎ見た。にわかに気温が下がり始めた空気は、わずかだが湿り気を帯びている。
誰ともなしに彼はつぶやいた。
「……ひと雨、きそうだな」
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