第10話 彼女は彼を心配する。

 この世は合わせ鏡のようだとは、どこの誰が言い出したかは定かではないが良く言ったものである。思いもかけぬ幸運に恵まれた者がいるのと同時に、思いもかけぬ不運を引き当てて嘆く者もまた存在する。

 ダウンヒルの中心街から少し外れた辺りの裏さびれた地域。ここに来る破目になった不運を嘆くものもいた。


「俺、ここらの路地裏ってあんまり好きじゃねーんだよな。きったないし臭いし暗いし、昼間だっつーのにカラスくらいしかいないし……」


 ろくでもねえ場所だよなー、などと、さも面倒くさそうに黒髪の男は愚痴を言った。

 男の名前はレイモンド。コートニー州警察に籍を置くれっきとした警察官である。今、彼がそこにいるのも、子供のおつかいなどではなくれっきとした職務であるはずなのだが、いかんせんその緊張感はみじんも感じられない。


「いいんですか? あんなこと言っちゃって……」

「何が?」

「エシュさんですよ」


 ぐうたらした空気をふりまく男とは対照的な女性が、そう声をかけた。レイモンドが先の通話で相手方を怒らせたらしい事を指しているらしい。


「もう協力してくれないかもしれませんよ?」

「平気平気、あいつとは一緒に野糞した仲だし」

「先輩……最低です」


 彼女にとって、目の前の男……レイモンドが下品であることは、バディを組んだ時からわかっていたことだった。だが、こうも日常会話に何の気兼ねもなく、ひんしゅくを買うようなことをジョークのつもりで織り込んでこられるのは、正直たまったものではない。

 今この路地裏にいる人間の中で誰がいっとう不運だと言うならば、彼女のほかにないだろう。


 そんな、レイモンドの無遠慮な発言にただこめかみを押さえる彼女にもれっきとした名前がある。

 彼女の名はクエスタ。女性の中では長身の部類に入るくらいの、すらりとしたスタイルの持ち主である。涼しげな目元はきりりとしており、仕事に差し支えるような華美さがない髪型として選択したショートカットのせいもあって、残念ながら女性的な印象はまるでない。


 クエスタとレイモンドがバディになってからまだ日は浅いはずだが、すっかり署内では知らない者はいないほど有名なコンビになっている。

 警察学校を卒業したての新人ことクエスタが、実戦と経験を積んできている先輩格だが、何をするにもよく言えば豪快、悪く言えば大雑把なレイモンドを尻に敷いている図は学園コントのようでもあることから目立ってしまうらしいのだ。


 さて、話を戻して。現在このコンビがいるところは、彼らの職務上重要な場所である。


 ここ最近起こっている州立大学の連続殺人事件で、事件発生の当時に現場周辺で見かけられた不審車両を調査していたところ、今いるこの路地裏に構えられた店で働いている人物が浮上してきた。

 これからその人物に聞き取り調査を行い、場合によっては真相究明のために多少荒っぽいこともさせてもらうためにここまで彼らはやって来ていたのだ。


 さらに嫌なことに、今日になって例の大学でまた一つ死体が増えた。おかげで高血圧気味の上司は、まだ見ぬ殺人者から能無しのレッテルを貼られた形となり、『何が何でも犯人を一日も早く捕まえるんだ!』とただただいきり立つばかりの状態になってしまった。街中への出がけにもそんな雷を落とされ、残念ながら幸先は悪かった。

 クエスタはレイモンドの隣を歩きながら、ため息をついた。


「そういえば、マジギレするエシュさんに血祭りにあげられる先輩を夢で見ました」

「……それは随分と具体的だね。でも夢だよ、クエスタくん」


 クエスタは、エシュを不機嫌にさせた事を気にする風でもないレイモンドに、一応望ましくはない事を告げた。彼の電話でのぞんざいな対応は、確実にエシュの機嫌を損ねているとクエスタは予想している。

 レイモンドという人物は、一度『こうする』と決めてしまった以上テコでも動かない男なのは彼女も良く分かっていた。


 今回の依頼品の受け取りは、一刻も早く目を通して捜査に生かさないと誰かが死ぬような緊急のものではなく、レイモンドもこと今、優先順位の高い職務を放ってまで別件資料の受け取りに時間を割くわけにはいかない状況だ。

 彼の優先順位は確かに間違いではないし、彼自身が取りに行くのは後と決めた以上覆せる手段はないし、またナンセンスな行為である。


 だが。親しき仲にも礼儀あり、と人は言う。何事にも、ものの言い方というものがある。レイモンドの場合も、もう少し相手に事情を簡潔にでも説明するなりして理解を求めれば、まだエシュの機嫌を派手に損ねることもなかったのではないのか、とクエスタは思うのである。

 どうにもレイモンドには言葉が足りないと思う場面が多い。いや、語彙力も足りないのかもしれない。


「血祭りにあげられないように頑張ってください……」


 ふぅと、本日何度目かもわからないため息をつき、クエスタはレイモンドの数歩前を歩く。その短い時間の中でも、さっさと殺人事件の聞き込みを済ませて、それからエシュに依頼の資料を渡してもらう、とクエスタは簡単なスケジュールを頭の中で組み立てている。


(もしエシュさんの機嫌が直らないようなら……先輩をサンドバッグしてもらうことで溜飲を下げてもらうか)


 顔色一つ変えず物騒なことも考えているクエスタの思考を知ってか知らずか、レイモンドは暢気に後ろをブラブラと歩いているだけであった。

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