第9話 僕らは出会いに感謝する。
『Speed Pizza』の事務所では、かちゃかちゃと金属音が響いていた。
その音は、この店の配達員の制服に身を包んだ一人の少女が発生源であった。
ポロシャツ風の上着に、女性用ということで短めのプリーツスカート、そこに本人の意向もあって丈の短いスパッツをスカート内に着用している。
全体的にスポーツウェアを流用したようなデザインと材質だが、それが屋外での行動が多い配達員にはプラスだろうと考えられた結果だろう。シャツのところどころに入れられた切り返しのデザインと、上下で揃えたポイントカラーが凝った印象を人に与えている。
彼女……ルフは今、入念にインラインスケートの調整をしている真っ最中であった。
見かけの軽やかさや疾走感を強調したデザインとは裏腹にインラインスケートシューズはずしりと重い。それを装着してピザの配達を行うのがルフの今日の仕事である。
スケートシューズを履いての走行というものは、不慣れな場合は素直に普通の靴で歩いた方が速いくらいなのであるが、ルフは幸いにも“慣れている”を通り越して卓越しているレベルであったため、機動性を存分に発揮するツールとなっている。
堂々とこれを装備してのピザ配達を過去にも店主から任された事が既に何度かあり、今日の仕事も至っていつもと変わらないものであった。
「久々にこれ履くと結構重いのよね~」
インラインスケートの足首の固定金具をいじりながらルフはぼやく。確かにローティーンの少女の細い足に、いくら軽量化がなされているとはいえ、多くの部品で構成されたスケートシューズがかける負荷は大きいだろう。
「……それ履いてそこらのフェンスの上を走ったり、歩道橋とか家の屋根とか『ショートカット』っつってガッシャガッシャ走り回ってたくせに、何をいまさら」
そこに異を唱えたのは、やはり店主に与えられた男性用制服に着替えたタクヒであった。彼もまたルフと同じ事務所内で、制服と揃いのスニーカーを履いている最中であった。タクヒとルフとで装備が違うのにはわけがあった。
実はこのタクヒも以前に、ルフの身体能力に張り合うプラス時給アップを狙い、スケートを利用しての配達が出来るレベルを目指せるかと、試しに履いてみたことがあった。
しかし、どうあがいても産まれたての仔馬の様な状態から脱するのがその時の精いっぱいであった。それを見たルフの『走った方が確実に早いんじゃないの?』という率直な一言により、タクヒのスケート装備での配達は見送られた。以降、タクヒは地道に走ってピザを届けるのが常となっている。
嘉一の場合、スケートの操作などタクヒの比などではなく、ここまで才能という言葉に見放されたような子供がいるとは、という嘆きの声が今にも天から降り注がんばかりの運動オンチ振りを体現化して見せた。
更にはスパイクヒルズの高低差の激しい地形が入り乱れるという特殊事情により、スケートの加速が制御できず、道路上にあるもの全てを勢いのままなぎ倒す大惨事までをも巻き起こした。
それ以降、嘉一には車輪の付いているものは履くことも操縦することも禁止されている。
「準備できたかー?」
「ばっちりです!」
事務室のさらに奥の方からいかつい店主が声をかけてきた。しっかり稼いで、懐あったかお腹もいっぱい。そういった思惑もあってかモチベーションが上がっているのだろう、ルフもタクヒもヤル気に満ち満ちて、元気の良い返事を返した。
すっかり準備万端整ったような彼らの反応を確認すると、店主はごちゃごちゃとものを持ってタクヒらに近付いてきた。
「それじゃ、地図と時計と通話インカムな。インカム本体にはGPSが入ってるから、お前らの現在位置はこっちでもリアルタイムに確認出来るようになってるんだ。けれどこっちから通話つなぐのはあまり出来ない。もし何かあったときはすぐに連絡するんだぞ。」
精密機材だから丁重に、などそのほかにもいくつか注意事項を交えながら店主は、二人の小さな配達員にそれらを手渡していく。
しかし、ルフは早々とインカムと時計を身につけ始めたが、タクヒはその小さな機材を身につける気配もなく、両手で持って様々な角度からインカムをまじまじと観察し始めた。
「あれ? 新しい機材入れたんすね……分解してみてもいいっすか?」
「買い取らせるぞ」
新調したてのインカムシステムは、いうなれば店主の先行投資である。業務の効率化を狙ってそれなりに値の張るものを揃えている以上、ロクに役目を果たす前に壊されてしまってはこの大男といえどもたまったものではない。
少年らしい知的好奇心も、今のこの場では無意味である。バッサリ切り捨てるような返答をすることで、タクヒにはその好奇心にフタをしてもらうことにした。
店主は持ってきた道具類を二人に手渡し、その場で機械類の操作方法を簡単に説明してやる。子供という者はこういう時の物を覚える集中力には長けていると良く言われている。
この二人も例外ではなく、ものの5分もしないうちに当面すぐ使いそうな基本的な操作方法を覚えていた。
「それじゃ、ちょっくらいってきまーす」
「おう、気をつけてな」
能天気な声を残して二人の配達員が店舗を出て行ったその後には、所在無げな少年がぽつんと一人残っていた。
「あの~それで僕は……」
どうすればいいのでしょうか、と嘉一は困ったような表情で店主に問いかけた。
実のところ配達に行ってしまった二人への指示や用意やらにすっかり店主は気を取られ、嘉一には一切眼もくれていなかったのだ。
「待ってな、もうすぐ来るから」
嘉一も既にインドアスタッフ用のジャンパーを着込んでいる。1日中、主に店舗内で働くと言う事から配達員用に揃えた制服よりも店内用の制服は地味な上、丈夫さにも可動性にもこだわったものではなかった。
それこそファストファッションとして売られている製品とさほど変わった所はなく、制服と言わしめるところがあるとすれば、ただ店のロゴがポイント的にプリントされているというところぐらいのものである。
店主の少々ぞんざいな指示に従い、嘉一は事務所内で待機していた。さして時間も経たぬうちに、嘉一の待つ「もうすぐ」は嵐のようにやってきた。
普段なら軽やかな高い音を奏でるはずのドアベルが、突然けたたましく鳴り響いた。どうやら誰かが勢いよく店のドアを開けたようだ。
「すいません! 遅れました!!」
息を切らせながら店の事務所に飛び込んできたのは、ハチミツのような金色の髪をした若い女性だった。
ここに来るまで、それなりに長い距離を全力で走ってきたのだろう。膝に手をつき背を丸め、肩で息をするほどの状態で、どれくらい急いでいたのかがはたから見ていても良く分かった。
「いや?ギリギリセーフだ」
「……よ、よかった~」
店主がねぎらうように彼女に声をかける。その言葉にホッとしたのか、その女性、いや少女は、かがめていた体を起こした。
歳の頃はだいたい嘉一より少し上くらいといったところ。
丸みを帯びた目元と大きな紫色の瞳が優しげな愛らしさのある顔立ちと相まって、とても朗らかで人懐っこい印象を人に与えている。淡い色の短い髪は良く手入れが行き届いていて、店舗内の照明を受けただけでもきらきらと輝いて見えた。
「じゃあお前ら二人は受付接客と電話対応をしてくれ。こいつは今日の単発バイトで入ってる、嘉一って言うんだ」
開店準備に追われる店主が、手短に彼女に嘉一を紹介する。
「はじめまして、私はスコール。よろしくね」
スコールと名乗った少女のごく自然な笑顔と、自身の身近にはいなかったような穏やかな雰囲気が、嘉一にはとても新鮮だった。
「よ……よろしくおねがいします」
残された少年にとって、それは思いもよらない幸運だった。
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