第3話 僕らは歩いて勤めに出る。
「お久し振りの依頼だねぇ」
カイチは何か嬉しいのか、そうやけに弾んだ声を出しながらスキップを踏んでいる。ただ、同じ側の足と手が一緒に出ているステップを『スキップ』と呼んでよいのかどうかは分からないが。
「ルフったらもうあんなところにいるよ」
傍らにいるタクヒは、そんなのんきな少年を眺めながら、自分達のはるか何メートルか先を歩く少女ルフの姿を目で追いかけていた。
ダウンヒルの街から未だ薄暗がりに包まれた道を歩き始めて早一時間。子供たちは現在、隣町であるスパイクヒルの街の外縁近くまでやって来ていた。
「スパイクヒル」は元々、そこにあった海岸沿いの山を切り崩して造成した土地に築かれた街である。漁業のほか海運業や工業も盛んなのか、高台の公園から見渡せばその海岸に色とりどりのコンテナボックスが整然と並んでいるのが一望できる、そんな街である。
高低差が激しいのが良くも悪くも特徴で、急な斜面やひな壇状の地形からにょきにょきと天へと伸びた高層ビル群は海側から眺めればその街の名の通り、びっしり並んだスパイクの様だとよくいわれている。
彼ら3人が地元のダウンヒルではなくこのスパイクヒルにわざわざ足を運んでいるのには理由がある。多くの住人が中~低所得層であるダウンヒルに比較すると、スパイクヒルで請け負う仕事の方が金払いが良いのである。
最低限の売り上げの保障は期待出来るが……。ふと、おおよそロウティーンらしからぬ算盤勘定を無言でしていたタクヒに、ある疑問が浮かびあがった。
「あ、嘉一。ちょっと気になったんだけどよ」
「ん~? なあに?」
「あの公衆電話……」
そう疑問を口に上らせようとした矢先…
「あんたら、なにしてんの……」
先を行っていたのルフの地を這うような低い声が、何故か二人の背後から響き、思わずタクヒと嘉一はビクリと身体を固まらせた。
ビクビクと恐ろしいものを見るかのように振り向けば、幼い顔に今にも爆発させんばかり怒りの表情をたたえたルフが仁王立ちで立っていた。
「あれ……、ルフ……前の方を歩いてたんじゃ……」
「あんたらの目は節穴!? よく見なさいよ。アレどう見てもおっさんじゃない!」
ルフの指差した先には、朝霧のせいで多少霞がかかっているが、何かの塊のような影が見受けられた。知らず知らずのうちにルフの姿をきちんと確認せず、前を行く人影をルフと勘違いして付いて行きかけたらしい。
いや、考え事を優先していた自分自身はともかく、何故かなにがしかに集中していた素振りなどまるで無かったカイチまでが同じ様になっているのか、と言いようのない疑問も胸中に生まれたりしたが、タクヒはそれを口から出すことなく胸に押し込んだ。
影の主は見ず知らずの子供に突然指を差されるマナー違反に怒っているのか、それとも“おっさん”という単語に過敏に反応するお年頃だったのか「誰がおっさんだ! 聞こえてるぞ!!」などと抗議の声を発しているようだが、ルフが気にかける様子はかけらもない。
「大体、嘉一もタクヒもマイペース過ぎ! 電話鳴っても気付かないし……」
「ちょっとストップ!」
ルフの口から平素より溜まっていた同居人への不満が流れ出したが、話題の中に先程の疑問が再浮上してきたことでタクヒは待ったをかけた。
「なによ」
「今朝、滅茶苦茶鳴ってたのは……どう見ても公衆電話だよな」
「ああ、“間借り”している」
「うぉーい!? ちょっと待てぇ!」
「じゃあ、“お借り”している」
「同じことだー!!」
ルフは、どころかカイチまでもが造作もなく悪びれもせず、まるで菓子のつまみ食いを告白するかのように言い放った。借りている云々のような細かい言いまわしはさほどの問題ではない。
最大の問題点はその使用方法であった。元々公衆電話にも実は一台一台に電話番号が設定されている。ルフ達は現在社会的にも経済的にも固定回線の電話をもてない生活状況である。そんな中で糊口をしのぐためにも金を稼ごうとすれば、仕事を請け負う際に結局のところ通信手段が要り用になる。依頼の受諾もままならない、矛盾した状況を打破したのは「公衆電話の無断私用」だった、というわけなのであった。
ただ、公衆電話だって世のため人のために存在するものだがそれは“公衆”のためであり、こういうために使われるのは公衆電話だって不本意、いや想定外だっただろう。
「まぁまぁ、そんなピリピリしないの」
「あんまり気にしていると、禿げちゃうよ~」
まだ夜明けからそう経ってもいない朝っぱから、スパイクヒルの路上にタクヒの「道徳の授業」リサイタルが響き渡り、ただただタクヒ一人だけが仕事内容もまだ知らぬうちから、疲れを覚えてしまう破目となった。
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