8・目覚める力
1・白昼夢
曲が流れ始めると同時に歌姫の表情が変わる。
先程のテンションが嘘のように静まり返り、一気に大人の女性へと変化した。
彼女は顔をあげる。
そして、歌を奏で始める。
それはテレビなどで聞こえてくるこの歌姫とは随分違っている。彼女の曲は基本ポップだ。それなのにこの曲はどこか故郷を懐かしむ動揺のように聞こえてくる。
曲を聞くだけでその情景が広がった。
風が吹く。
風が育ったばかりの青い稲をさらさらと揺らしている。
トンボやカラスが飛び回り、時折小鳥が可愛らしい声でなく。
遠くに山々が広がり、田んぼの中でポツンポツンと昔ながらの俵屋根の家々。
子どもが走る。
ランドセルを背負って走る紅白帽子をかぶった少年。
黒髪の短髪。白い肌で小柄の少年が田んぼの畦道をひたすら走っている。
そんな光景がなぜが
そんな景色みたことない。
そもそも、弦音はそんな田舎にいった記憶がまったくなかったのだ。
都生まれの都会育ち。
両親も東京だし、親戚もほぼ都会で暮らしている。
だから、田舎と呼ばれる場所なんていったことはない。
自然の広がる光景など弦音にとってはテレビのなかの存在であった。
想像力が優れているわけでもない弦音でも、どこか懐かしい田舎のふるさとを思い浮かばせることのできるそんな曲が流れているのだ。
やがて、曲が終わり静寂が訪れる。
自然溢れる光景が消え去り、都会の喧騒が弦音の目の前に広がった。
気づけば、弦音の目の前には多くの人々が足早に行き交う姿。
その光景は都会育ちの弦音の見慣れた光景のはずなのだが、どうも浦島太郎になったようで愕然とする自分がいる。
「あれ?」
渋谷だ。
渋谷のスクランブル交差点に自分が立ち尽くしていることに気づいた。
でも、なにかがおかしい。
いつもと変わらない交差点のにぎわい。
だけど、弦音がさっきまで見ていたものはそれとは別の光景だったはずだ。
弦音はスクランブル交差点をはさんで駅とは反対側のビルをみる。
確か、ビルの前には大きな凹みができていて、ビルの二階の壁が破壊されていたはずだった。それなのに、その痕跡はまったくなく、ビルの二階にある窓ガラスの向こうではコーヒー等を飲んでいる人たちの姿が見える。地面に凹みもない。
「え?」
弦音はきょとんとした。
あれは夢だったのか。
幻だったのか。
弦音はどうなっているのか理解できずに混乱していた。
「なにしているの? こんなところで突っ立って……」
その声にハッと振り返ると、不機嫌そうな顔をした
「江川?」
「なによ。その顔。早く渡らないと、赤になるわよ」
「えッ? でも、さっき、花の化け物が……。お前、へんになって」
「はあ、なに訳のわからないこといっているのよ。いくわよ」
樹里が弦音の手を握り、歩き始めた。
「え? いくって、どこへ?」
「なに寝ぼけているのよ。園田先輩とコーヒーショップで待ち合わせよ。文化祭の買い出しするっていったじゃないの。もう時間がないわ。いくわよ」
わけがわからない。
いったいさっきのはなんだったのか。ただの夢。それにしてはリアルだったようにも思える。
けれど、いま彼女は自分の手を握っている。
このぬくもりは確かなものだつた。
それに対する戸惑うもあり、自然と弦音の顔が熱くなる。
弦音は樹里の引きずられるまま、園田が待つという交差点の向こうの喫茶店へと向かった。
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