3・背後に迫る影
1・仕事と娯楽
武将を形どっていたものがひとつの光へと変化していく。魂ともよばれる小さな光の塊へと変化したものは
しばらくそれを眺めていた朝矢だつたが、すっかり伸びきってしまっているメタボな先生のほうを振り返る。
「おい。先生。こらっ」
先生のそばまで近づいて、声をかけてみるもいっこうに目覚める気配が見受けられない。
「まったく。てめえが依頼してきたんだろうが、さっさと起きろ」
「ひどいなあ。朝矢殿は……」
一発殴ってやろうかと拳を振るおうとしたときに、まったく別の方向から老人らしき声が聞こえてきた。
のんびりしたようなしゃがれた声は、朝矢の暴力行為を止めるには十分だつた。振り上げた拳を下ろしながらため息を漏らす。
そして、目を細めながら、声のした方向を振り返った。
そこには優雅に正座をして茶を啜っている老人の姿があった。
羽織袴姿で白髪頭はチョンマゲに無精髭。
年はだいたい、七十台ほどといった感じだ。
さきほど矢で貫かれた甲冑姿の武将にそっくりだ。
「せっかく加勢にきてやったというのに、この初代征夷大将軍をあんな若造に射ぬかせようなんぞ。まったくもってけしからん」
いや、矢で射貫かれた武将そのものである。
矢によって体を貫かれたはずなのに、どこにもそれらしき痕はなく、のんびりと座り込んでいる。
「うるせえ。家康。てめえも向こうへいけよ」
「よいではない。わしも死してから数百年。この世の変わりようが楽しゅうてたまらんのだよ」
再び茶を口にしながら、うまいのおとほっこりと顔を緩ませている。
鉄砲で撃たれようが、矢で射貫かれようが、彼には何も害はない。
彼は生きた人間ではないからだ。はるか昔に肉体が滅びた魂だけの存在となった死人にすぎない。
物質的な攻撃で消せるものではなかった。
方法はなくはないが、別に強制消去する必要性もない。
「ところで、朝矢殿。依頼は終わりかのお」
「ああ。店長はそれしかいってなかった。この弓道場に住み着いた“霊”をどうにかしろってな」
「ほほほほ。そうかい。そうかい。ならば、せっかく来たのだから、久しぶりに射ぬか?」
「そんなもの。いつもやっているじゃないか」
「“仕事”では……。たまには気がするが娯楽としてやるのもよいではないか」
“家康”の提案に朝矢は立てかけられた弓のほうへと視線を向けた。
そういえば、娯楽というかスポーツとしては随分とやっ ていない。
田舎にいたころは毎日のようにやっていた弓道も東京に来てから、“仕事”以外で触るのは初めてだ。
「ならば、やってみるとよい。この征夷大将軍を楽しませてもらうぞよ」
「ちっ、狸野郎」
「ほほほほ。誉め言葉としてよいな」
朝矢は弓を取る。
だれの弓かはわからないが、自分の弓は持ってきていないのだから仕方がない。
「悪い。借りる」
“家康”以外聞くものなどいないというのに、断りを入れる。
口が悪いわりには妙なところで律儀だ。
右手に弽をつけると早速、弓を弾く体制をとった。的は一つ。
一心に集中する。
弦を矢とともに引く。
そして、放つ。
まっすぐに飛ぶ。
的の中央に突き刺さる音が響き渡る。
朝矢は、弓を下ろした。
同時に‟家康”がお見事じゃと拍手をする。
「今時の若いモノにしてはよい腕をしておるのお」
楽しそうに笑う。
「どれどれ、もう一つ頼もうかのお」
「うるせえよ。怒られるだろうが……」
朝矢が頭をかきむしった。
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