第22話 出口
土足で部屋へ入ってきたのは沢田弓子だった。
僕はベッドの上に立ち上がったまま、体が動かない。
伸びた白髪混じりの髪の間から、白い顔が覗いている。紅い口紅がやたら目立つ。
沢田弓子は目を見開いたままニタリと笑っているのだった。
「これはどういう意味?」
低い声でそう言うと、床に花束を放った。
僕が沢田遼に供えた花束だ。
「……」
全身がガクガクと震えてきた。
「ちょっと!あなた何なの!?勝手に他人の家に入って!今、警察を呼びましたからね!」
母が金切り声を上げながら階段を上がって来た。
それを無視して沢田弓子は話を続ける。
「遼へのお花は生前からカラーって決まっているのよ。おかしいと思って管理室で防犯カメラを見せてもらったら、あなたが映っていたわ」
「とにかく家から出て行って下さい!要ッ、この人、知ってるの!?」
部屋に辿り着いた母が沢田弓子の前に出た。
「……それは、せめてもの謝罪の気持ちです」
震えを抑えて何とか声を絞り出した。それを聞くと沢田弓子は、さもおかしそうに高笑いを始めた。
これには母も呆気に取られた。
「認めるのね!通り魔だって。ようやく認めた……!」
「通り魔?何言ってるのよ。人の子供に変な事言わないでよ!」
「ふふふ……。あなたの楽しい子育ての結果がこれよ」
「何ですって」
その時、インターフォンが鳴って、玄関ドアが開く音がした。下から「すみません!警察です」と声がする。
随分と早い。
「私がどんな思いでこの子を育ててきたのかも知らないで、馬鹿にする様な事、言わないで!」
母は手にしていたスマホが落ちるのも構わず、沢田弓子の胸ぐらを掴み上げた。
「子供が苦しんでる時も素敵なSNSあげてたわね。楽しいママライフ拝見したわ。知ってた?この子、死のうとしてたのよ。私がちょっと手を加えたら、生きるのが楽しくなったみたい。あんたがそんなんだから、通り魔殺人なんて起こすのよ!」
沢田は掴まれたまま言い返す。
「うちの子がそんな事やるわけないでしょ!偉そうに。私はこの子に良いと思った事は全部やってきたわ!あんたに何がわかるの!」
母が沢田弓子を激しく揺さぶり始めたその時、30代と思われる、ポロシャツにチノパンというラフな格好をした男が止めに入った。
「止めなさい!一旦、離れて。落ち着きましょう」
制服の警官ではない。
岡村さんが僕に付けた監視役の刑事だと直感した。
僕は壁に掛けてあるリュックに手を伸ばした。
「この人が突然入って来たのよ!早く連れて行って!」
「まあまあ、落ち着きましょう。奥さん。沢田さんも勝手な事しないで下さいよ」
「……あの子が通り魔を認めたわ。行くなら、一緒に行き、ま……」言いながら沢田弓子が腹を押えてその場に崩れ落ちた。
「沢田さん!大丈夫ですか。あっ、君、待ちなさい!」
もう、遅い。
僕はリュックを取ると、そのまま2階の窓から飛び出した。
庭に生えているサルスベリの木に飛び移り、下まで降りると、庭用のサンダルを引ったくって、裸足で裏の家のブロック塀やコンクリート塀の上を走り、裏道に飛び降りた。
サンダルを履き、来た方向を見ると、あの刑事がバランスを崩しながらも塀の上を走って来る。
僕は全速力で、ここから近い、あまり使った事のないバス停へ走った。丁度、バスが来ているのが目に入って、行き先も見ずに飛び乗った。
バスはすぐに出発した。
追いかけて来た刑事が僕を見失ってキョロキョロしているのを窓の端から見届けた。
行き先を確認すると、普段は使わない鉄道の駅だった。
パトカーのサイレンが聞こえた気がしてスマホの電源を切った。
駅の警戒が気になり、駅よりも前のバス停で降りて踏切を渡ると、別の路線まで出て、来たバスに乗った。
県東の車庫まで行く。
こちらのバスは帰宅する客で混雑していたので、30分程吊り革に掴まっていた。
長い路線で、団地を通り過ぎて、ようやく
客が減ってきた。
僕は自分で定位置にしている一番後ろの席に座った。
窓の外に、尖った三日月が見えた。時折、暗い雲が流れて光を遮る。街灯はポツリポツリの間隔しかない。周りは田んぼか畑だった。静かな車内に、適度な揺れ、冷房も効いていて快適だ。
昂ぶっていた気持ちが落ち着いてくる。
バスはいつも僕を助けてくれる。
岡村刑事は僕を完全に信用してはいなかった。
それが悲しかったし、ムカついた。
以前の僕ならこの時点で怒り心頭だ。
自分の事は信用させて、僕には監視を付けるのかなんて、ムカつくを通り越して怒っていたかもしれない。
今では色んな可能性を考えてしまう。
2年も停滞していた事件に、沢田弓子や和也から情報が入り、僕が浮かび上がれば、どんな人間なのか調べるのが警察の仕事だし、その為に監視を付けるのは当然なのだ。それに、護衛の意味もあったのかも知れない。
来たのが沢田弓子では無く、スタンガン男だったら、多分やられていた。
それにしても悔しい。
もう、自分でスタンガン男やあの「組織」を追えない。安川物流への潜入も無しだ。
あとは警察に全てを託すしかないのか。
終点でバスを降りた。
三日月が照らす畦道を、信号の光を頼りに歩いて行くと、県道に出た。
そのまま歩道を歩き続け、交差点近くにバス停を見つけた。自販機とベンチもある。
時刻表を見ると、このバスの最終は、18時台だった。
喉がカラカラに乾いているのに気付き、飲料水を買って、ベンチに座って一休みすると、スマホを取り出して電源を入れた。
決心がつかず、登録してある岡村刑事の携帯番号をしばらく眺めていたら、どこからともなく雨の匂いが漂ってきた。
予報より降り出しが早まったのか。
ポツリと水滴ががスマホに落ちた。
空を見上げると三日月は完全に雨雲に覆われて見えなくなっていた。
ポツポツと雨がリズムを刻んで降ってきた。
時刻は22時になるけれど、交差点には様々な車がひっきりなしに行き交う。信号に合わせて、タイヤが止まっては回り、回っては止まった。
回るタイヤを見ていたら、ホイールのセンターキャップの模様に目がいった。
スタンガン男が乗っていた車のホイールの模様は、確か龍だった。
多分、オリジナルのシールを注文して貼っている。
襲撃の時だけ、素性を知られない為に貼っているのだろうか。
それなら、もっと目立つ色か形にして印象に残そうとるはずだ。
ホイールから浮かないシルバーだったし、一見すると、メーカーの縦長のロゴにも見えた。きっと、普段からあの車に乗っている。
体型や雰囲気から判断すると、スタンガン男はあの3人じゃない。
もう一人いる。
井上舞を拉致したのも、そいつじゃないのか。
そんな事を思いながら、尚、交差点に流れるタイヤを見ていたら、バスの停車位置に、車が停車した。
龍だ。
その車のホイールには中央に龍がいた。
顔を上げると、助手席が開いた。
「堀 要くんだね!?早く乗って!ゲリラ豪雨になるぞ」
雨粒は大きくなって降ってきている。
僕は吸い込まれる様に助手席へ滑り込んだ。
途端、雨音が激しくなった。
「やれやれ。危機一髪だったな」
贅沢な内装の中に、微笑む人の良さそうな丸顔。
右ウインカーを出して車は出発した。
「初めてお会いするね。君の事は友達の安川から聞いてるよ。僕は――」
「磯山さんですね。スーパー・イソヤマの店長さん。これでお会いするのは3回目ですよ」
店内で見た写真の人物が目の前にいた。
あの時はわからなかったけれど、間近で見るこの顔に、付け髭とメガネを掛けさせたら多分、スタンガン男になる。体格も中肉中背だ。
「ご名答。でも、会うのは4回目だ」
磯山は二カッといたずらっ子みたいに笑った。
雨の勢いが更に激しくなり、ワイパーを最速にしても前が見にくい。
前の車はゆっくりと進み、渋滞になった。
「参ったな」
磯山の車は脇道へ逸れた。
このまま更に東へ向かう道だ。空いていて、他の車はなかった。
窓の外を見ていたら、カチリと音がした。
「スマホ、出してくれ」
僕が想像するより小振りな拳銃を頭に当てられていた。
リュックを開け、スマホを出した。
「電源を切って、後ろへ投げろ」
僕は言われた通り、電源を切ると後部座席に投げた。
瞬間、雷鳴が轟き、車内にも閃光が入った。
「くっそ」
磯山は左手に銃を持ちながら、どうにか両手でハンドルを握ってカーブを慎重に曲がった。
しばらく沈黙が続き、激しい雨音と雷鳴が車内に響いた。
「堀くん、コレ、見てもあんまり驚かないねえ」
雨の勢いが衰えた頃、磯山は前を見ながら言った。
「見当はついていましたから。銃の密輸だか密造なのかは知りませんけれど、それで桂崎さんと水越さんを殺したんですか」
「ナビの目的地に行ったの?凄いなあ。よくわかったねえ。僕と安川は、いわゆるガンマニアなんだけど、必要な人にも使ってもらいたくて、時々販売してるんだ。それが警察にバレそうになってさ。安川が警察に協力的な桂崎さんには眠ってもらう事にしたって言ってたよ」
磯山は悪びれる様子も無く話した。
「水越さんにもバレたんですね」
「そう。それにあのオバさん、僕が店に入った時からやかましくて嫌いだったんだよね。3年前は君が助けてくれた。突然、後ろから自転車が爆走してきた時は、本当に驚いたよ。お陰でこちらには何のお咎めも無かった」
癪に触る言い方だ。
「井上舞さんはどこですか」
「これから会わせてあげるね。良かったよ。君を警察より早く見つけられて」
僕を見る顔がニヤついていて気持ち悪い。
井上舞は、自分の母親の身辺を調べていて、今の店長に話を聞きに行ったのだ。
その後、磯山は聞いてもいないのに、銃密輸について喋った。
学生時代、親の意向でアメリカに行かされ、そこで銃に出会う。
帰国後は親のコネで商社に入り、アジアを担当した。
仕事で現地入りした際、調達した銃を雇ったバイトに観光ついでに日本へ持ち込んでもらっていたと言う。
少しずつコレクションは増え、それを聞きつけた昔の仲間である安川、岸本も加わり、昔の繋がりで、希望者に販売し、小遣いにしていたそうだ。
「一般人にも売ってますよね」
「運良く、そのサイトを見つけたヤツにだけ、売ってるんだよ。一般人って言っても、精神的には僕と同類の、言ってみれば、仲間に協力しているんだ」
「仲間?」
「君もそうだ」
磯山は低い声で笑った。
雨音が止んだ。雲が去り、また三日月が現れた。
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