第16話 情報
僕は以前通っていた予備校の前を歩きながら、窓越しに受付を伺った。
目当ての人物はいないけれど、思い出した記憶が正しければ、井上舞、いや、水越舞は、僕がいた予備校のアルバイトスタッフだったはずだ。
考えてみれば、最初にサークルへ誘ってきたのは井上舞だった。阿久津では無い。
既視感があったのは、予備校で見かけていたからだ。
僕の個人情報が沢田弓子に筒抜けなのも、これでわかった。
サポート役も、この予備校の生徒から選んだのではないか。
充は、地域こそ違うけれど、同じ予備校だった。もしかしたら、香音と阿久津もそうなのかも知れない。
沢田弓子は2件目の事件を調べていた。
被害者遺族、つまり、井上舞と協力していたに違いない。
保護犬ノートにタロウの受付、引き取りは舞であると書いてあったじゃないか。
バーベキューで井上家に行った時、2歳くらいの双子の女の子がいたのを、田村商店のお婆さんの話で思い出した。
舞が22歳、和也が17歳。双子と随分、歳が離れている。母親は若く見えたし、再婚していてもおかしくない。
名字が違うのは、父親が婿に入ったからだろう。
真犯人は井上舞、和也の父親なのか。
聞いた限りでは動機も充分だし、待ち伏せていれば、僕が水越明子を転倒させた直後に刺す事も可能だ。何しろ、自宅の近くだったのだから。
和也の父親――。
バーベキューの時に見た父親は、優しそうな印象だった。
あんな人が、保険金目当てで殺人なんてするのか。
ちょっと信じられない。
父親が犯人だと仮定した場合、舞はそれを知っているのだろうか。
田村商店のお婆さんは、子供達は犯人探しに熱心だったと言っていた。
噂が立ったのは、あの町を引っ越した後だろうから、舞としては、疑いはしても確信は無いのだろう。
第一、再婚して婿に入ったり、豪邸を建てたりすれば、警察が見逃すはずはない。父親は捕まっていないのだから、きっと確証が無いのだ。
舞は、父親が犯人ではない事を願って、沢田弓子と真犯人を探しているとも思える。
そして僕が浮上した。だから、復讐に協力したのではないか。
あれこれ考えながら、サークルの事務所に到着した。
パーテーションから奥を覗くと川田雅美がスマホをいじりながら、おやつタイムを満喫していた。
これは運がいい。
「こんにちは」
「あら、要くん。お久しぶりね。どうしたの、そのお菓子」
僕が長机に田村商店で購入したお菓子を並べると、雅美は身を乗り出した。
「安かったんで。皆の分も買ってきました。ご自由にどうぞ」
「本当に?ありがとうっ。駄菓子もあるじゃない。これ懐かしいなあ」
シート状の魚介の酢漬けをつまみ上げて嬉しそうに袋を開けた。
「最近、井上先輩をシェルターで見かけませんが、就職活動ですかね」
「そう?私はよく会ってるけど。もう、決まったって言ってたし、バイトが忙しいのかな。確か、舞のバイト先は……」
川田雅美は僕が通っていた予備校の名前を言った。
思った通りだった。
「そう言えば、井上先輩の家って再婚してるとか聞いたことありますか?」
この話題を振った途端、雅美の顔が曇った。
直球過ぎたのだろうか。
慌てて理由を述べた。
「弟の和也くんが、バス同好会の特別会員なんです。バーベキューの時に、随分、歳の離れた妹さんがいるなって気になってまして」
我ながらまずい理由だと思った。詮索する気 丸出しだ。
「世の中には色々な家庭があるものよ。それより要くん、この前、犯人に間違えられたんですって?」
井上舞の話はスルーされてしまった。普段、噂好きなのに、肝心なところで口が堅い。
「きなこが脱走した時のことですか?」
「そうそうそうそう。大騒ぎになったんでしょ。あれは密輸だって、加藤さんが言ってたわよ」
「密輸?」
「簡易宅配ボックスがあったでしょ。あれに何か入っていたのよ。それで運悪く、要くんが探す仕草をしていたから、警察も間違えたのね」
そうだったのか。
それを何で加藤さんが知っているのか不思議だ。
「それ、拳銃が入ってたかもしれないって、溝口さんが言ってましたよ」
充の声がして僕らは顔を上げた。
充と隆史が来ていた。
二人とも挨拶もそこそこに、机のお菓子を見ると嬉しがって食べ始めた。
「その情報、どこからなの?何で溝口さんが知ってるの?」
雅美が興味津々で畳み掛ける。
「きなこの預かりボランティアをしてくれているご夫婦の、奥さんの友達の、旦那さんの
親戚が、あの空き家の持ち主らしいです。警察から連絡が来るまで宅配ボックスがあるなんて知らなかったらしいですよ。それで、そのまま要請があって、協力したそうです。加藤さんが、預かりボランティアさんから聞いて、溝口さんと話していました」
充が言い間違えないようにゆっくり言った。
オバさん達の情報網は凄い。
どこかで誰かと繋がっている。
「でも、拳銃なんて。密輸なら最近は金なんじゃないの」
「手口って言うんですか、4月にあった、銃乱射事件の、銃の入手方法が似てるって」
「ああ、あの事件ね。最近やらなくなっちゃったけど、前は結構ニュースで言ってたわね」
4月の銃乱射事件は、僕が家族と夕飯を食べている時に流れたニュースの事だろう。
犯人は僕と同じ思考の人間だと思ったから覚えている。
入手方法が騒がれていたなんて知らなかった。
「ごめん。お待たせ」
もう一人、4年生の女子がやって来て、シェルターへ向かう事になり、この話は立ち消えになった。
充の車でシェルターへ移動中、隆史が聞いてきた。
「要、急なんだけど、明後日の木曜日、授業休めるか?」
「大丈夫だけど?」
今日は必修科目も休んでしまったし、もう、授業はどうにでもなれという気がしている。
「和也が、平日に乗り物同好会の活動をしたいって」
和也の提案?
夏休みに旅行の企画を立てたい隆史が、最初に、受験生である和也に予定を聞いたことろ、和也の方から、とあるバス弁当を食べたいと言い出したらしい。
「もう、受験でどこにも行けなくなるからって言われたら、和也の企画を優先しようと思ってさ。日帰り旅行になるけどな。で、その弁当は結構人気なんだよ。夏休みに入ったら余計、入手しづらい」
僕らのバイトの日程や、和也の日程を色々と調整したところ、一番早くて都合の良いのが明後日になった、という。
「和也の学校は大丈夫なの?」
「どうするのかわからないけど、上手くやるって言ってるよ」
僕としては、旅行も出来て、和也にそれとなく井上家の内情を聞く機会も巡ってきて、有り難い事この上なかった。
シェルターに着くと、隆史が側にやって来て、囁く様に言った。
「あのさ、これも急なんだけど、俺、来週でバイト辞めるから」
「えっ……、何で」
そんな前兆は無かったので僕は驚いた。
「あの社長が誰だか思い出したんだよ」
隆史が言うには、昔、大阪で荒れていた時に関わったグループの、関東のトップだった気がするそうだ。
「……気がするだけ?」
「何しろ一回しか見た事がないからな。でもいいんだ。疑わしい物を遠ざける事が肝心なんだ。もう二度と関わらないって決めてるから。爺さんの介護が必要になったから近くでバイト考えたいって山野さんに言ってある。嘘だけど。悪いな。でも、荷物少ないし、要と山野さんでも充分だろ」
「隆史が関わったグループって?」
「窃盗。見張り役だったけど。お前も気をつけろよ」
隆史はそう言って「こんにちは〜」とシェルターの中に入って行った。
隆史が、いなくなる。
僕には社長の事よりも、一対一で山野さんと働く事が心配だった。
けれど、と思った。自分で自分に喝を入れた。
いい加減、自立しよう。
この日の活動には井上舞も来ていた。いつもと変わらず挨拶を交わし、いつもと変わらず一緒に猫達の世話をした。
心なしか、舞が僕と目を合わさないようにしているのではないかと感じた。
井上舞が、今、何を考えているのか知りたいし、犯人は僕ではないと宣言したいけれど、それを僕から言えば、想定外の墓穴を掘りそうで怖い。
普段の顔で、お互いに会話をしながら、腹の中では探り合いをしている緊張感で息が詰まる。
そんな事とは知らない隆史が、舞と、明後日の日帰り旅行の話を楽しそうにしていた。
旅行で和也に会う前に、僕は自分なりに水越明子の事件の報道記事やネットニュースを見て、情報を掻き集めた。
それによると、水越明子は近くのスーパーに勤務していて、あの日は早朝のシフトだったらしい。いつもは自転車で通勤していたけれど、雨の為、徒歩にした様だ。
ネットの地図を見ると、西町公園を過ぎた先の通りにスーパー・イソヤマの文字を見つけた。
ここが勤務先だろうか。
地図を見る限り、この地域のスーパーは、ここしかない。
スーパー・イソヤマのホームページには、『地域の皆様と共に』から始まる挨拶文が載っていた。
今年で創業45周年とある。
チェーン店ではないらしい。
店長の写真は無く、名前だけ、磯山茂樹と紹介してあった。
『悲劇 自宅から50メートルで刺殺』のタイトルから始まる記事には、水越明子はサバイバルナイフで心臓を一突きにされ、即死だった事や、当時、水越家の隣家と向かいの家は旅行中であり、気付かれずに発見が遅れたと書いてあった。
近所の外出状況も、その地域に住んでいれば、容易に知る事が出来るだろう。
僕の中では父親が、限りなく黒に近いと感じる。
なのに、警察が逮捕しないのは何故か。
もし、犯人が別にいるとしたら、水越明子が個人的に誰かに恨みを買っていたとしか思えない。
この前、3年振りに現場を歩いた時に気付いたけれど、水越家のあった場所は、玄関前と横が通りに面している。
横道は幅約2メートルの路地だった。隣家とは間が空いていたから、その路地に誰かが隠れていても犯行は可能だ。
父親だったのか、全くの別人か。
六原さんの言うように、僕の近くに真犯人がいたのは間違いないけれど、思い返しても水越明子の赤いレインコートが浮かぶだけだ。
僕は自分の記憶を頼りにするのはやめた。
ついでに、誤認同行されそうになった銃乱射事件についても追ってみた。
どこの新聞もネットニュースも、最終的には入手経路について報じていた。
乱射した本人は、ネットのサイトから購入したと言っていて、そのサイトは購入と同時に消えたらしい。その後は、アナログに手紙で連絡し合っていて、代金も郵送で支払ったそうだ。
郊外の空き家を指定され、赴くと簡易宅配ボックスが置かれていた。予め、鍵は送られていたから、中身を出し、ボックスは折り畳んで回収したとしている。
組織的な犯行ではなく、個人的な売買であったらしい。
銃を調達、販売した人物は捕まっていない。
以前の僕が、銃を手にしていたら、誰かを巻き込んで自殺していた可能性は高いと思う。
人命を守ると同時に奪う道具、負の衝動を瞬時に形にする道具。
以前の状態の僕みたいな人間に渡らない事を祈るしかない。
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