第15話 捜査

 朝、一度家を出て、母がパートに行った時間を見計らって家へ戻る。

 普段、見ない郵便物を探して、目当ての年賀状を見つけた。

 その住所を頼りに本物の伯母を訪ねる。

 真犯人を見つける前に、聞きたい事があった。

 電話番号は書いてなかったから、突然の訪問になる。

 同じ関東の郊外の地、電車で30分程の距離。こんなに近くだったのかと思う。

 中規模分譲マンションの1階、オートロックは無い。玄関横のインターフォンを押したけれど返事はなかった。

 40分、ゲームをしながら待った。



「……かなくん?」

 微かに声が聞こえて僕は顔を上げた。

 廊下の遠くから、買い物袋を下げた真澄伯母さんが驚いた顔で立っていた。

 最初驚きはしたものの、すぐに笑顔になって家へ招き入れ、アイスティーと、僕の手土産のクッキーでもてなしてくれた。

 伯母さんは昔、僕を、かなくん、弟の司は、つーくんと、ちょっと独特な愛称で呼んでいた。

 真澄伯母さんは、夫と母、つまり僕の祖母との3人暮らしで子供はいない。

 祖母は今、デイサービス行っているそうだ。

 夫妻共に小学校の教員だけれど、伯母さんは介護のため、スクールアシスタントをしているという。今日は幸運にも休みの日だった。

 少し老けた印象はあるけれど、一つにまとめた髪型も、落ち着いた服装も昔の印象のままだ。相変わらずフレンドリーで、大好きだったのを思い出す。

 母とはたまに、祖母の相談で会っていて、SNSも見ているので、僕らの近況を知っていた。大学入学も祝ってくれた。

「お祖母ちゃんにも会わせたかったわ。今日はどうしたの?」

 僕は気味悪がられるのは承知で単刀直入に聞いた。

「僕……、どんな子供だった?」

 伯母さんは驚いて黙った。

「これから就職があるから、自分がどんなタイプなのか知っておきたいんだ。なりたい職業に合わせて進む人間もいるけれど、自分のタイプから仕事を決める人間もいるでしょう」

 気味悪がられた時の為に用意しておいたセリフを言ってみる。

「そう……、大人しいけど、芯が強いタイプね。物事に集中して取り組む子だったわ」

「僕、小さい頃から発言が苦手だった。

 その辺、どう思う?」

 また黙った。

「……そうね。自分の感情を表現するのが苦手なところがあったかもね」

「母さんはその辺、どう思ってたかな」

 三度、沈黙した。

「……かなくんと会うのは12年振りね。せっかく来てもらったんだもの。正直に言うとね、一度、発達関係の受診を勧めた事があったの。私の経験上、大人しい子でも、表現するのが苦手だと、怒りが溜まる気がしていたから。そうしたら、真紀子が普通じゃないみたいに言わないでって、凄く怒って。普通なんて、人によって違うのにね。私の言い方が悪かったのかもしれないけど。でも、今、こんなにスムーズに会話しているじゃない。生活の中で鍛えられたのね。人間、自然と社会に順応していくものよね」

 順応したとは言い難い。僕の方法は「閉じること」だった。

 僕の場合、伯母さんの見立ては正しかったと思う。怒りが溜まった挙げ句の今だ。

「伯母さん、いつの間にかウチに来なくなったよね」

「私、出入り禁止になっちゃったの。子育てに口を出し過ぎたみたい」

「僕のせい?」

「違う違う。私のせいよ。かなくんが、父に、お祖父ちゃんに似ているって、よく言ってたの」

 郵便局員だった祖父は、僕が幼稚園の頃に亡くなった。

 母は、祖父と仲が悪かったらしい。

 祖父は車やバイク、鉄道が好きで、動物好きだった。母の小さい頃、犬を飼っていた時もあるという。初耳だった。

 乗り物には必要以上の興味は無く、生き物全般が苦手な母だから、飼い犬の世話は苦痛だったのかもしれない。

 真澄伯母さんによれば、母親は第一子に神経質になるという。僕を祖父のような人間にしたくなかったのだ。

 母の真実は、ただ、自分の好みの通りに生きたい、というだけなのかも知れない。

 同じ考えの父と結婚し、好きな物に囲まれて暮らすはずだった。僕が祖父似ではいけなかったのだ。

 別に落胆はしなかった。今までの人格を否定する言動の理由がわかってすっきりした。

 僕の今までの真実は、閉じていれば生きられる、だったけれど、本当は、マイペースに生きたい、なのだと思う。

 親子だろうと、価値観が違えば一緒に暮らすのは苦痛だ。

 お互いの価値観と多少でもリンクすれば、もう少しやりやすいけれど、僕の直感は、あの両親とはリンク出来ないし、したいとも思わないだろうと言っている。

 向うも同じかも知れない。

 隆史の家族みたいに別々で暮らした方が、精神的にはよっぽど良い。

「あなたのお父さんからも相談された事があったけど」

 父が?

「かなくんのペースで丁寧に勉強や日常生活を教えてくれる所に行くべきだと言ったのよ。でも、与えられた環境で切磋琢磨するのが堀家の方針ですって、方針を貫きたい気持ちと、かなくんに合わせるべきなのかって悩んでたみたい」

 父なりに僕との関わり方を考えていたらしい。

 しばらく二人とも沈黙した。

「……真澄伯母さんは、僕の見方?」

 急に僕は6歳の自分に戻った感覚で聞いた。伯母さんは何かを察したのか、大きく頷いた。

「いつでも、どんな時でも味方よ」

 勇気が出た。

 僕は「捜査」に乗り出す事にした。

 早めのお昼はどうかと誘ってくれる伯母さんにお礼を言って、僕はマンションを出た。

 梅雨明けの日差しが強烈だった。



 犯人は現場に戻る。

 何かで聞いたこのフレーズ通り、僕は3年振りに現場に戻った。

 カッターを回収しに西町公園へ行った時は、この道を避けて、反対側の入り口に近い駅から行ったけれど、今日は3年前の、あの時と同じ道を公園まで歩く。

 水越明子は誰かに狙われていた。

 この道の何処かに真犯人が潜んでいたはずだ。出来るだけ記憶を辿りながら歩いてみた。

 幅3メートル程の路地に入る。

 平日の真っ昼間の今日も人通りは無い。

 この路地からも、左右に別の路地が伸びていて、建物や電柱の影に潜もうと思えば潜んでいられそうだ。

 水越明子を見つけた地点から意識を集中して歩いていると、あれっと思った。

 通りに面して、住宅の中にぽつんと月極駐車場がある。

 3年前、これは無かった。

 4台しか停められない、家一軒分の広さだった。

 ここから50メートル程離れた所で僕は水越明子の鞄に切り付ける。

 水越明子はバランスを崩して電柱にぶつかり、転倒。持っていた傘が僕の方へ飛んでくる。

 それを避けて、そのまま通りの右側を爆走。途中、右側の路地に、お爺さんと犬、つまり、タロウがいて、僕は更に慌てて爆走……。

 僕はタロウと遭遇したと思われる地点に立った。

 ここは路地の交差点になる。目の前を真っ直ぐ行くと公園、右にはタロウ、左は、……これは店か?

 左には車の通れない、細い道が続いている。

 道の端には自販機と古びたベンチが2台、そこに沿うように、古い家屋が建っていた。

 軒下に緑色のビニール屋根があり、所々剥げた文字は「田村商店」と見える。「たばこ」の錆びた小さな看板もぶら下がっていた。ガラスの嵌った木戸はピッタリ閉まっているけれど、奥に、何か商品が陳列してあるのが見える。

 ジリジリと太陽が照りつけていた。

 空腹を覚え、喉も乾いたので、僕はその店で何か購入しようと軋む戸を開けた。

 店内は薄暗く、店員が誰もいない。

 年季の入った木製の内装に、木製の陳列棚、床はコンクリートが剥き出しで、何故か古いベンチが2台と、長机が置いてある。イートインスペースだろうか。

 クーラーは設置してあるけれど、稼働していない。なのに、空気はひんやりしていた。

 商品はコンビニやスーパーでよく見かける菓子パンとお菓子の他に、駄菓子、文房具、台所用品などが置いてあった。

 賞味期限は最近のものだから、この店はきちんと運営されているらしい。

 僕は取り敢えず、焼きそばパンとジャムパンを選んで、空っぽのガラス陳列ケース上にある呼び鈴を押した。

 しばらくして、80代と思われる、少し腰の曲がったお婆さんが現れ、僕を見て、ぎょっとなった。

 精算が済むと、店の外の自販機でスポーツドリンクを買って、並びのベンチに腰を下ろした。

 屋根があるから直射日光は遮れる。

 菓子パンを食べていると、店のお婆さんが、箒と塵取りを持って来て、僕の前を行ったり来たりし始めた。

 ……ここで食べるなって事か?

 真意を図りかねていると、お婆さんから話しかけてきた。

「あんた、この辺じゃ見ない顔だね」

 何だか、変質者だと疑われているらしい。

 もっとも、元・変質者の自覚はある。

「僕、あの大通りの向こうの倉庫でバイトしているんです。まだ時間があるので散歩をしていました。ここは良いですね。静かで、平和で。住むならこんな場所がいいです」

 精一杯の笑顔と、言い訳のスキルを使った。

 お婆さんは、ふんふんと頷くと、警戒レベルを下げてくれたらしい。

「平和なもんかね。3年前、ここで通り魔殺人事件があったんだよ。だからほら、ウチも防犯カメラをつけるようになった」

 お婆さんの指す方向を見ると、古い木材の軒下に似合わない、無機質なカメラが取り付けてあった。

「あんた、学生さん?」

「はい」

「ここは暑いから、中で食べたら。夕方は塾前の小学生で混むけどね。この時間は誰も来ないよ」

「あ……、ありがとうございます。もう、食べ終わるので、またの機会にします」

「そう。熱中症に気を付けるんだよ」

 お婆さんは店の中に戻って行った。

 しまった、と思った。

 これは事件の事を聞くチャンスじゃないか。

 警察ならどこでも聞きに行けるけれど、僕みたいな個人が話を聞き出すのは限られている。

 どうするか。

 口実を考えた。機転がきく人間なら、さっきの会話で聞き出していただろう。僕の場合は難しい。

 10分して、僕はまた陳列ケースの前に立って呼び鈴を鳴らした。

「随分、買うんだね」

 再びやって来たお婆さんは、ケースの上の商品の数に目を丸くした。買うと言っても、二千円〜三千円分位のお菓子や文房具だ。そうでもないと思うけれど、この店では大量買いに入るのだろう。

「バイト終わりにみんなで食べようと思いまして。あの、さっき仰っていた事件、結構、大きい事件だったんですね。これに載ってました」

 と、僕はスマホを挙げた。

「犯人は捕まったんですか?」

「それがねえ、捕まってないんだよ。でも、この辺じゃ、犯人は奥さんの旦那なんじゃないかってウワサだよ」

 お婆さんがレジ打ちしながら答えてくれた。

 想定外の答えだった。

「新聞……、いえ、スマホのニュースだと、犯人はこの通りの前にも切りつけ事件を起こしてると書いてありましたけど」

 僕はレジ打ちの終わった商品を自分で袋詰めしながら聞いた。

「そうなんだけどねえ。お葬式が済んで半年経った頃に突然、引っ越したのさ。この通りにね、月極駐車場があるんだけど、そこが被害に遭った奥さんの家でね。家を潰して駐車場にして、しかもすぐ再婚して、ここより田舎にでっかい家を建ててね」

 あの駐車場が水越明子の家だったのか。

「確かに、急ですね」

 僕は精算に一万円札を出して、時間を引き伸ばした。

「みんな変だと思ってね。保険金目当てに旦那が奥さんを刺したんじゃないかってウワサが立ったんだよ。あの旦那、子供達が一生懸命、犯人を探しているのに、あんまり熱心じゃ無かったし、お姉ちゃんが引っ越した後でウチに挨拶に来た時に、双子の妹が出来ましたって言って、あたしはビックリして……」

 双子の妹。

 その言葉を聞いた途端、頭の中で今までの情報が駆け巡り、カチリと合わさった。

 お婆さんは僕にお釣りを渡し終わっても、尚、話を続ける。

「この話、去年もしたねえ。そう言えば、最初の事件の被害者だって言ってた女の人が来たんだったわ。犬の散歩してた湯島さんの所に随分通っていたみたいだけど、湯島さん亡くなったのよ。その後、どうなったかねえ……」

 僕はお婆さんの言葉が入って来なかった。

 バーベキューをした、井上舞の家を思い出していた。


















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