第14話 隠れる真実

 トイレから戻る間、けたたましい音楽が鳴り響き、「はい、どうしたの?」と言う加藤さんの声が聞こえた。

 僕がリビングのドアを開けると、加藤さんはスマホ片手に深刻そうに話し込んでいた。

「要くん!きなこが脱走したって!」

 電話を切るやいなや、加藤さんが叫んだ。

 きなこは僕と加藤さんが神社で捕獲した、頭に怪我をした茶トラの猫だ。仮名はきなこになっていた。

 僕らは大慌てで久瀬さんにお礼を言って失礼し、現場へ急行した。



 預かりボランティアは初老の夫婦だった。白髪頭でヒョロっとしたご主人の、右手や額に貼られた絆創膏が痛々しい。

 動物病院の帰り、転んだ拍子にバスケットを落とし、蓋が開いてしまったらしい。

 きなこは今日、エリザベスカラーが取れたところだった。

 障害物がないから、狭い場所にも入って行ってしまう。

 4時間探したけれど見つからず、保護団体へ連絡した。既に警察や愛護センターには知らせ済みだった。

 僕らは夫婦が作った捜索用のチラシを近所にポスティングしながら、猫が隠れそうな場所を探した。

 住宅が連なり、小さなアパートや駐車場もある。隠れる場所は沢山ありそうだ。

 狭い一方通行の路地を探し歩いていると、前方からぬっと、車が現れた。

 黒いミニバンだった。

 ゆっくりと進んでくる。

 脇に寄ってやり過ごしたけれど、角を曲がったその後ろ姿が何となく気になって後を追った。

 途中、シルバーの軽自動車が路駐していたので、その下も猫がいないか確認し、顔を上げると、黒いミニバンは消えていた。

 進んだと思われる方向へ行ってみると、カーブの先に、ブロック塀に囲まれた二階建て一軒家があった。

 川の中洲みたいな場所に建っている。

 家の前も、塀の左右も路地に面していて、後ろへ回ってみると、左右の路地が合流して一本道になり、その先の通りへ真っ直ぐ続いている。

 再び前に回って正面の門から敷地を覗くと、全ての窓に雨戸が閉まり、雑草も伸びているのがわかった。どうやら空き家らしい。と、思った時、雑草が揺れて何かが動いた。

 猫?

 目を凝らすと、きなこによく似た猫がいる。

「きなこ」

 呼んでみたけれど、反応がない。

 猫が少し頭を動かすと、治療の跡がはっきり見えた。

 きなこに間違いない。

 僕はきなこを見ながら加藤さんに電話した。

「見つけました!中洲みたいな場所に建っている空き家にいます。ボランティアさんの家から左に……」

「そこまでだ」

「痛っ……」

 後ろから突然、手首を掴まれた。あまりの痛さにスマホを落としそうになった。

 振り返ると、いつの間にか、厳つい顔の中年男が立っていた。

 その後ろにも男が二人いて、僕を取り囲んでいる。

 何事だ?

「取りに来たんだな」

「は?」

 厳つい顔が空き家の玄関を指す。

 よく見ると、小振りの簡易宅配ボックスが置かれていた。

「何をですか?今、猫を探しているんです」

 僕はチラシを広げた。

「ほら、あそこにいるでしょう」

「猫?」

 厳つい顔が眉間にシワを寄せて、ますます厳つい顔になる。「ふーん」と唸ると後ろの二人に目配せをしてから「とにかく署まで来てもらおうか」と僕に警察バッジを見せた。

 刑事なのか、この人。

 一瞬、息が止まった。

 後ろの二人が、僕を逃がさないように左右を挟んで来た。「こっちだ」と、車へ連れて行こうとする。さっき僕がその下を確認したシルバーの軽自動車だった。

 その車がある道の奥から誰かが走ってくる。

「要くん!」

「加藤さん!」

 加藤さんと預かりボランティアの夫婦が来てくれたのだ。

「どうしたの!?」

「実は……」

「どちらさんですか」

 厳つい顔が僕の言葉を遮って加藤さんと対峙した。

 事情を理解した加藤さんが犬猫保護団体のの説明を始めた。

 その間、僕は夫婦に、きなこの場所を伝え、捕獲方法を考えていると、別の保護団体会員が駆けつけてきた。どこに隠れていたのか、他の刑事も、近所の住民も出て来たりで、辺りは一時、騒然となった。

 きなこは驚いて縁の下へ隠れてしまった。無理もない。

 刑事は加藤さん達の説明を受けて納得したのか、簡易宅配ボックスを回収して渋々帰って行った。

 僕らには持ち主の許可がないので、立ち入る事が出来ない。刑事が協力してくれるはずも無く、仕方無くバスケットに餌を仕掛けて入ってくれるのを祈った。

 刑事達は引き上げの際、僕の名前や住所、連絡先を書き留め、学生証も提示させた。

 その一連の行動が威圧的で、不愉快だった。

 人の話を全く聞かない一方的な態度。うちの両親と同じだ。

 自首なんか到底無理だ。

 あの刑事が取り調べ担当だったら、間違いなく殺人犯にされる。

 自首について、簡単に考え過ぎていた。

 僕は償わなければならない。

 それは、僕の罪に対してだ。

 その為にはまず、僕の影に隠れている真犯人を引きずり出す必要がある。



 この日は、加藤さんに送ってもらい、何とかバイトの時間に間に合った。

「何か、巻き込まれたんだって?」

 隆史は事情を知っていた。充からメッセージが来たらしい。

「顔色悪いぞ。大丈夫か?」

 正直、大丈夫とは言えなかった。

 逃亡、真犯人探し、冤罪、裁判、控訴、そんな言葉が頭の中を占めていた。

 高層ビルに到着し、仕分けをしている間も、どうやって真犯人を探したらいいか考えてしまい、何度か荷物を落としそうになってしまった。

「兄さん、気いつけてくれよ。中身を壊すと保証だ何だって面倒だから」

 一緒に働いているお爺さん、山野さんが珍しく文句を言う。

「すみません」

 謝るしか無かった。

「今日はもう帰って休めよ。荷物少ないし、俺と山野さんで何とかなる。ね、山野さん」

 隆史が気遣ってくれた。僕はその言葉に甘えて早退させてもらった。

 隆史から訳を聞いた山野さんが車から何かを出して渡してくれた。

「社長のお土産だ。友達と海外旅行へ行ったんだと。持って行け」

 海外製のチョコレートだった。

「ありがとうございます」

 僕は素直に受け取って職場を後にした。

 高層ビルの配送口から裏通りに出ると、いつも花が一輪手向けてある場所に出る。今日はそこに人が3人も立っていた。

 背広の男性、オフィスカジュアルの女性、制服の男子。きょうだいだろうか。

 そんな事を思いながら、足は家ではなく、久しぶりに六原さんのいる公園へ向かっていた。



 テントを覗くと赤さんが寝ている。六原さんはホームレスを辞めたらしい。住所のメモをもらった。

「夜勤の警備をやってるって言ってたぞ。今から行っても会えないかもな」

 それでも僕は、コンビニでポテトや唐揚げなどのスナックを買って六原さんの家へ向った。

 住所は、狭い道の割に交通量の多い、交差点の角だった。

 よくここへ建てたなと感心するほど狭い土地に、新築の1Kアパートが建っている。

 呼び鈴を鳴らすと、運良く六原さんは居た。

 髪を短く切ってサッパリしている。前よりも、はつらつとした雰囲気だった。

「久しぶりだな。また会えるとはね。赤さんの事だから、メモなんて無くすかと思ってたよ」

 歓迎してくれた。

 これから夜勤の仕事に出るところで、出勤まで2時間あるそうだ。玄関に入るとすぐ、部屋全体が見渡せる。家の中に折り畳み自転車が置かれていた。

 沢山あったバスの方向幕は、幾つか棚に飾られているだけで、残りは見当たら無い。

「何しろ狭いからな。レンタルトランクに入れてある」

 六原さんは、小な茶卓を部屋の真ん中に出して、麦茶まで出してくれた。

 スナックを片手に雑談が始まる。

「ホームレス辞めたんですね」

「ああ、そろそろ潮時だと思ってね。お前さんには感謝している。色々と話を聞いてくれたしな」

 思ってもみなかった。

「僕が?」

「そうだ。あの時、話かけられなかったら、まだ再出発は出来ていなかったかも知れない」

「僕が話しかけましたか?」

 今度は六原さんが意外そうな顔をした。

「そうだよ。赤さんを助ける時にな」

 そうだった。あの時は自分から人間関係を作る事が出来ていたのか。

「今日は俺のアパートデビューのお祝いに来てくれたのか」

「それもあります。あと、僕、逃亡しなきゃいけないかも知れなくて。ホームレスの心得を教えてもらえたら……」

「え?何で」

 僕はもう、今の問題を一人で抱えていられなかった。

 両親との確執で通り魔を起こしたことから復讐の対象になり、死ねなくなった今、死ぬ事を求められている。更に濡れ衣を着せられそうになっていると、洗いざらい喋ってしまった。



 一通り話を聞いた六原さんは「なんでそんな事をしたんだ」とか、「早く自首しろ」とは言わなかった。

 しばらく沈黙した後に「天の岩戸伝説だな」と、つぶやいた。

「伝説?」

 予想もしていない言葉に思わず聞き返した。

 六原さんはそれには答えず、

「死ぬだけが償いじゃないだろ」と、僕を見て言った。

「そりゃ、死んでお詫びするのも、もちろん償いだが、それが出来ないなら、生きて怒りを受け止め続けるのも償いだと俺は思う。

人間、生きたいのに死ななきゃならない、死にたいのに生きなきゃならないってのが一番、こたえるんだ。俺も、あんたも、今、その苦しみを味わっている。味わったからこそ、反省がある。その沢田さんも、つまりは反省してもらいたかったんじゃないか」

 沢田弓子の意図を考えさせられるも、別の事が気になった。

「六原さんも、ですか?」

「お前とは気が合うな。俺も人を死なせたんだよ」

 六原さんは自嘲気味に言った。

「人間、20年も生きてると、大体、人生の価値観が固まってくる。俺はそれを、その人間の真実って呼んでるが、50にもなると尚更固い。

 俺の真実は、簡単に言えば偏差値だった。良い学校=偏差値の高い学校、ここには難癖つけてくる変な奴はいない。その学校を出た奴らが住む場所は清潔で安全だ。その学校を出た奴らが働く会社は社会に有益な物をもたらす。

 だが、俺の影響を受けた生徒が死んだよ。受験に失敗して、そういう学校に入れなくて、そういう人生を歩めなければ終わりだと思ったらしい。環境が変わるのに耐えられなかったんだな。

 その親が報告に来たんだ。俺の真実はそいつには有害だったと」

 六原さんは学習塾を経営していたと聞いたのを思い出した。

「俺達は復讐の対象だ。過去はもう直せない。どんなに楽しい場面でも、怒りがある事を忘れない。受け止めつつ生きる。それしか無いと、俺個人は考えている」

 怒りを受け止めながら生きるか。僕の中でも答えが出た気がした。

「まあ、これは俺が2年かけて辿り着いた感想だからな。他人にも当てはまるとは言い切れない。その人間の真実は、その人間が体験して感じた事だからな。お前は、お前の真実を見つけるしかないだろうな」

 僕の真実か。僕の真実は何だろう。

「濡れ衣の件だが、結果には原因があるだろ。何でそのオバさんは殺されなきゃならなかったのか。それに、お前、その時、真犯人見てないのか?よく思い出してみろ。逃亡する前に考え付く事は何でもやってみるんだな。自立するまで両親はとことん利用しろよ。夏はまだいいが、冬場の野宿は辛いぞ」

 六原さんは笑って話を締めくくった。

 最後に格安スマホを買ったと言う六原さんと連絡先を交換して同時にアパートを出た。

 六原さんは仕事へ行き、僕は家へ帰った。

 気持ちが少し軽くなっていた。












 

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