第13話 罰

「何してるの?」

 加藤さんが僕の手元を覗いてくる。

「タロウが、……どうしているのかと……」

 今更ノートを閉じる訳にもいかず、どぎまぎしながら答えた。

「うんうん。そうかあ。要くん、タロウのお世話係だったもんね。気になるよね。丁度良かった。これから久瀬さんのお宅へ行くのよ。手伝ってもらえる?あ、大学は大丈夫なの?」

 もう、必修科目は受けて来て、バイトの時間まで空いていると説明した。

 久瀬さんが沢田遼と母親について何か知っているかも知れない。僕はスマホを仕舞った。

 今朝、シェルターに大量のドッグフードの寄付が届き、その一部を分けに行くそうだ。

「久瀬さん、私達の活動を応援したいって、預かりボランティアになってくれたの。そしたら、すぐに預かりの必要なワンちゃんが来てね。チョコちゃんていう子なんだけど、面倒見てくれてるの」

 言いながら加藤さんは、在庫置き場になっている押入れから15kgのドッグフード1袋とペットシーツ3袋を出した。

 それを車に積むとすぐに出発した。

 着いた場所には見覚えがあった。

 最初に事件を起こした通りに近い。あの時は別に番地を気にしていた訳ではないから、僕の中で履歴ノートで見た住所と風景が一致しなかった。

「いらっしゃい」

 小豆色の屋根瓦に、くすんだ白い外壁の庭付き一戸建て住宅の玄関が開いて、久瀬さんが出迎えた。

 ショートカットで背が低く、ガッシリした体型で、人の良さそうな柔和な顔つきをしている。加藤さんと同年代、50代後半だという。

 ドッグフードとペットシーツを運び込む。リフォームしたのか、他に比べてまだ新しいフローリングの部屋にタロウはいた。僕を覚えていて、尻尾を振りながら側にやって来た。そしてもう一匹、エリザベスカラーを付けたダックスフントもいる。

 後ろ足に包帯をしているけれど、元気そうだ。

「どう?お世話が負担になってない?ごめんなさいね、急に頼んで。エリザベスカラーが取れたらシェルターでも面倒見られるんだけど」

「いいのよ。タロウも仲良くやってくれてるし、私も生活に張り合いがあって、返って感謝してますよ」

 フローリングの部屋と続きになっているリビングで、テーブルにお茶を並べながら久瀬さんが言った。

 チョコは交通事故に遭って後ろ足を骨折してしまった。名前入りの首輪をしていたので、飼い主が探しているかもしれないと、警察や愛護センターに知らせを出しているけれど、連絡はまだ無いそうだ。

 久瀬さんは、お茶に続いて自分が作ったという稲荷寿司や太巻き、漬物をテーブルに並べた。

「もうお昼でしょ。食べて行ってよ」

 折角なので、僕らは頂く事にした。

「こちらのフローリングのお部屋、新しいわね」

 加藤さんが稲荷寿司を食べながら言った。

「一昨年に和室をリフォームしたの。主人が車椅子になってね」

 久瀬さんのご主人は一昨年、この部屋が完成した後、3ヶ月経たずに亡くなったらしい。その時の介護やリフォームの話で二人は盛り上がっていた。

 ちょっとしたきっかけで話題が決まり、そこに共感を入れて相槌を打たなければならない女子の会話は僕にとってハードルが高い。僕は完全に蚊帳の外だけれど、どこかで沢田の話を入れなければ。

「あの、沢田さんはお元気ですか」

 少し間が空いた瞬間、思い切って聞いてみた。

「沢田さん?」

 リフォームの話をしていた久瀬さんは意外そうな顔をしたけれど、すぐに話題を沢田に移した。

「沢田さんね、入院しちゃったのよ」

「あらっ。入院したの!?」

 僕よりも加藤さんのリアクションが大きい。

「腎臓が悪いみたい。酷くなっちゃって。入院前に会ったんだけど、手術後は面会謝絶で絶対安静。気の毒にねえ」

 久瀬さんは「気の毒」から色々と連想したらしく、その後も話を続けた。

「沢田遼っていうピアニストご存知?沢田さんのお子さんなの」

「あの、男装のピアニスト?確か去年、事故か自殺かで亡くなったんじゃない」

 すぐに加藤さんが反応する。

 僕は絶句した。

 事故?自殺?

 久瀬さんは立ち上がって、いくつかパンフレットや雑誌を持って来た。

「苦労してようやく花が咲いたのに、惜しい事をしたわ。私の上の子と同級生なのよ。町を挙げて応援していたから皆、残念がってね。沢田さんは本当に落ち込んで。心配したわ」

「確か、スランプの末の自殺よね?」

 加藤さんが雑誌をめくりながら聞いた。

「正しくは事故なの。睡眠薬の飲み過ぎで、中毒を起こしたらしいの。遼子ちゃん、あ、昔は遼子ちゃんて呼んでいたんだけど、スランプになる2年くらい前に、そこの駅へ行く道で通り魔に遭ったのよ。傷は大した事なかったのに、やっぱり繊細なんでしょうね。完治しているのにピアノを弾くと、切られた右肩が痛むんですって。その痛みが気になって思う様に弾けなくなったって、荒れてしまってね」

「まあ、じゃあ、沢田さん、犯人が憎いわね。捕まったの?その犯人」

「それが、捕まってないの。ここは防犯カメラなんて無いし、ゴールデンウィークの早朝だったから、皆、出掛けてたり、目撃情報も無くてね。でも、当時は過擦り傷程度ですぐ治ったから、沢田さんも追求する感じじゃなかったの。ただ、結局それが原因のスランプでしょ。遼子ちゃんの四十九日が終わってから犯人を探し始めたのよ」

「探すって、2年も経ってたら難しそうね」

 加藤さんが興味深々で聞く。

 僕は居たたまれなくなったけれど、逃げる術がない。気を紛らわす為に太巻きを頬張る。

「沢田さんは諦めなかったの。犯人を見つけたって言ってたわ」

 太巻きを食べていた僕は喉に詰まらせそうになってお茶を飲んだ。一気に緊張した。

「あら、じゃ、捕まったのね。犯人」

「それが、信憑性がないって、警察は取り合わなかったのよ。犯人は同じ日にもう1件事件を起こしていたみたいで、沢田さん、そっちを調べていたら、目撃者を見つけたの。それがタロウの飼い主さんなのよ。タロウも、犯人を見たんじゃないかしら。何でも犯人の自転車に印があって、そこからわかったって言ってたわ。でも、そのご主人、この春に亡くなったんだけど、認知症でね。刑事さんが何度か聞き込みっていうの、した時は覚えて無かったらしいのよね」

 タロウがあの時のお爺さんの犬……。

 信じられなかった。

 それに、自転車の印……?高校の校章入りステッカーの事か。

 卒業と同時に母が処分して、今は新しい自転車になっているから、そんな物が貼ってあった事をすっかり忘れていた。確か、学年別に色分けされていた。

「そうだったの……。タロウが犯人を見たら、吠えたりするのかしら」

 僕と加藤さんが視線を向けると、タロウは呼ばれたのかとテーブルに寄ってくる。僕の気持ちを知ってか知らずか、膝に頭をのせてきた。穏やかな目で僕を見上げる。

「タロウはそんな感じじゃないわね。」

「沢田さんは望みを託しているかもよ。飼い主さんが亡くなってから、奥さんは足が悪くて施設に入るって言うし、お子さんは賃貸で飼えないっていうから、沢田さんが必死に里親を探してたのよ。私も考えさせてもらって、結局、相棒として迎えたんだけどね」

「犬に当てさせるのは、それこそ信憑性ないわね。他に何か無いのかしら」

「今年に入ってから、沢田さんがマークしてた犯人が、2件目近くの公園で植え込みをじっと見てたんですって。で、沢田さんが探したらカッターが出てきたんですって。なのに警察ったら凶器は出てますって聞かなかったみたいよ。でも鑑定だけは頑張ってしてもらったんだけど、カッターの先が折れてて何にも出てこなくてね。それで沢田さん、先っぽを探して植え込みを掘り過ぎて通報されてしまった事があったわ。ご親戚が遠方で、私が引き受け人になったのよ」

 今年の初め、僕が西町公園へ行った時、ジロジロ見ていた買い物帰りのおばさん。

 まさか、あのおばさんが沢田では……。

「執念ねえ。お体も悪いのに」

「そうねえ。旦那さんも施設に入ってるし、沢田さんは車の運転出来ないから、自宅を売って、病院近くのマンションに引っ越してね。通院しながら犯人探して。豪邸だったから資金は潤沢なのよ。探偵さん雇ったって言ってたわ。けど、大変よね。」

「きっと沢田さんにとって犯人探しが生き甲斐なのよ。そうしていると気が紛れるんじゃないかしら。私なんか、この活動と絵が生き甲斐だけど」

「素敵じゃない。私はね、ママさんバレー。もう、20年になるかな」

 加藤さんと久瀬さんの話題は、お互いの趣味に移っていった。

 高校を割り出した後、どうやって僕を特定したのかわからないけれど、最終的に、沢田の読みは当っていた。

 警察が動かないから、僕に私刑を与えたくなったのだろうか。

 目の前のパンフレットには、キッチリとスーツを着込み、哀しそうな、それでいて意志のある涼やかな目をした沢田遼が載っていた。

 LGBT、彼が乗り越えた苦悩はどれ程のものだったのだろう。思いを馳せても僕は逆ギレしてしまう。

 一番不幸だったのは僕なのに。人前で脚光を浴びるあなたが、少しくらい、僕の怒りを受け止めてくれたってよかったのに。

 少し雑誌をめくってみた。 

『育ての旅 沢田弓子』のタイトルが目に飛び込んで来た。

 明るい日差しの中、ガーデンカフェなのか、草花をバックに、対談者と白い椅子に座った沢田弓子が、にこやかな表情でこちらを見ている。譲渡会での暗さは微塵も感じられなかった。

 雑誌には、沢田遼の幼少期からピアニストとして成功するまでの軌跡が綴られ、遼の悩み、父親との確執、ピアノを一度やめてしまった時期など、どの様に苦難を乗り越えたのか、沢田弓子の体験談と持論がまとめてあった。

『親が、どんな人間にしたいか、ではなく、子供が、どんな人間になるのかを見守るのが親の仕事だと思っています。

 その上で、成功体験が人を育てるという意見に賛成です。

 一度、気持ちを閉じた子供でも、きっとどこかに風穴があるはずです。

 例え親の否定しているものであっても、社会に迷惑がかからないのなら、その子の成育歴から夢中になれるもの、やって楽しいものを最初は無理矢理でも向けてみる。駄目ならやめればよいのです。

 親が子供の生きやすい環境を与え、サポートに専念すれば、子供は成功体験を積みやすく、最終的に自立し、生きる喜びを感じるはずです。』

 この文章を何度か読み直した。

 沢田弓子は、この持論を僕に実践したのだ。

 これを罠と呼ぶなら、僕はまんまとその罠に引っ掛かってしまった。

 風穴を開ける役目は阿久津。サポート役には阿久津、充、香音。夢中になれるものはサークル活動、自立はバイトだろう。

 明るい表情の沢田弓子の写真を、暗く、怨念のこもった沢田弓子の顔が覆った。

 僕にメッセージを発している。

 生きてて辛いのはお前だけじゃない。

 ただでは死なせない。

 死は僕にとって開放だった。けれど、沢田弓子は、死が罰になる様に仕向けたのだ。

 きっと、それが復讐だった。

 僕は雑誌を閉じた。

 ピシャッと音がして加藤さん達が驚いて僕を見た。

「すみません……、あの、トイレ、お借り出来ますか?」

 動揺を悟られない様に誤魔化して席を立った。

 足元がフワフワしていた。

 けれど、と思った。

 誰が僕に復讐しているのかは、はっきりした。けれど、沢田弓子の持論からいくと、5月の襲撃は少し早すぎるのではないか。

 沢田弓子は車を運転出来ない。誰かに頼んだ?それとも関係ない通り魔だったのか?それに、水越明子を刺した犯人の手掛かりは何も無い。

 僕はこのまま自首しても大丈夫なのだろうか。

 

 

 





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