第12話 崩壊
拠り所の崩壊は突然だった。
自首するかしないか迷っている内に数日が経ち、神社の茶トラも捕獲して、一時預かりボランティアに引き渡せた後、偶然、噂話を聞いてしまった。
シェルター外の水場で捕獲器やケージを洗っていた時、薄い壁を通して川田雅美と他の女子メンバーが中で話しているのが聞こえて来た。
早くも夏休みの旅行だとか、彼氏とどこへ遊びに行くとか、何気ない会話の中に、小谷香音の名前が出てきた。
聞く気も無いのに耳がそば立つ。
「私の今のバイト先、駅前商店街の居酒屋なんだけど、香音ちゃんの彼氏がいるみたいなの」
「へーっ。何でわかったの?」
「だって、彼氏がバイト終わる時間に入り口で待ってるから」
その彼氏は俳優の卵で相当なイケメンらしい。店の人の話によると、4月から香音を見かけているという。
どこでどう出会ったのか、雅美達は憶測話で盛り上がっていた。
僕とわざわざ出掛けたのは単なる気まぐれだったのだろうか。
自首すると決めてから、香音の事は諦めていたけれど、どこかで予期していた展開が当たって妙に納得したのと、信じられないのと、落胆の入り混じった複雑な心境だった。
香音は最近、保護シェルターに来ていなかった。
気にしていないつもりでも足が商店街へ向かう。
バイト帰り、隆史と別れて駅前の商店街をフラフラと歩いた。
そんなに都合良く見つけられないと思いつつも居酒屋を見ると出入り口に香音がいないか確認してしまう。
商店街の端まで来た時、角の居酒屋の入り口にスマホを操作しながら香音が立っているのが目に入った。
僕は歩みをその場で止めた。
香音も何かを察知したのか顔を上げた。
僕らは数秒目が合った。
香音の顔に、みるみる緊張の色が帯びていく。その時、居酒屋のドアが開いて相手の男が出て来ると、香音は何事もなかったかの様に僕が来た道を楽しそうに歩いて行った。
翌日、僕は香音から大学の駐車場に呼び出され、出向くといきなり封筒を渡された。
夏の日差しが眩しい。梅雨明けが近づいていた。
駐車場と大学敷地の境目のフェンスに、伸びたケヤキの葉が木陰を作っている。その下で香音は深々と頭を下げた。
「ごめんなさい」
封筒の中を見ると、10万円程入っている。
「……このお金は?」
「要くんのおばさんから頂いたの。嘘でもいいから要くんと付き合ってくれないかって」
「僕のおば?」
父の兄のお嫁さん、麻子伯母さんがそんな事をするはずがない。
他におばさんは、いない……いや、伯母さん、真澄伯母さん。そうだ。母の姉の真澄伯母さんがいた。
遠い記憶だった。
ところが、香音は全然違う名前を挙げた。
「黙ってて欲しいって頼まれたけど、タロウの里親さんを紹介してくれた人、ニシ マチコさんって言ってたよ。知らない?」
息を飲んだ。
真澄伯母さんの面影は一瞬で吹っ飛ぶ。
代わりに譲渡会でタロウについて説明した、陰鬱な中年女性の顔が浮かんだ。
「遠い親戚で、要くんとは赤ちゃんの時にしか会ってないって言ってた。本当に親戚なの?失礼かも知れないけど、凄い怪しい変な人だよ」
香音は容赦ない。
「うん……」
曖昧な返答しか出来ない。
「私、上京してきてお金に困った時に、万引きした事があって。それをニシさんが見てたみたいで。要くんが心配だから、楽しく大学生活を送れるように協力してくれたら、彼氏にも私の大学にもバラさないし、協力金も出すって脅されて。まあ、私もお金に困ってたし、つい乗っかっちゃった。でも、もう嘘つくのが辛くて。最近、ニシさんから連絡ないし、バラされてもいいよ。ちゃんと償います。だから、そのお金も、ほとんど使っちゃったんだけど、ニシさんに返して欲しいの。本当にごめんね」
「いや、こっちも何か、ごめん。……ありがとう」
やっとそれだけ言った。
僕は香音の気まぐれにもなっていなかったのか……。
ショックだった。
「私、別の合同サークルにも入ってて、ボランティアサークルは辞める予定なの。井上さんには言ってあるから。要くん、元気でね」
香音はいつもの弾けるような笑顔でそう言って駐車場から出て行った。そして、待っていた車に乗り込んで行ってしまった。
車が走り去る方向を呆然と見ていると、背中にドンと誰かが体当たりしてきた。
よろけながら振り返ると隆史がいた。阿久津もいる。
隆史は「行くぞ」と有無を言わさず僕を車の前まで連行した。充が運転席で手をあげている。
「悪い。偶然見てしまったんだ」
隆史が僕にそう言うと、阿久津が隆史に向かって「ごめんなさい」と深々と頭を下げ、「じゃあねー」と手をヒラヒラさせながらバックスキップで遠ざかる。
「そっか……」
つまり、3人は僕がフラれたところを見た訳だ。
「何も言うな」
隆史は僕の背中をバンバン叩いた。それから、いつまでも遠ざかる阿久津に「おい!どこまで行くんだよ。戻って来い」と、怒鳴ると、僕を車に押し込んだ。
その後は、カラオケで失恋ソングやら人生の応援歌やら3時間は歌いまくってくれた。僕が歌は苦手だとわかっているから無理強いはしてこないけれど、「一緒に歌え」と、マイクを渡されたので、2、3曲は歌った。やけくそで大声を出したら少しスッキリした。バッティングセンター、ボーリングで遊んで、ファミレスで夕飯を食べた後も無駄話をして過ごした。
僕を励まそうとする3人の気持ちが単純に嬉しかった。
帰りの車内は静かだった。はしゃぎすぎた反動で誰も話さない。
後部座席でぼんやり窓の外を見ていた阿久津がぽつりとつぶやいた。
「俺、今月で退学するから」
「え?」
僕と隆史が同時に言った。充は知っていたのか押し黙っている。
「威張りくさってた父親が倒れやがった。見栄っ張りが酷いヤツでさ。金ないくせに俺に大学だけは卒業しろなんて言って夜間にいたけど、もう無理だな」
「辞めてくれって頼まれたのか?」
隆史が聞く。
「いや、そのまま卒業しろの一点張りだけど、ウチの家業も結構ヤバくてね。俺が自分で決めた。特に勉強したいものも無いし。カフェのバイトは続けるから、たまには遊びに来いよ」
車は阿久津の家の前に到着した。
「じゃ、来週には慎二を保護シェルターに連れて行くから」
最後、阿久津は僕のいる助手席側の窓を小突いて開けさせると、意味あり気に肩を叩いた。
「頑張れよな」
僕の嫌いなニヤけた笑顔で車を見送る。
そうか。
僕は直感した。
阿久津もか。
西町子に仕組まれた人間関係は香音だけじゃない。
考えてみれば、入学してからのこの充実した生活は全て「受け取った」ものだった。全て受け身で、僕は会話一つ取っても自分から動いていない。
サークルに入ったのも、女の子と遊べたのも、バイトが出来るのも、僕が自分できっかけを作ったものではない。お膳立てされた世界、西町子に仕組まれた世界だった。
隆史がアパートの前で降り、車には僕と充だけになった。
「あのさ、ニシ マチコさん、知ってる?」
「えっ」
僕の質問に、充は運転中にもかかわらず、助手席の僕を見た。前の車にぶつかりそうになって急ブレーキを踏む。ふうと一息つくと、再び車を走らせ、小さな声で聞いた。
「ええと、ニシ マチコさんて……」
正直な充は動揺を隠せない。話して良いものか思案している口ぶりだった。
「僕の遠縁の親戚なんだけど、香音に僕と付き合うように頼んだらしいんだ。充にも何かお願いしたんじゃない?」
充を安心させるために努めて明るく言った。こんな嘘がつけるようになったのも、入学してから色んな人と話すようになったからかも知れない。
「本当に?知らなかったな。じゃ、話していいのかな。秘密だって言われたけど」
充は入学してすぐに呼び止められ、僕の話を聞いたらしい。
「君が大学に馴染めなくて引きこもりになるかも知れないって。下手すると自殺するかもしれないから友達になって欲しいって頼まれたんだよ。自分の経験もあったし、出来れば力になりたくてね」
「色々、付き合わせて悪かったね。もう、無理する必要は無いから」
突き放す様に言うと、充は驚いたらしく、声を大きくした。
「無理だなんて。してないよ」
すぐにいつもの穏やかな口調に戻って先を続けた。
「確かに、普通じゃない始まりだったかも知れないけど、もう、関係ないだろ?要くんは僕の友人に間違いないよ」
意外だった。
「申し訳ないと思ったけど、最初の頃は君のおばさんから、その、協力金をもらっててさ。僕は本来、サークル活動するなんて贅沢できる立場じゃないんだ。バイト三昧な学生生活を送る覚悟をしていたんだよ。だから有り難かった。最初、君と話すの怖かったけど、案外いい人だったし、お願いされて友達やってるつもりもなくなったから、5月からはニシさんの金銭援助は全部断ったよ」
「阿久津と隆史は……」
「阿久津はわからないけど、隆史は僕がSNSで純粋に知り合った仲だから、ニシさんは関係無いと思う」
崩壊する環境にあっても、生き残る関係があるんだ。
僕は不覚にも涙が出そうになった。「ありがとう」と言う前に充が意外な質問をした。
「ニシさんはお子さんいるの?」
「……いると、思うけど、何で?」
取り繕うのが苦しい。
「君の事、真剣に心配していたけど、ちょっとやり過ぎって言うか、病的な感じがしてね。何だか自分の子供の代わりに君に気持ちを向けてる気がしたんだ。もしかして、お子さんを亡くしたのかなと、ちょっと思ったんだ」
「……生きているはずだよ」
適当に答えて急に不安になった。
タロウの里親紹介者がニシ。香音はそう言っていた。水越明子(49歳)の身内がニシのはずだ。譲渡会に現れた陰鬱な中年女性は50〜60代だったと思う。水越明子と親子ではない。姉妹だろうか。
もし、充の分析が正しければ、ニシはもしかしたら、いや、そんなはずは無い。けれど、可能性としてはある。
その夜、僕は心底、充に感謝して帰宅した。
「ありがとう。これからもよろしく」
感謝の気持ちも言葉で表現出来た。
「もちろん」
充も笑顔で答えてくれた。
引っ掛かるのはニシの正体だった。一抹の不安と共に、この日は泥の様に眠った。
翌日、僕は大学を早退して保護シェルターに向った。今日はバイトだから夕方の時間は使えない。
シェルターに着くと香音を思い出してしまう。試しに携帯へ架けてみると、「現在使われておりません」のアナウンスが流れた。
しっかりしろ、夢は覚めたんだ。
気を取り直して、関係者しか知らない裏のポストから鍵を取り出してシェルターへ入る。
朝に団体会員のおばさん達が掃除しに来ているのでケージは綺麗だった。何匹か排泄していたので、その掃除をしてから事務用品スペースで保護犬履歴ノートを探す。
タロウの項目を見ると、受付、引き取りに井上舞の名前があり、譲渡先に久瀬広美様の名前と住所、連絡先の記載があった。その続きにカッコして紹介者、沢田様と記入してある。
沢田。
不安は的中してしまった。
新聞記事が脳裏に浮かぶ。
ニシは、男装のピアニスト沢田遼の母親だ。
どうして。そんなはずは無いのに。
震える手でスマホを操作しようとした時、襖が開いてカラッとした声がシェルター内に響いた。
「こんにちは!誰かいるのー?」
僕はその場で固まった。
「あら、要くん。早いわね。どうしたの?」
保護団体会員の加藤さんだ。溝口さんと同様にパワフルなおばさんで、神社の茶トラを一緒に捕獲した人だった。
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