第10話 トンネル

 母の日商戦が終わり、もうすぐ父の日だ。その後はお中元と、贈り物が減っている行事があっても、宅配業界は慢性的な人手不足に陥っている。

 仕事内容は、まず荷物の仕分け、次に伝票から請求分を抜き取り、荷物に一つ一つ、紐をかける作業、これは足で踏めば紐が勝手にかかってくれる機械がある。最後は配達車両への積み込みだった。

 速さが求められるので集中して黙々と行う。

 僕は緊張しているのも手伝って、無言で言われた通りに行動した。

「おい、要。あの四角い顔のオッサンには分からない事があっても聞くなよ」

 阿久津が耳打ちした。

「何で」

 四角い顔のオッサンは石本さんと言って、僕らに荷物の仕分けを教えてくれた人だ。30代でこの会社の中ではまだ若く、寡黙な人だけれど、ずっとこの仕事をしていたのだから、分からないなら聞くべきだろう。

「態度が投げやりだろ。あれは間違った事を教えても、下にミスを押し付けるタイプだと見た。石本の言う通りにやっても結果が間違っていたらお前のミスになるんだよ。いいか、組織の中で生きるには人を見なきゃ駄目だぞ」

 組織とは大袈裟な。

 こんな何十人もいない職場で人を見るなんて、意味ないし、緊張していて気にしていられない。言われた事をなるべく忠実にこなすだけだ。

「お前、周りを見ない奴だからな。教えられた通りが、必ずしも当たってるとは限らないんだよ」

 阿久津は珍しく真顔で話す。

 それはバイト3日目に身を持って学んだ。

 置いて良いと言われた場所に請求分の伝票を置いたのに、紛失したと大騒ぎになっていた。もちろん僕が謝り、「以後、気を付けます」のセリフを阿久津に教えられて覚えた。

 石本さんはワザとなのか、忘れているのか知らんぷりだった。

「よくある事だよ。見つかって良かった」充はニコニコしてフォローしてくれたけれど、誰も石本さんを注意しない。

 ここで怒ると残り4日間、気まずいからやめておけと阿久津にまたも耳打ちされた。

 職場は正論より雰囲気を大事にしろだの、最初だけは使えない先輩でも立てておけだの阿久津流の職場作法を押し付けてくる。

 石本さんは自分の仕事だけは問題なくこなし、他の仕事には必要以上に首を突っ込まない主義だった。要するに自分の仕事しかする気はないのだ。

「今度は充か、充の隣にいる丸井さんに確認してから動くんだな」

 阿久津は当然という態度で言った。

 丸井さんは温和で面倒見の良さそうな40代のおじさんで、充と仲が良さそうだった。充も、このおじさんがいたから、バイトを続けられたと話していた。

 阿久津は嫌な奴だけれど、バイトについては言う通りにしようと思った。

 そんなこんなで一週間はあっという間に経ち、初給料を丸井さんから手渡しで貰った。このキャッシュレス時代に時が止まったような会社だけれど、現金を目の前にすると、嬉しさが増す。

「もし、良ければだが」

 70代の社長が、よっこらしょと立ち上がって1枚のコピー用紙を見せた。そこには「急募」の文字が書かれている。

「親会社がアルバイトを探しているそうだ。仕事内容もほぼ同じだから、どうかね」

 僕と隆史は、渡りに船と飛びついたけれど、阿久津はこれ以上、授業を休めないと断った。

 確かにそうだろう。

 この短期バイトも、いくらお金が必要だからと言って、一週間も夜間部の授業を休んてまでやる価値があるとは思えなかった。

「おい、要、もしブラック会社だったら契約書を書く前に辞退しろよ。入ってわかったらさっさと辞めろ。辞めさせてもらえないなら、労働基準監督署か、退職代行に相談しろ」

 阿久津は上から目線でアドバイスしてくるのを忘れない。一体何なんだと反発するも、きっと僕は阿久津の言う通りにする予感がした。

 18年間一緒にいた両親の言葉は、僕が生きる上で全く役に立たなかった。

 僕がちゃんと部活に入っていたり、サッカーの少年団を続けていれば、少しは処世術が身に付いたのかも知れないけれど、その機会は無かった。全て閉じていた自分に起因すると分かっている。

 この2ヶ月の間、何より勉強になったのは、忌々しい阿久津の言葉であると認めざるを得ない。

 ただ、今回は阿久津の行動に腑に落ちないものを感じていた。

 僕を監視している。

 そんな考えが浮かんだけれど、そんな事をして何の得があるのか、動機が分からない。

 やはり、阿久津は僕にとって理解出来ない人間であるのは間違いなかった。

 親会社のワタベ運輸は、この辺りの運送、宅配を一手に引き受けている大きな会社だった。

 ホームページを見ると、新しい物流センターの写真が載せてあり、システマチックで、キッチリしている印象を持った。

 ここでやっていけるのか不安が襲ってきたけれど、僕らが紹介されたのは、ワタベ運輸の下請けの安川物流という、充がバイトしている会社と変わらない、アナログな古い会社だった。

 サークル活動後の夜の訪問でも構わないと言うので、21時頃事務所を訪問した。

 場所にちょっと難があった。

 大学裏通りの停留所からバスで20分程、徒歩15分程の場所にあるのは良しとして、嫌なのは、ここが僕が起こした2件目の事件現場に近いからだ。大通りを挟んですぐ向こうにその住宅街がある。

 僕らがいるこの一帯は倉庫街で、新旧の倉庫が建ち並び、トラックや配達車両がひっきりなしに行き交う。勤め先はその中の古い倉庫だった。

 敷地は広く、塀の中に入って左に平屋の家の形をした納屋の様なものがあり、隣に黒いミニバンが停めてあった。続く倉庫の入り口には錆びた鉄の階段があり、2階に繫がっている。1階が作業場、2階を事務所としているらしい。

 営業しているのか分からないくらい人気が無い。見上げると窓に明かりが見えた。

 隆史と顔を見合わせて階段を上がろうとすると、入り口から白いバンが入って来て、お爺さんが一人、車から降りてきた。怪訝そうな顔をしている。

「こんばんは。ワタベ運輸さんからの紹介で来たのですが」

 隆史が言うと、お爺さんは合点がいったらしく、2階に上がってくれと勧めてくれた。事務所に入ると、お婆さんが一人、片付けをしているところだった。粗末な社長室に通されると、40代と思われる中年の男が出迎えた。

 丸顔に短く刈り上げた髪、小さな目に似合わない長く整った眉、背は僕と変わらないくらいだけれど、がっしりとした体格で、黒っぽいシャツにジーパンというラフな格好していた。「こちらへどうぞ」と古い応接セットのソファに座るよう指示され、手続きの書類を出した手にはゴツい腕時計と指輪が嵌められていた。

「今は人手不足だから、こんなに早く来てもらえるとは思ってなかったよ。助かった」

 安川社長は白い歯を見せてにこやかに言った。

 この物流会社は父親から引き継いだもので、配達部門は徐々に縮小し、昔からの取引先であるワタベ運輸の荷物しか扱っていないという。売上のメインは隣に建ち並ぶ貸し倉庫だそうだ。 

 今回の仕事は、荷物の仕分けの他、車に乗り込んでの配達の手伝いもある。

 場所は駅前の高層ビルのみで、主に再配達と夜間分を取り扱う。

 対面があると聞いて尻込みしたけれど、留守宅が多く、宅配ボックスへ入れる作業が多いと聞き、僕はこの仕事をやってみる事にした。

 出勤日数は話し合いの結果、週3になり、繁忙期は出来るだけ協力する。

「学生だもんな。勉強しなきゃ」

 理解もある。悪い人ではなさそうだ。

 これでしばらく、収入面は心配しなくていい。

 生きていけるかもしれない。

 現金収入を得て、次の仕事も決まって自信がついたのか、僕にはそんな思いが芽生えた。

 ホワイトカラー、理系至上主義の僕の家族の「規定」からはズレた仕事だと思う。

 けれど、僕が出来る事で、僕一人が生きていくには充分だ。そう思うと嬉しかった。

真っ暗なトンネル先にぼんやりと光が見えた気がした。

 いつ小遣いを打ち切られても大丈夫だ。

 将来、一人暮らしが出来るかもしれない。

 同好会で旅行にも行ける。

 先週末、香音と水族館に行った時、映画と同じく現地集合、現地解散だった。その後の約束は無いけれど、月末に給料が入ったら今度は僕が誘ってみよう。

 まだ実際に働いてもいないのに、願望だけが加速する。

 自分を終わらせるのは延期にしよう。いや、白紙に戻してもいい。

 元々、僕が勝手に計画していた事で、誰も知らないのだ。

 そう思いつつ、少しの不安はあった。

 この日、もう遅いからと安川社長が僕らを自分の車で駅まで送ってくれた。黒いミニバンだった。

 通り魔に遭った事も、自分が起こした事件も思い出す。

 僕が死ぬことで、あの事件を永遠に葬り去る予定だったけれど、万が一、世間にバレたらどうする。

 サークルメンバーや、保護団体を運営しているおばさん達の顔が浮かんだ。

 僕は初めて事件を起こした事を後悔した。

 罪自体は軽いかも知れない。けれど、周りは僕をどう思うだろう。

 月、水、金の週3日、授業後に隆史とバスに乗ってバイトへ行く日々が始まった。会社から帽子と上着を借りて、この前のお爺さん、山野さんを手伝い、荷物を大型バンに積んで、駅前の高層ビルへ向かう。

 このビルは僕が飛び降り自殺を考えて訪れた場所だった。以前にも飛び降り自殺があって、道端に一輪の花が手向けられているのを知っている。ここに今、僕は生きる為に来ている。不思議な気持ちだった。

 業務終了は21時過ぎになる。帽子と上着は山野さんに預けて僕と隆史は直帰した。隆史と食べるラーメンが美味かった。

「あの社長、何処かで見た事がある」

 店を出ると隆史が突然言い出した。

「何処で」

「それが思い出せない。だいぶ前だと思うけど」

 その言葉を聞いて井上舞を思い出した。

「テレビに出ている誰かに似ているんじゃないの」

「そうかな」

 隆史は僕の話には上の空で足元を見つめていた。

 この日、帰宅すると母からA4サイズの茶封筒を渡された。

「切手も何もないから、直接ポストに入れたのかしらね」

 母は寝る体勢に入っている。司は帰宅していたけれど、父はまだ戻っていなかった。

 封筒の表には達筆な字で僕の名前が書いてある。差出人を見ると、住所は無く、ただ「西 町子」と書いてあった。

 僕は一瞬、息を飲んだ。

 西 町子、この字からすぐに連想したのは、「西町公園」だった。

「多分、大学の人だと思うよ」

 適当に誤魔化して急いで自室に入った。

 嫌な予感しかしなかった。

 意を決して封を開けると、中身は僕がよく図書館で借りていたのと同じ、新品の旅行の案内本だった。僕が何処で最期を迎えるか、場所を探していた時に参考にしていた本だ。

 何故、この本が。

 思考は正常に動いているのに手が震えてきた。

 本をめくると白い紙が落ちた。

 その紙に書かれた文字を見て、僕は完全に固まった。全身の血が引くのを感じた。

「今なら死ぬのを許します」

 白い紙には達筆な筆文字でそう書いてあった。










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