第8話 落とし穴
5月も下旬の土曜日の昼、約束していた通り、井上舞の家で打ち上げが行われた。
場所と道具を井上家が貸し出してバーベキューをやるという。
参加費はあまりかからず、買い出しも3、4年生がやるので、1、2年生の手伝いは当日の調理のみという気軽さだ。
僕は遠慮する予定だったけれど、隆史が乗り物同好会の話をしたいと言うし、充も車で僕を迎えに行くからと誘うし、極めつけは小谷香音にも誘われて参加する事になった。
井上舞の家は、僕の家から車で1時間程の町にあった。田んぼやビニールハウス、野菜畑が広がる中に佇む、大きな新しい二階建て一軒家だった。
鉄道もバス通りも遠く、のどか過ぎて眠くなる。この日の気温は珍しく安定して、五月晴れと呼ぶに相応しい陽気だった。
12、3人いる学生は広い庭に収まり、皆の車も全て井上家の所有する近くの空き地に無理なく停める事が出来た。
「でっかいなあ」
バーベキューの準備をしながら阿久津が家を見上げる。
「まだこの家、新しいな。代表の家、何やってるんだ?」
「農家じゃなさそうだね。それらしい道具もないし」
充も辺りを見回して言った。
所有している3台の車に軽トラなどの作業車両はなく、井上舞がよく乗っている黒のミニバンと、グレーの大型ミニバン、ブルーの軽自動車だった。
「お父さんは病院関係のお勤めで、お母さんのご実家が農家なんですって。ほら、このお野菜頂いたの」
川田雅美が沢山の野菜が入った籠を見せた。
この人、何でも知ってるな。
僕は呆れながらも感心した。
井上舞の家族は、父、母、弟、双子の幼い妹の6人家族だ。それに10年前迎えたという元保護犬1匹と猫2匹を飼っている。
井上家は弟以外全員がバーベキューに参加していた。
中肉中背、冴えないサラリーマン風の父親は、気が強い舞とは対照的に、とても穏やかで優しそうな雰囲気だった。
母親は、栗色に染めた長いウェーブのかかった髪を一まとめにして、バーベキューの支度をしながら双子の様子を気にかけている。色白で若そうに見えた。
お揃いのピンクのワンピース着た双子の女の子はウッドデッキで走り回っている。
その後ろ、大きくカーテンの開けられた家の中に、沢山のバスの模型群があるのが見えた。
透明な小箱に入れられて、リビングの棚に並んでいる。
「充さん、あれ」
僕は隣で折り畳みテーブルを広げている充をつついた。
「すごい数だな」
充も動きを止めて見入ると、井上舞に近づいて聞いた。
「すみません、さっきちょっと見えてしまったんですけど、あのバスの模型、凄いですね。誰の趣味ですか」
舞は準備の手を止めて部屋の中を見た。
「ああ、あれね。弟の趣味なの。そうだ、ちょっと待ってて」
そう言うと小走りに家の中に入って行き、その弟の手を無理矢理に引っ張って連れてきた。
高校三年生という弟は、父親に似ていて小柄で大人しそうだった。
「和也っていうの。最近、受験のせいか元気無いのよね」
和也は無言でそっぽを向いた。
「この子、小さい時からバスが好きなのよ。話してやってよ。よろしくね」
舞は早口でそう言うと、他の準備の為に行ってしまった。
僕の弟の司と同い年の和也は、自信に溢れた司とは全く正反対で、何だか不安そうな、つまらなそうな表情をしていた。それが昨年の僕と重なって見えた。
「受験じゃストレスも溜まるよね」
僕は驚くほど気安く和也に話かけていた。
「そうだ。充さん、和也くんをバス同好会の特別会員にしたらどうですか」
和也のテンションを上げたいが為に咄嗟に思い付いた言葉を言ってみる。
「バスだけじゃないけどな。鉄道もよろしく」
いつの間にか隆史も側に来ていた。
「和也くんさえ良ければ、もちろん」
充も了解した。
「バス同好会って、何するんですか」
和也が顔を上げてまじまじと僕らを見る。
興味がありそうだ。
それから、あまり乗り物好きとは思えない阿久津も加わって、バス、鉄道の話で盛り上がった。
阿久津がアドバイスしたバラエティー番組の観賞が功を奏したのだろうか、それとも、ただ話題が得意分野だったからなのだろうか、僕は饒舌だった。
代表の井上舞が、サークルメンバーの今までの苦労を労い、今後の展望を語り、乾杯が行われ、食事が始まっても、僕はその場の雰囲気に合わせて笑顔で皆の会話に加わっていた。こういうのを「ノリ」と言うのだろう。
いつもなら、こんな時は人の輪から離れた所にいたはずなのに。
僕は笑いながら戸惑っていた。
こんな風に笑う連中を、昔の僕は嫌っていたはずだ。今、こんな振る舞いをしている僕を、以前の僕は許すだろうか。
この日は16時でお開きとなり、1時間程かけて後片付けをした。
途中、井上舞が犬を連れて僕のところへやって来た。
「要くん、ごめん。コウジの散歩お願い出来ない?その辺を適当に回ればいいから」
「は?はい」
バーベキューの片付けとは全く関係ないのに何で、と思ったけれど、僕はコウジのリードとお散歩グッズを受け取った。
コウジはタロウと同じ中型の老犬だ。
秋田犬みたいながっしりとした顔立ちと体格をしている。白い体毛にはきちんとブラシが入っていてフワフワだった。
人見知りは無い様で、情緒は安定しているけれど、尻尾も振らなければ、吠えもしない。
工事現場で保護されたからコウジと言う仮名になり、正式名称もコウジのままだと聞いた。
「コウジ、行こうか」
コウジは僕をチラッと見ると、スタスタと先に歩き出した。
「要くん!」
その時、小谷香音が片付けの集団から抜け出て小走りにやって来た。
「要くん、明日の午後、空いてる?」
「え?」
考えもしなかった突然の質問に僕は面食らった。
「空いてるよ」
「良かった。あの、一緒に映画に行ってもらえない?」
心臓がドクンと鳴るのがわかった。
「うん、ぼ……」
「良かった。時間は後でメールするね」
僕でいいなら、と言おうとしたところを遮って香音は戻って行った。
コウジがリードを引っ張る。
我に返って散歩を再開した。
その後は有頂天になっていて、何をするにも上の空だった。
以前の自分が今の自分を許すか許さないかなんて、どうでもよくなった。
片付けも終わり、充の車に、僕、阿久津、隆史が乗り込み、家路につくはずが、隆史の「一人で夕飯が寂しい」という言葉で、一転、夜まで付き合う事になった。
とりあえず空腹ではないから、カラオケ店とゲームセンターへ寄った。
僕は歌うのが嫌いだから、カラオケは正直、抵抗があったけれど、お前はタンバリン係りな、と皆、歌う事を強制しなかった。互いの人格を尊重していてギスギスした雰囲気は無い。居心地の良い人間関係とはこういうものかと初めて思った。
ラーメン屋で食事をした後は、隆史の部屋に上がり込み、コンビニで買ったスナック菓子を食べながら他愛ない会話をして過ごした。
帰り、充の帰宅が遅くなると悪いので、僕は自分の最寄り駅で車を降り、駅から最終バスに乗り込んだ。
バスは混雑していた。
吊革に掴まって、ライトが照らす前方を見据える。
数人が僕と同じバス停で下車し、各々の家路へ散って行く。
僕が「30」と速度表示の描かれた道路から左に曲がって狭い生活道路を歩く頃には、周りには誰もいなくなっていた。
街灯が行く先々をを明るく照らす。
いつものブロック塀やコンクリート塀が僕を歓迎しているように思えた。
興奮が醒めない。
小谷香音から明日の14時、映画館の前で待ち合わせたいとメールが来ていた。
それだけじゃない。未来の約束もしてしまった。
乗り物同好会の最初の活動は博物館巡りにするとか、僕が充のバイト先で短期バイトをするとか。
「要くんに向いていると思うよ」
と、充は言った。何でも物を相手にするから人とあまり話さなくても平気な人に向いている仕事だという。
「じゃあ、やってみますよ」
僕は「ノリ」でこう答えていた。
「やってみますよ」
その時の自分の声が頭の中でこだまする。
このまま、夏以降も行けるところまで生きてもいいかも知れない。
何だか楽しい気分だった。
僕は道路の真ん中を歩いていた。
するとその時、静寂の中にスンという機械音が微かに響いた。後ろからだった。
振り返ると暗闇の中に1台の車が停まっている。
車か。
僕は車を通す為にブロック塀に寄った。寄りながら、あれ、と思った。
さっきの車、何かがおかしい。
僕がもう一度振り返るのと、その車が発進するのと同時だった。
何だ!?
車は明らかに僕に向かってアクセルを踏んでいた。
おかしいと思ったのはライトをつけていないからだ。真っ黒な物体がほぼ無音で迫ってくる。
何が何だかわからないまま走り出した。
車はスピードを上げて近づいて来る。けれど、すぐに左に曲がったので少しスピードが落ちた。
足がもつれる。
動揺しながらも、とにかく足を動かした。
振り返って運転席を見ても、黒い塊があるだけだ。
転びそうになりながら必死に逃げた。声も出ない。背後に車の気配を感じる。もう引かれると思った時、あの三階建ての新築家屋が目に入った。
僕は表札とポストを兼ねた「ついたて」の後ろに頭から滑り込んだ。
途端、人感センサーが反応して玄関照明が点灯する。コンクリート地面に頭を擦り付ける格好になった、その目の前をタイヤのホイールがギラリと光り、猛スピードで通過して行った。
車はそのままキュキュキュと音を立ててカーブを曲がり、僕の家の方へ走り去った。
僕はしばらく滑り込んだままの格好でコンクリート地面に横たわっていた。人感センサーの時間切れでライトがふっと消えて辺りが真っ暗になったのを機に、肩を押さえてのろのろと立ち上がった。
するとまた人感センサーが反応して玄関照明が点灯した。
夜中にこんなに騒がせてしまったから家主が出てくるのでないかと身構えて玄関を見ていたけれど、誰も出て来なかった。
よく見ると、一階の窓にシャッターが降りている。僕が立っている車庫には車がなかった。出掛けているのかもしれない。
周りの家も何も動かない。
時間切れになり、照明が消えた。辺りは元の静かな住宅街に戻った。
顎と手に擦り傷が出来た。足も打った様で歩くと痛む。
僕は息を整えて自宅へと歩き始めた。
今のは通り魔か。
六原さんの言葉が甦る。
自分のした事が返ってきた瞬間だった。
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