第7話 抜け道
「おい、要」
このところ阿久津は僕を呼び捨てにする。
「何?」
「今週末さ、また公民館の広場で譲渡会をやる事になったんだ。お前、タロウとレオンの説明担当、頼むな」
僕はすぐに断った。
阿久津の上から目線な態度が気に食わなかったのもあるけれど、何より人に説明をするのは苦手だからだ。
里親は見つかってほしいけれど、その為に希望者と話すのも、来場者に話しかけて興味を持ってもらうのも、僕が適役とは思えない。
「何でだよ。まさか、この歳になって人がコワーイなんて言うんじゃないだろうな。タロウとレオンの運命はお前が握っているんだから、何とかしろよ」
阿久津のおどけた調子に僕は完全に頭に来て、その場を無言で立ち去った。
人が怖い。その通りだ。だから自分の気持ちを閉じて影響されないように踏ん張っている。
昔、父に打ち明けた事がある。
人によって、同じ事柄でも感想が違う。予測不能で何を言われるのかわからないから話すのが怖いと。
父は意味がわからないと言うような、ポカンとした顔をして、「そんなのは慣れだ。気にするな。気にしていたら生きていけないぞ」と言った。
何か具体的な対策を教えてもらえるかも知れないと期待していた僕は落胆した。
気になってしまうから、僕は生きていけない。
生存競争に負けたのだ。
「ちょっと待てよ。何で無視するんだ」
驚いた阿久津は追いかけてきて僕を更に追い詰めた。
「お前のその変なプライド、捨てた方がいいぞ。もっと違うところにプライドを持てよ。おい」
タロウの世話もそこそこに、この日は駅までの4キロを歩いて帰った。
皆、何事かと僕を見ていた。
もう、サークルは辞めてやろうと思った。
ところが、帰宅するとサークルメンバーから沢山の書き込みが届いているのに気付いた。意外にも引き留めようとする内容だった。着信もあった。マナーモードにしていたし、頭の中が熱かったからその時は気付かなかった。
沢山の書き込みの中に、小谷香音の名前を見つけた。井上舞と同じ女子大の子だ。話したこともないけれど、某アイドルグループの一人に似ていてずっと気になっていた。
「私も手伝います。一緒にタロウとレオンの家族を見つけましょう」とある。
こんな文章を見てしまうと、すっぱりとサークルと縁を切るのも気が引けた。そう思う自分がいまいましく、情けなくもあった。
タロウとレオンの顔が頭に浮かんだ。
タロウの里親には戸建ての住人が理想だけれど、老犬だし、大人しい。そこをアピールすれば、飼育許可のあるマンションで室内飼い出来ないだろうか。
レオンは観察の結果、人には怯えるけれど、他の犬がいれば安心するとわかった。
一匹では無理矢理でも、タロウと一緒なら普通に散歩が出来る。色々試して好きなおやつが見つかり、手から食べなくても皿に置けば僕が見ていても食べる。この前は少しブラッシングも出来た。レオンには相性の良い先住犬がいればいい。
小学校の時に隠れて飼っていたクロの顔も浮かんだ。
今なら、救えるだろうか。
あの時救えなかったクロの分まで、僕が救えるだろうか。
タロウとレオンをあのままにしておくのは心残りだった。
「昨日はすみませんでした」
翌日、保護シェルターへ行って代表の井上舞に謝った。
「いいよ。戻ってくれてありがとう。またよろしくね」
井上舞はほっとした表情で迎えてくれた。
阿久津は手のひら返しで僕に媚びまくった。
「要くん、昨日はごめんよ。俺が悪かった。でもさ、タロウとレオンの事はお前がよく知っているだろ。あの二匹に新しい家族を見つけてやれば、枠が空いて慎二をシェルターに移せるだろ。な、お前がやらなきゃ誰がやる。要はこのシェルターで今一番必要な人間なんだぞ」
慎二とは阿久津が預かっている豆柴の名前だ。阿久津が慎一だから、慎二にしたと言っていた。
こうも媚びられると気味が悪い。僕は不信感を抱きつつ、タロウとレオンの説明を引き受けると井上舞に報告した。
「おお!いいねえ、要くん。バラエティー番組を見るといいぞ。ボケツッコミ、間の取り方が参考になるから」
阿久津はよくわからないアドバイスをしてくれた。
手伝うと言ってくれた小谷香音と僕は、タロウとレオンが保護された経緯や、お世話のポイントをまとめた紹介文を写真入りで作成した。
香音の提案で、いく通りか会話のパターンを作って練習もした。
帰宅しても週末の譲渡会が頭から離れず、気分を変えようと借りていた旅行ガイドと図鑑を机の上に出したけれど、挟んであった貸出票を見て、しまったと思った。
返却日を3日も過ぎていた。
こんな事は今までになかった。
急いで本を返しに家を出た。返却すると借りるのが習慣になっているので、すぐに児童コーナーへ行って図鑑を物色する。すると何だか周りがいつもと違う風景に見えた。子供が多い。どうしてこんなに小さい子が多いのか。
考えて気付いた。
当たり前だ。ここは児童コーナーだ。大学生がいる方が珍しいのだ。
子供向けの本だと認識して借りるなら、それはいわゆる普通の感覚だろう。
今の今まで僕にその感覚はなかった。生きながら僕の時間は小学生のまま止まっていたのかも知れない。
自覚すると、この場にいられなくなった。
自分が異常者に思えた。
図鑑は選ばず、旅行ガイドを持って図書館をウロウロした。ふと「会話のチカラ」という本が目に止まった。
これまた当たり前だけれど、図書館には様々なジャンルの本がある。自分が閉じてしまうと周りにどんな世界が広がっていようとも全く触れる事は無いのだ。
急に目の前が開けた気がして僕は「会話のチカラ」を借りた。
今までは閉じることが身を守る術だった。けれど閉じていては出来ない事がある。
タロウとレオンの家族を見つけるんだ。
話の内容がわかってないと思われるのが怖い、恥ずかしいという考えはこの際、捨てる事にした。
そう思われても構わない。わからないなりに相手に聞きながら理解してやろうと思うところに拘ろうと決めた。
僕の久しぶりの必死さが通じたのか、週末の譲渡会ではタロウとレオンの里親を決める事が出来た。タロウの場合は正確に言うと、里親を紹介してもらった。
僕と香音が構えるブースに最初にやって来たのは50代と思われる背の高い無表情のおばさんだった。
白髪混じりの長い髪が顔面の両脇に垂れ、どことなく陰鬱な雰囲気を漂わせている。
無表情で「このワンちゃん可愛いわね」とタロウを撫でて言った。
「ありがとうございます」
僕はすぐさま返答した。
この人に飼い主としての資質があるかどうかは別として、来場者にはタロウという保護犬について知ってもらわなければならない。
香音と練習した会話パターンも役に立って、用意していた説明は全てし終えた。
その人は名乗りもせず、こちらの連絡先だけ聞くと、友人に犬を飼いたい人がいるから紹介すると言って、この日は帰っていった。
そして後日、譲渡担当者宛に連絡が入り、本当に里親希望者を紹介してくれたらしい。お見合い場所に、犬を飼いたいと言っていた友人を、その息子家族と共に連れて来てくれたそうだ。
里親希望者は50代後半の未亡人で、現在一人暮らしというところがネックだけれど、中型雑種犬の飼育経験があり、戸建て住まいで、タロウが老犬だとわかると、室内で飼育すると言ってくれたそうだ。
保護団体としては、一緒に来た息子家族が近所にいて、孫も含めて犬の飼育に前向きであり、サポートも可能なところが決め手になったという。
全て担当者が平日の午前中にやり取りした事なので、僕は溝口さんや郡司さんから結果を又聞きするだけだったけれど、タロウのトライアルが決まったと聞いて本当に嬉しかった。
トライアルとは家族として迎えられるのかどうか、飼い主になる人と、その保護動物との相性を見る期間だ。
タロウは大人しくて愛嬌があるからきっと大丈夫だと思った。
レオンは、さすが人気の犬種、トイプードルだけあって、すぐに何人かの里親希望者が現れた。その中で先住犬のいる幸せそうな家庭にトライアルが決まった。郊外の戸建てに住む若い夫婦で、子供二人は小学生だ。
完全室内飼いも出来るし、庭があるから外で遊ばせてあげる事も出来るという。
先住犬はパグ一匹だった。下の子供が小学校に入り、学童も決まったので、奥さんもパートに出る事にしたけれど、先住犬のパグを日中、一匹で過ごさせるのが可哀想で、友達を探していると言った。
レオンが保護シェルターへ来た経緯を説明すると「幸せにしてあげたい」とトライアルに申し込んでくれた。
レオンはまだ完全に人慣れしていないし、抱っこも出来ない。こんな人達もいるんだと僕にはその慈悲深さが珍しく思えた。
聞き取りや説明に四苦八苦しつつ、僕は特訓した「説明」と「会話」に手応えを感じていた。想像だけでなく、実際に声に出して言ってみた後の相手の反応と、それを受けた時の自分の感覚が新鮮で、面倒で怖かったものが、少し面白いと感じる様になった。
香音のサポートも大きかった。
対応に困った時は助け船を出してくれたし、代表や会長を連れてきてくれたりもした。
先のレオン里親候補の対応では子供の扱いに困った。
そこを保育士志望の香音が引き受けてくれて助かった。
タロウとレオンの里親が決まり、1つ成し終えた達成感が僕の中に残った。
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