第6話 迷路
翌日のゴールデンウイーク初日、僕は朝8時に保護シェルターにいた。
昨日、帰り際に代表の井上舞からゴールデンウイーク中の活動について説明があった。
普段あまり出来ないTNR活動、保護犬猫の里親を見つける譲渡会の手伝い、ホームレスへの炊き出しもあるので、全員、なるべく休み無く出席してほしいと言われた。
「落ち着いたら私の家で打ち上げするつもりです。皆、頑張ってね。よろしくお願いします」
活動終了後、引き上げて行くメンバーを数えると、井上舞の女子大は全員で3人、こちらは7人、もう1大学参加があるらしいけれど、この日は誰も来ていなかった。メンバー集めに躍起になるのも分かる気がした。
この日の夜は結局、弁当を買って隆史のアパートで食べてから、充に家まで送ってもらった。
家以外で夕飯を食べるなんて初めてだった。
この二人といると不思議に居心地の悪い思いはしなかった。鉄道とバス、保護犬猫の話、ついていけない話題は無い。明日から始まる活動の役割分担に話が及ぶと、特に予定の無い僕が休む訳にはいかなくなった。
長い一日に疲れて、けれど、心地よい疲れの中で眠ることが出来た。
ゴールデンウィークのサークル活動は、僕にとって実にハードだった。
保護犬猫活動が偽善では出来ない事もすぐにわかった。
各々のボランティア団体で状況は違うかも知れないけれど、この団体では、相談を受けた全ての犬猫を受け入れる事は出来ない。世話する人数やスペース、医療などの費用に限界がある為だ。
だからその犬猫に命の期限があったとしても、相談を持ち込んだ人間が困っていても、苦渋の決断で断ざるを得ない。
その結果、時に、相談者から暴言を受ける事もある。メンタルが強くないとやっていけない。
それで、このシェルターの場所は口外してはならない理由がわかった。有無を言わさず入り口に置き去りにしていく例もあるからだ。里親候補にも別会場で引き合わせる徹底ぶりだ。
それでも枠が空けば犬猫はやって来る。体調の悪い仔猫に寄り添って、目薬やら強制給餌をしている姿を見ると、僕にはそこまで出来る自信は無かった。
費用の捻出も大変だ。
ボランティア団体だからと言って、特に公的な助成金がある訳ではなく、保護シェルター会員の会費、このサークルからの寄付、SNSで募った寄付金、廃品回収で得た僅な資金も合わせて、水道光熱費、餌代、医療費を賄っている。
僕もSNS用にと、タロウや猫達の写真を撮って担当者に送ったら、良く撮れているし、助かると言ってくれた。
一番大変なのがTNR活動で、初夏の日差したっぷりな中、ターゲットの猫が捕獲機に入るのをひたすら待つというものだ。捕獲すると一度シェルターに運び、翌日、提携病院に運んで、その後も猫の様子を見てリターンする。
中盤はホームレス支援もあった。
とある公園で夕飯の炊き出しを手伝った。日が伸びて18時でもまだ明るい。もう、真夏の様な暑さが続いていた。
僕は休憩中に公園の外に設置されている自販機で飲み物を買おうと道路に出た。すると、自販機の前に誰かが倒れているのを見つけた。
この公園にいるホームレスだ。
「大丈夫ですか」
声を掛けたけれど、「うん」と言って寝返りを打ったきり、その場から動かない。
顔が赤い。熱中症か?
道を通る何台もの車が迷惑そうに僕らを避けて行く。
とにかく、このままじゃ危ない。
引きずろうにも、この人は細身に見えて意外と重く、公園内まで運ぶのに時間がかかりそうだ。
フェンス越しに、ベンチに一人で座って炊き出しの食事を食べている中年男性を見つけて声を掛けた。
「すみません!」
最初、どこから声がするのかとキョロキョロする中年男性に、大声で助けを求めた。
「ここです!手伝ってもらえませんか」
男性は戸惑いながらも来てくれた。
クセっ毛がキャップからはみ出て無精髭を生やしているけれど、色付き眼鏡をかけてヴィンテージジーンズにサンダル、真っ白なTシャツを着ている。
炊き出しの食事トレーを入れたビニール袋を持っているからこの人もホームレスだ。
「なんだ。赤さんか。酒を飲む時間が早いんだよ。兄さん、足持って。しょうがねえな」
知り合いの様だ。
僕は言われるまま足を持って「赤さん」を「家」へ運んだ。
「ありがとうございました」
僕が男性にお礼を行って立ち去ろうとした時、近くのテントの中がチラッと見えた。
「あれ」
僕は足を止めた。バスの方向幕の部品がいくつも飾ってあった。
「凄い」
全て人気のバス会社のコレクションだ。こんなに沢山の実物を見るのは初めてだった。
「兄さん、コレの価値わかるの」
先程助けてくれた中年男性がテントの横で簡易イスに座って煙草をふかしながら聞いてきた。
「そんなに詳しくないですけど、これは凄いですね」
すると、男性は煙草を缶にねじ込んでテントの奥へ入ると、バスのアルバムを引っ張り出して説明を始めた。
この人の名前は六原さんと言い、仲間からは「ロクさん」「先生」と呼ばれている。昔、学習塾を経営していて「色々あって」廃業し、離婚し、現在に至るそうだ。
どういう訳か興味が出て、僕はちょくちょくロクさんのテントに寄る様になった。ロクさんや他のホームレスの話を聞いているだけでも楽しかった。
昼から酒を飲んでいる事もあるけれど、僕には勧めてこない、とても紳士的なホームレス達だ。ただ、ロクさんの口癖は僕の胸を突いた。
「いいか。やった事は必ず返ってくる。いい事も悪い事もだ」
何故、そう思うのか。理由をロクさんは説明しなかった。僕も聞かなかった。
他の仲間からロクさんは、昔、誰かを死なせたらしいと聞いた。
僕は漠然と、何かを返される前に、この世からおさらばしようと思った。けれど、ここのホームレス達を見ていると、僕にも、もしかしたら、生きれる場所があるのかもしれないと思ったりもした。
週末は公民館の広場を借りて、保護犬猫の譲渡会が行われ、準備と後片付けでバタバタし通しだった。
この譲渡会にタロウも参加したけれど、里親は見つからなかった。この地域はマンションが多く、必然的に来場者もマンション住まいが多くなる。中型犬だと室内で飼うには大きく、里親が見つかりにくいという。
退院して、トリミングも済んだレオンはまだ人馴れが必要で今回の譲渡会には参加出来なかった。
レオンは扱いにくい犬だった。
吠えたり噛んだりはしないけれど、シェルターに来て3日経っても、いつも怯えていて、人間が近づくとブルブル震えて逃げて行く。餌も僕が見ていない間に食べる。
こうも懐かないと、自然とタロウとしか遊ばなくなってしまう。
「レオンは虐待されていたのかもしれないね」
午前中の犬係、保護団体会長の郡司さんという主婦が言った。
主婦と言っても、もう70代のお婆さんだ。白髪頭のショートカットがよく似合う、シャキッと背筋の伸びた、しっかりした人だ。腰も曲がっていない。マラソン選手みたいな体型をしている。
「何をするにもまず、背景を知らないとね。観察しているとね、レオンはホウキに特に敏感なの。長い棒で叩かれた事があったのかも知れない。中井さんは野良犬だったレオンを可愛そうに思って飼い始めたらしいから、中井さんの前の飼い主が犯人だと思うけどね」
そう言って郡司さんは一冊のノートを差し出した。観察記録と書いてある。
「これ、渡すの忘れてました。この子の特徴とかその日の体調とか、気付いた事を書いておいて下さい。」
中を見ると、今まで保護した犬の詳細な記録だった。
散歩の時間、排泄の状態、餌の食べ具合、投薬や予防接種の記録の他に、その犬の気性、好きなもの、嫌いなものなど。
「レオンは中井さんに全然懐かなかったみたいね。だからお世話する気持ちが無くなったのかもしれない。そんな事あっちゃあいけないけどねえ。その子の特性に合わせてお世話してあげるのが飼い主の務めなんだけど。じゃ、よろしくね」
郡司さんはスクーターに乗って帰っていった。
高校時代、2年生途中で幽霊部員になるまで、写真部で被写体観察をした事はあるけれど、生体の観察は今までの人生、無かった気がする。虫や魚も家に入れる事は禁止されていた。僕は図鑑で読むだけだった。
この日から二匹を観察する事が僕の日課になった。
ゴールデンウイークはあっという間に過ぎた。
僕が何かをする時はいつも、充か阿久津が側にいて説明を加えたり、実際にやって見せてくれたり、活動中に動きが分からなくて右往左往する事はなかった。阿久津はともかく充が側にいると心強かった。
これまでの人生の中で、これ程早く終わった連休は無いと思う。
これが「充実」というのだろうか。
週明け、川田雅美から「これ、サークルの記念」と送られた写真を見て狼狽えた。
「要くん、いい顔してる」のコメント付きだった。
誰だこれ。
端の方に、タロウを抱えて満面の笑みで写る自分を見つけた。
これが僕か。こんな顔するのか。
僕は慌てて写真を削除した。
これでいいのだろうか。思い描いていた最期の3ヶ月とは全く違うものになりつつある。
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