第5話 寄り道
翌日、講義後に待ち構えていた阿久津と共にサークル事務所へ行くと、川田雅美が迎えてくれた。
他大学も参加する今年出来たばかりの合同サークルで、代表の井上舞は川田雅美の高校の同級生であり、近くの女子大学に在籍しているという。
井上舞が10年前に保護犬を飼い始めた縁で、個人的にその団体を手伝っているうちに、人手不足に危機感を持ち、それが、就職活動の最中、大学3年の春休みにサークルを立ち上げるキッカケとなったらしい。
保護団体は掃除などの雑用を、このサークルに外注する形を取っている。
入会手続きも終わったのに移動する気配がない。
人が集まるまで待ってから各々の車に乗って現場へ行くという。
僕はこういう待ち時間に他人といるのが苦痛だ。何を話したら良いか分からないし、沈黙もまた苦しい。
早くもサークルに入った事を後悔した。
ようやく二人の男子学生がやって来た。
二人とも僕と同じ1年生だった。
心理学科の飯山充。丸眼鏡をかけて少しポッチャリ体型。目を細めてニコニコしている。僕でも話しやすそうだ。
法学部の山田隆史は背が190cmもある、ひょろりとした大男で目付きが鋭い。とてもボランティアをやりそうには見えないけれど、飯山充を「充さん」と呼び、愛想良く川田雅美と話す声は優しい。
そこへもう二人、4年生の女子が現れ、保護シェルターへ向かう事になった。
住所を聞くと、本数は少ないけれどバス通りは近い。次回からバスで通う事を胸に誓う。
飯山充の運転する車内で自己紹介が続き、充は自分は20歳で2浪していると言った。
「ところで堀君、そのストラップ、注文しないと買えないヤツだよね。君も乗り物ファンなのかな」
充が僕のリュックを見て言った。
その通りだ。
地元のバス会社のホームページからしか購入出来ない。「君も」という事はもしかすると、と思って充のバッグを見ると、僕のと色違いのストラップが付いていた。山田隆史は僕のと全く同じ物を鍵に付けている。
「珍しいですね」
これには嬉しくなった。
ファンになったキッカケなど、聞かれた事は頑張って答えた。珍しく会話らしい会話をしていたら、あっという間に現地に着いた。
広い空き地に年季の入ったプレハブ小屋がL字型に建っている。
既に黒いミニバンが1台停まっていた。
周りには田んぼが広がっていて、河川の土手がすぐ近くに見える。道路の向かいには農家なのか、車庫にトラクターが停まった大きな家が建っていた。
プレハブ小屋の前では1匹の茶色い中型犬がこちらを見てシッポを振っている。
小屋の横の水道では、おばさんが一人、プラスチック板をタワシで洗っていて、挨拶してから正面の大きい方のプレハブ小屋の中へ入ると、にゃーにゃー猫の鳴き声がする。
小さなプレハブには隔離が必要な病傷猫がいるという。
一応、玄関があるので靴を脱ぎ、持ってきた上履き用の運動靴を履いて手前の襖を開けると12~15畳程の部屋に、猫の入ったケージが壁際にギッシリ並んでいた。リフォームしたのか床だけ白くてツルツルだ。
部屋の真ん中で、あぐらをかいて仔猫にミルクをあげている人物が顔を上げた。
入学式で肩を掴んできたあの女子学生だった。
「いらっしゃい。ごめんね。こんな格好で。私が代表をやってる井上舞です。説明は聞いているかな。早速、お仕事お願いね。毎回、こんな感じなのよ」
と言うと、ミルクを与え終えた仔猫のお尻をウエットティッシュでポンポンと叩いている。普通は親猫がすることで、人間が育てる場合はこうしないと仔猫は排泄出来ないそうだ。
この人を以前にも何処かで見た気がするけれど、思い出せない。
「お名前、堀 要君で間違いない?これからよろしくお願いね」
「よろしくお願いします」
「早速、タロウのお散歩とごはんをお願い出来る?山田君、教えてあげてね」
井上舞は機嫌良さそうに隆史に指示した。
飯山充や他の学生達は言われなくてもマスクと手袋をしてケージの掃除を始めた。この時は猫の自由時間になるそうで、20匹程が部屋の中を歩き回る。
「井上さんの顔、見つめちゃってどうした」
猫を外に出さないよう、慎重に襖を閉めてから隆史が聞いてきた。
「どこかで見た人だと思って」
「俺もそう思った。あの人、アナウンサーに似ている人いるよな」
隆史は僕でも知っている朝番組のアナウンサーの名前を言った。違う様な気もしたけれど、そうかもしれないと僕は納得して、この件は忘れた。
保護シェルターの仕事は多岐に渡っていた。
通常、ここにいる犬猫の世話は、シェルターの会員が行っているけれど、主婦がほとんどで、夕方になると人手が足りなくなるらしい。そこで学生ボランティアの出番という訳だ。
この地域の保護動物は圧倒的に猫が多い。
猫ケージの夕方の掃除、健康チェック、エサやり、投薬、動物病院への送り迎え、譲渡の為のお見合い日程調整、お見合い場所への移動、TNR活動。
TNRとは、T、トラップ捕獲、N、ニューター避妊去勢、R、リターン元の場所へ戻す、という活動で、野良猫の不幸な命を増やさない為の処置らしい。2回も捕まえないように、処置をした猫は片耳の神経の無いところをカットしている。
話を聞いていると確かに野良猫全てを保護する事は出来ないし、けれど、放っておけば繁殖してしまう。何しろ、1匹のメス猫は一生に80匹もの猫を産むというから気が遠くなる。
僕と隆史は外にいる茶色の中型雑種犬、タロウの世話をした。
タロウは10歳以上のお爺ちゃん犬で、大人しい。元は老夫婦に飼われていた犬だった。お爺さんが脳溢血で突然亡くなり、お婆さんはケアホームに入所、その子供たちもペット不可の賃貸マンションに住んでいたりと行き場が無く、ここへやって来たそうだ。
今後こういうケースは増えると思う隆史は言った。
この日は、散歩と排泄、しばらくボール遊びをしてエサを与えて終了した。
ボランティア活動とは言え、とても楽しかった。
タロウが人懐こい犬だったから出来たのかもしれない。
最高の思い出になった。
「さて、これから、くれなかいさんのところへ行かないといけない。」
隆史が険しい目を一層険しくして立ち上がった。
「くれなかいさん?」
「本名は中井さん。60代のおじさんだよ。被害妄想が酷いんだよ。犬を飼っているけど、あんまり世話が出来ていないんだ」
この団体の会員から来た情報で、いわゆるペットのネグレクトをしている人がいて、何度も交渉した結果、今日、その犬を引き取りに行くらしい。
ここでは犬の保護はレアケースだけれど、上限2頭まで受け入れているそうだ。
上限を越える場合、または、仔猫や仔犬の場合は、阿久津や井上舞の様に預かり担当者が空きが出るまで預かる仕組みになっている。
団体会員の溝口さんという、パワフルで体格の良いおばさんと、何故か僕も隆史と一緒に溝口さんのオレンジ色の軽自動車に乗って犬を引き取りに向かった。
着いたところは半分ごみ屋敷だった。
中井さんという60代の男性は、少し右足が悪いらしく、びっこを引いていた。
何かブツブツ文句を言いながら溝口さんが差し出した書類にサインしていた。サインし終えてもまだ文句を言っている。
「全く、俺が犬を飼っちゃいけないって誰が決めたんだ。バカにして」
「お前らが散歩させに来ればいいだろ」
「何で、こっちの生活を助けてくれないんだ」
「この町は冷たい。自治会長は何もしてくれない」
隆史が僕を見て同意を求める目付きをした。
なるほど、してくれないを連発する、くれなかいさんか。
僕は隆史が引く程、中井さんを突き放せなかった。
僕が両親や世間に対して思う事と同じだからだ。彼にとって、被害は事実であり、妄想ではないのだ。
ただ、犬を見ると、トイプードルなのに外飼いされていて、トリミングもされず、毛が延び放題。痩せている。散歩に行けないからなのか、長い紐を繋ぎ過ぎて、道路に出てしまったら車に轢かれそうで危険だ。おまけに犬小屋は段ボールと可哀想過ぎる。
中井さんの言い分にも同情出来るのに、引き取ると言っている溝口さんに文句を言い続ける姿に苛立ってしまった。
ついに溝口さんが爆発した。
「あんたねえ、この前も言ったけど、やりたい事と出来る事は違うの。あんたはまず、自分の世話をしなさい。このワンちゃんは私達がお世話して里親さんを探すから。人に何かしてもらいたいなら、きちんとお願いしないとダメよ。出来ないからやってもらって当然という態度はどんな人にも嫌がられるよ」
そんな言葉には僕が反発を覚える。
やらないんじゃない。この人は自分でもどうしたら良いかわからないのだ。
そう思ってもそれを溝口さんに言う事は出来なかった。
一筋縄では行かない感情や現実。見たくない。逃げたい。関わりたくない。
溝口さんが保護して良いと言うので、僕と隆史でトイプードルをキャリーバッグに入れようとするけれど、怯えて逃げ回って上手くいかない。やっと捕まえた時には恐怖のあまりか、お漏らししてしまう程だった。
帰る時になって白い軽自動車がやって来て停まった。溝口さんが車を降りて、白い軽自動車の運転手と何やら話している。
「市の福祉課だな」
隆史が車に描いてある市の名前とゆるキャラを見て言った。
「私もつい、キツイ言い方しちゃったから、福祉課の人に報告しておいたわ。全く、理解出来ない人間同士の歩み寄りって大変ねえ。さあ、病院へ行きましょう」
溝口さんは深い溜め息をしてからエンジンをかけた。
中井さんへの助けは用意されていた。僕はほっとしたけれど、複雑な思いだった。
出来ない、してくれないを連発する人間は疎ましく思われる。被害妄想だとも言われてしまう。
他の人間から見たら、僕も被害妄想の塊なんだろうか…。
隆史がレオンと仮名を付けたトイプードルは、しばらく動物病院に入院となり、僕らは保護シェルターへ戻った。
タロウの犬小屋の隣の敷地に、プラスチックの組立式の小屋が建っていた。夕方に来た時、おばさんが洗っていたプラスチック板だった。トイプードルなので本当は室内で保護してやりたいけれど、なにしろ場所がない。苦肉の策で、大きめの組立式犬小屋に犬用のベッドを入れて少しでも快適に過ごしてもらいたいという思いで置かれているのだった。
時刻は19時になろうとしていた。
阿久津は夜間の授業の為、姿はなかった。
僕が近くのバス停から帰ろうとすると、充から夕飯に誘われた。
僕は費用の面もあって、夕飯は嫌でも自宅で済ますと決めている。断ったけれど、一人暮らしをしている隆史の家で安く済ますからと再度誘われた。充の顔を見ると無下に断れない。
一人暮らしの隆史、働きながら大学に通う阿久津、充も奨学金を借りての通学だと言う。
同じ1年生なのに、皆がとても大きく感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます