第4話 始まり
さて、コイツはどうか。
僕が値踏みする様に見ていると、阿久津は何かを差し出した。前にも貰ったボランティアサークルのチラシだ。これで何度目だ。
「考えてもらえないかな」
「……興味が無いので。すみませんが」
僕はチラシを突き返すと歩き出した。阿久津は側にピッタリとくっついてくる。
「まあ、そう言わずに試しに来てみてよ。好きでしょ、動物」
動物。ボランティアと言ったら老人ホームとか災害時の手助けじゃないのか。
僕は詳細を読まずに突っ返したチラシの内容が気になりながらも、ずんずん歩いて行った。
「クラブ棟の一階に事務所があるから今から行ってみようか」
「これから授業なので」
「あ、そうか。……わかった。出直すよ」
阿久津はこの日はあっさりと僕を開放したけれど、翌週、またやって来た。
今度はこの後何も無いという時間だ。
「どう、考えてくれた?」
「いえ……」
正直、こんなに誘われた事が無いので戸惑う。
「他のサークルも考えてみたいので」
最もらしい理由を言ってみたけれど無駄だった。
「何のサークル?フットサル?テニス?ウチでも少しはやるらしいよ。まだ出来たばかりのサークルだから方向が定まってなくてね。そう言えば乗り物同好会やりたい奴等もいたな。どう、いろいろ体験出来るよ」
「……」
乗り物と聞いて少し気になったけれど、僕は黙って歩き続けた。
「もしかして、お金の心配してる?大丈夫だよ。会費安いし。活動場所には車を持ってる人が乗っけて行ってくれるしさ。なんならバイト紹介しようか」
「……いいえ」
段々イライラしてきた。それは阿久津も同じ様だった。
「テニスのラケットとかサッカーシューズとか、なんなら多少援助しますよ」
言葉は丁寧だけれど、口調は乱暴になってきた。
僕も決着を着けようと立ち止まった。
「もうやめない?悪いけど、何を言われても入る気は無いから」
それだけ言うと、まだ何か言おうとしている阿久津を置いて速足で歩き出した。バス停でバス待ちをしたら、そこでまた何か言われそうだったので、そのまま駅に向かった。
後ろから悪態をつく声が聞こえた。
こっちも折角のバス乗車を邪魔されて舌打ちしたい気分だ。
まったく、ノルマ付きのセールスマンみたいなヤツだった。
これで終わったと思ったのも束の間、阿久津は翌週の月曜、僕が普段利用している地元の図書館にまでやって来た。
「おい、堀くん」
18時頃、図書館を出たところで声を掛けられて飛び上がりそうになった。
「恐ろしく長い時間、図書館にいるんだな」
この日は午前中に授業が終わったので、昼過ぎから図書館に入り浸っていた。
「サークルには興味無いって…」
「そうだと思うけどさ。君、バイトもしていないし、暇だろ。学校でもつまならそうにしてるしさあ」
僕が言い終わらない内に阿久津は苛立った声を被せてきた。
僕は返答に窮した。
確かに他の人間が見れば、暇を持て余していると思うに違いない。けれど、僕にとって今は、自分の終わりを考える大事な時なのだ。そっとしておいてもらいたい。
この大学は3ヶ月間の居場所だから、馴染もうと努力はしている。
「折角、誘ってやってるんだから、学生生活、楽しむ努力をしたらどうなんだよ」
言い方にムッときた。
「放っておいてくれ」
僕は背を向けて歩き出した。
「放っておけるか。今にも死にそうな顔をしているヤツ」
ため息混じりに言った阿久津の言葉に、僕は心底、驚いて振り返った。
僕の驚き様を見て、何故か阿久津は急によそよそしくなり、頭を掻いた。
「あ、いや、言い過ぎたな。とにかく試すだけでもさ。明日は用事があるけど、金曜日なら空いているから一緒に事務所へ行こう」
僕の肩をポンポンと叩くと、近くに停めてあった自転車にまたがり「じゃあ」と言って去って行った。
残された僕はしばらく呆然とその後ろ姿を見つめていた。
何故、わかったのだろう。
不思議な気持ちと、怒りの混じった複雑な心境だった。
僕が重大に考えている事を軽く見下していると感じた。
見透かされているのが恥ずかしくもあった。
きっと、阿久津はどこまでも要領のいいヤツなのだろう。要領の悪いヤツを見下して面白がっているのだ。
多少援助しますよという数日前の会話が甦ってきた。援助してまで入会させるなんてどうかしている。
ボランティアサークルというのはウソで、実は怪しい集団なんじゃないか。カモを探しているのかも知れない。
そう考えると、阿久津に一泡吹かせてやりたい気持ちになった。
あいつを尾行しよう。
何をするのかもまだ思い付かないけれど、取り敢えずどんな人間か探りを入れたくなった。
考えてみれば、阿久津も僕を尾行していたのだ。地元にまで来るなんて、サークルの勧誘と言えども気味が悪い。
翌日、僕は経済学部の必修授業を大学のホームページで確認すると、講義室前で待ち伏せた。けれど、阿久津は出てこなかった。翌日も、翌々日も会う事はなかった。
あの金髪を見落とすはずがない。
業を煮やした僕は、思いきって勧誘されたサークルの事務所があるというクラブ棟へ行ってみた。
事務所と言うからにはオフィスみたいな部屋を想像していたけれど、実際は一部屋をパーテーションで区切ってある粗末な場所だった。
廊下の貼り紙を見ると、6つのサークルがこの部屋を使っているらしい。
見覚えのある四葉のクローバーが付いたチラシが手前のパーテーションに貼ってあった。
人の気配は無い。
「あら、もしかして新入生?」
急に後ろから声がして慌てて振り替えると、そこには長い髪を斜めに束ねて帽子をかぶっている小柄な女子学生が立っていた。
フェミニンと言うのだろうか、袖口にヒラヒラのついた白いブラウスに紺のロングスカートという格好をしている。
「どこのサークルに用があるの?」
「……ボランティアサークルのワークルです。阿久津という人はいませんか?」
勢いで言って、しまったと思ったけれど、どうしようもなかった。これで阿久津に僕の行動がバレる。尾行も何もあったものじゃない。
「あら、うちのサークルね。阿久津君は夜間部だから4時過ぎに来るわよ」
「夜間部?」
「昼間は駅前商店街ののカフェで働いているみたいだけど、知らなかった?」
「最近、知り合ったばかりなので……」
「そう。阿久津君の家は市場で食品卸の会社をやっているんだけど、経営が思わしくないみたいなの。お家の手伝いもして、バイトもして夜間で勉強もして偉いわよね。それでもこっちには火曜、金曜必ず来てちゃんと活動してるのよ。あなた、もしかして勧誘されたんじゃない?」
お喋り好きなフェミニン女子学生は、初対面にも関わらず、こっちが聞きもしない事をペラペラと話してくれた。
この女子学生は川田雅美と言った。彼女の話を聞く限り、怪しい集団ではないらしい。入会手続きならすぐ終わるから、と勧めてくるのを何とか断って事務所を出た。
経営の思わしく無い家業か。
僕に援助するなんて言っていたのは何だったんだ。
金持ちの能天気野郎という阿久津のイメージが崩れ始めた。
同時に僕自身、他人にレッテルを貼っていた事にも少なからず驚いた。
最近、驚いてばかりいる。
暇なのも手伝って、阿久津が働いているという駅前商店街のカフェへ行ってみた。
あの外見と今までの態度を思い出すと、真面目に働いているとは信じられなかった。
スマホ片手に人待ちする振りをして、ビルの影からガラス張りのオシャレなカフェを覗いた。
オープンカフェにもなっているその店は、今日は屋外にも多くの客がいる。
金髪の阿久津は遠くからでもすぐにわかった。
僕に接触してきた時とは別人の、真摯な態度で客に接していた。後片付けやレジもそつなくこなし、目上のスタッフと談笑しているところを見ると、この店のバイトは長く、上手くやっているのだとわかる。
あんないい加減そうな人間が器用に立ち回って社会に認められて働いていると思うと腹立たしかったけれど、僕には逆立ちしても真似は出来ないと思った。どうにも負けた気分だった。
しばらくすると店の中で阿久津の姿が見えなくなり、私服に着替えて裏口から出て来た。
そして自転車に乗って行ってしまった。
16時。
これから大学に向かうのだろう。
今日は木曜だから16時半から授業、火曜、金曜は午後のサークル活動後、18時から授業だとフェミニン女子学生から聞いた。
あいつのやっている事は僕には出来ない。
打ちのめされた気分だった。
もう、阿久津に関心を持つのは止めよう。
僕は今までの出来事は全て忘れようと決めた。
それなのに、またも阿久津の方から僕に接触してきたのだった。
あれからしばらくして、地元の図書館を出た時にリードを着けた黒い仔犬が僕の足元にやって来て見上げた。
あまりの可愛いさに、しゃがみ込んでなで回してしまった。
行きつけのコンビニでも、犬を待たせて買い物をする人がいて、僕は必ず待っている犬を撫でるようにしている。
豆柴だろうか。特徴的な麿眉に短い手足。リードをしているのだから近くに飼い主がいるはずだ。
仔犬を抱き上げて辺りを見回すと、見覚えのある金髪頭が目に入った。
阿久津だった。
「よう」
陽気な声で片手を上げながら近づいてくる。
「可愛いだろ。今、家で預かってるんだ」
僕は無言で仔犬を返した。
「この前、事務所に来たんだって?」
すぐに帰ろうと思っていたのに、事務所を訪ねた時のバカな復讐心を思い出してオドオドしてしまった。
「ああ、行ったよ」
「俺、今、こいつの預りボランティアやってるんだ。2週間の限定でね。保護シェルターが一杯なんだって。本当は飼ってやりたいけど、ウチ、自営業で不安定だから。犬好きならどう?預りできる?」
「いや、動物アレルギーの家族がいるから」
小学校低学年の頃、近所で生まれた野良犬の仔犬を飼いたいと家に連れて帰った時、物凄い形相で元の場所に戻せと母に怒鳴られたのを思い出した。
「犬好きなんだろ。ウチのサークルが手伝っている保護シェルターに行ってみないか。掃除メインだけど触れ合えるよ」
保護シェルター。この前、川田雅美が説明してくれた。
プレハブ小屋に行き場の無い犬猫の保護をしている地元の団体があり、ボランティアとして掃除の手伝いに入っているという。
行き場の無い仔犬。
小学生の僕は、あの時の仔犬を元に戻せなくて公園の隅で隠れて飼っていた。給食の残飯を餌として与えていた。仔犬は黒くて単純にクロと名付けた。けれど、ある日行ってみるとクロいなくなっていた。友達が、動物愛護センターに連れて行かれたと教えてくれた。友達?そう言えば、あの頃はまだ友達と呼べる人間がいた気がする。
帰宅すると母が何故か全てを知っていて、動物愛護センターに連絡したのは母で、迷い犬として保護してもらったのだと言う。公園の近くに住む人から犬が庭を荒らしていると苦情が来たそうだ。
僕があの公園に寄り道していたのは学校の誰かが知っていたから、そいつが母か、その庭の持ち主に告げ口したのだろう。
その後、母と一緒に苦情を言ってきた人の家に謝りに行った。
手土産のお菓子を嬉しそうに受け取る家主を見ると、この人は本当はお菓子が欲しかっただけなんじゃないかと思った。
クロに会いに行く事は許されなかった。その後クロがどうなったのかは分からない。
僕は頭を振った。
大学に入ってから昔の出来事が泡のように次から次へと浮かんでくる。
阿久津が抱えている豆柴を見ていると、とっくに諦めていた願望が湧き上がってくる。
確かに動物は好きだ。飼えたらいいのにとずっと何処かで願っていた。保護という形で触れ合えるとは思っても見なかった。
「とりあえず」「お試しだけでも」と勧めてくる阿久津の言う通り、僕は「とりあえず、一学期の間」という条件でサークルに入る事を決めた。
少し、寄り道をするだけの気持ちだった。
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