第2話 素敵な家
僕は「30」と速度表示の描かれた道路を歩き、左に曲がって、狭い生活道路を真っ直ぐに進んだ。
両側にはブロックとコンクリートの塀が無表情に立ちはだかって家へと誘う。この辺りは築30年以上経つ一軒家が多い。最近では改築したり、更地にして売り出す場所も出てきた。
我が家の近所では、二階建て一軒家の空き家が取り壊されて更地になった後、似た様な三階建てが二軒建った。
この新築物件に塀は無い。道路に面した表札と宅配ボックスを兼ねた、ついたてみたいなものがあるだけだ。
この新築の家を通りすぎて右へカーブすると我が家だ。
クリーム色の外壁で「北欧風」の作りだと言う。ポストの上に花のモチーフをあしらったガラス製の表札があり、「堀」と書いてある。
約15年前に建てたから周りの家に比べるとまだ新しい。
小学生の頃、母がガーデニングを趣味にしていて庭には色々と花が植えてあったけれど、今は花壇の残骸とサルスベリの木があるだけだ。
このサルスベリの木は、僕の部屋から飛び移ろうと思えば出来そうな程に成長して、隣家との良い目隠しになっている。
母の友人が訪ねて来た時、「素敵な家ね」と言った。
僕にとっては居心地の悪い素敵な家だ。
玄関前の門を開け、ひさしの下で衣服の雨粒を払った。防水スプレーをしているスニーカーにも雨がしみ込んでいる。
傘立てに傘を突っ込んであれっと思った。
弟の傘がある。
まさか。
弟は帰宅していた。
居間のソファに座って、部屋着姿でゲームをしている。
いわゆる有名中高一貫校に通う1歳下の弟の司は、来年、大学受験のため、春休みは予備校の春期講習に通っている。授業の後は大体、彼女とデートとかで帰宅は僕より遅い事がほとんどだ。
「早いね」
がっかりしたのを悟られないように声をかけた。
「あ、兄さん久しぶり」
弟はこちらをチラッと見てまた視線を落とした。
「みさちゃん、風邪引いちゃたんだって」
台所から母が口を出してきた。
みさちゃんは弟の所属する高校のサッカー部のマネージャーであり、彼女の事だ。今では両家公認の仲になっている。
「風呂に入るよ」
「まだ沸いてないからシャワーにしてね」
「わかった」
本当は湯船に浸かりたかったけれど、もうどうでもいい。僕は風呂場へ急いだ。
僕はやりたいと言った覚えはないけれど、僕と弟は幼稚園の頃から一緒のサッカークラブに入れられていて、小学校になると少年団にも入団した。レギュラーを取るのは大体弟で、僕はほとんど応援をしていた。この頃から大人しい兄、活発な弟と言われる様になる。
大人は子供に形容詞を固定して使いがちだ。僕は自分がどんな気質なのか自覚も無いまま「大人しい子供」としてしばらく過ごす事になる。
いわゆるレッテル貼りが鬱陶しくて、僕は小学校2年生になると、サッカークラブも少年団も辞めてスイミングクラブに移った。スイミングに興味は無かった。柔道か空手を習いたかったけれど、やらせてはもらえなかった。結局、スイミングでも、タイムを競うようにると、級が昇れなくなり、同年代の子供達から取り残される形になって4年生になった時点で辞めた。
体を動かす事は好きなのに、速さとか上手さを求められるとやりたくても出来ないもどかしさがつきまとう。
両親からは、やる気の無さを指摘されたけれど、当時の僕としては充分、やる気を出したつもりだ。
スイミングを辞めると塾通いが始まる。
弟は小学生になってもずっとサッカークラブと少年団を続けていて、僕と共に塾へ入る事になった。それでも両立出来るのだから太刀打ち出来ない。
出来の悪い兄と、良い弟の差が広がったのはこの頃で、両親の叱咤激励を受けて悩む僕とは対照的に、弟は存分に実力を発揮した。 塾からも地元で有名な中高一貫校を勧められ、その気になった両親は弟に受験させた。弟もその期待に応えて見事に合格して見せた。
サッカーはその中高でも部活に入って続けている。
弟は僕より背が高く、体格も良い。顔は母に似ている。それが母は嬉しいらしい。
僕は色白のやせ形で、顔だけ父に似ている。メガネをかけると更に父に似ていると言われるのが嫌なので、なるべくコンタクトレンズを使うようにしている。
優秀な弟とは昔から会話らしい会話をした記憶は無い。たまに見下す様な言動もあるけれど、僕が弟を恨むかと思えばそうでもない。
実は、この弟には精神的に随分助けられた。両親の関心が弟に移り、僕に余り構わなくなった。おかげで僕は気持ちにゆとりが出来て、この家でも少し気楽に生活出来るようになったのだ。
今、思うと、子供の頃からの敵は両親だった。
両親は自分達が楽しめる遊びに僕ら兄弟を連れていった。
キャンプにスキューバダイビング、スキー、父は自信満々で、僕にサッカーやスイミングも教えた。僕はどれもモノにならなかった。楽しめない僕に、何故、楽しめないのかと妙な叱責をした。
家族が楽しい事は僕は楽しめず、僕が楽しい事は家族には認められなかった。
僕は両親を憎んでいる。
気付いたのはあの通り魔事件から半年経った頃だ。
居間には入賞、優勝のメダルやらトロフィーやら、それに関する写真が所狭しと飾ってある。全て弟の物だ。その中に、昔の家族写真も混ざっていた。
電車とバスの博物館の前で撮った記念写真。テレビ台のすぐ脇にある。季節は春先なのか、母は赤いトレンチコート、父はベージュのブルゾンを着ている。
この写真に気付いた時、頭の中に閃光が走った。
僕があの時、切ったのは両親だった。
潜在意識の中にこの写真があって、似た人を標的にしてしまったのだ。
自分の意志で思考と感情を閉じても、思考と感情は必ず表現するのだと痛感した。
この自覚が出ても、起こした事件に反省や罪悪感は無かった。何故なら僕こそが被害者だからだ。世間は何時だって僕を笑い者にした。ヒソヒソと裏で陰口を叩いた。手を貸さなかった。両親だけじゃない。僕は世間をも切った。
「おでん出来たわよ。」
風呂場から出ると、テーブルに鍋がのっていた。
4月だけれど、おでん、というSNSにでもするのか、母はしきりにスマホで写真を撮っている。
撮影が終わり、ようやく夕飯にありつけると思ったその時、玄関で鍵を開ける音がして父が入ってきた。
僕は心の中で舌打ちをした。
「ただいま。すごい風だな。参った」
「お帰りなさい。宴会中止になったの?」
母が父にタオルを渡す。
「この雨だし、電車が止まったら敵わないから宴会は中止だよ」
父は鍋を見ると、シャワーより先に夕飯を食べる事にしたらしい。テーブルの席に着いた。
計らずも4人で夕飯を食べる事になってしまった。
こんな事なら早く帰ってカップ麺でも食べた方がましだった。
食事が始まると皆、食べる事に専念し、暫くテレビの音だけが無意味に響いた。
「要は明日、入学式か」
ふいに父が僕に言った。
「そうだよ」
その話題に触れたくない僕は食べる速度を落とさず、素っ気なく答えた。
「兄さんの大学、家から近くていいね」
「まあね」
普段、あまり会話をしない弟がこんな時だけ楽しそうに話しかけてくる。
「母さんは、やっぱりついていくのか。」
ビールを飲みながら父は母に聞いた。
「勿論よ。おととし、麻子さんも千春ちゃんの入学式に行って楽しかったって言ってたじゃない。それに仕事先にもね、今年お子さんが大学に入学された方がいて、おととい一緒に行って来たって。私も体験してみないとね。あなたもどう?」
麻子さんとは父の兄のお嫁さんで、僕の伯母だ。千春ちゃんは僕の従姉で大変、頭が良い。
「いや、遠慮しておくよ。昔は一人で行ったがな」
水を向けられた父は顔をしかめて断った。
「今は昔じゃございません」
母はすまして言い切った。
当の僕にはどうでもいい事だった。祝う為ではなく、楽しむ為の付き添い。母と歩くのは嫌だけれど、来るなと言っても聞き入れられない事は分かりきっている。
結局、口論となって気力を失うのは僕だ。
「前にも言ったけど」
母が話を変えた。
「要も大学生なんだから、落ち着いたらアルバイトしてよ」
「わかってる」
こう答えたけれど、内心は、出来るわけないだろ、と苦笑していた。
「今なら飲食店とかリゾートバイトも楽しそうだな。俺はもっぱら家庭教師をしていたが」
「初耳だなあ、その話」
弟が会話に参加して、アルバイトの話が続く。
僕はいつの頃からか、人と関わるのをなるべく避けるようにしてきた。学校のイベントは義務だからそれに関係することは最低限参加してきたけれど、それ以外の付き合いは面倒、というか、正直、人間関係が怖くて避けてきた。
そんな僕が飲食店でバイト。
母の言う「落ち着いたら」とは、一学期が終わったら、を意味している。つまり夏休みだ。
今まで僕を追い詰める事はあっても助けてくれた事は無いくせに、いきなり社会へ放り出す。
夏にはもう、ここにいるつもりはない。
僕の死によって、世間にどんな家庭だったのか色々と詮索されるだろう。痛くもない腹を探られるはずだ。
それが精一杯の僕の反抗だ。
空腹も収まり、部屋へ引き上げようとした時、テレビでは、5分程で終わるニュースが
始まっていた。アナウンサーは挨拶の後、今日、市内のどこかの駅ロータリーで、若い男が拳銃を乱射し、何人か負傷させたと伝えていた。男は動機について「誰でも良かった」と話したという。
「訳がわからないヤツだな」
ニュースを耳にした弟が口にちくわぶを入れた状態でつぶやいた。
「ま、不幸な育ち方をしたんだろうな」
父は手酌でグラスにビールを注ぎながら、ほぼ、上の空で意見を述べた。
この男は僕と同じだ。
そう思うのと同時に笑いが込み上げてきて必死に抑えた。
やはり、僕は不幸な育ち方をしたらしい。実の兄、息子が訳のわからないヤツだと気付いていない事が可笑しかった。
「拳銃なんてどこで手に入れたんだ」
父が首を捻る。
「今はネットで何でも手に入るのよ。怖いわね」
母はすぐさまチャンネルを変えた。
「バス乗り場だってさ。兄さん気を付けた方がいいよ」
弟は僕が人一倍、バス好きなのを知っている。
「そうだね。ごちそうさま」
僕は立ち上がると自室に籠るため階段を上った。
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