十一月、クリスマスの速度に

 まだ十一月なのに、駅構内のイベントスペースでクリスマス・コンサートをやっていた。

 確かに、クリスマスにも、年越しにも、準備が要るのはわかるつもりだ。おせちも、オードブルも、ケーキも、自作するのでなければ予約しておかないと悲惨な目に遭う。十二月二十四日、コンビニからもケーキが姿を消すのを見て何とも言えない気持ちになるあれだ。けれど。

 今から、こんな、寒くなってきたしそろそろ冬かな、みたいな時期からクリスマスに突入されると置いていかれるような気がしてしまう。

 それは、大げさに言えば世界に。そう。世界に置いていかれてしまうような気持ちになるんだ。

 まだ、ひと月以上あるのに。

 特設のステージでは、サンタ服(ミニスカートじゃなくて、ズボンの)をだぼつかせた高校生ぐらいの女の子が電子ピアノでクリスマス・ソングを弾いていて、レクリエーションか何かで連れてこられたと思しき子供達がそれを観ていて、後ろには(おそらく)保護者たちの微笑ましげな表情の数々。

 みんな、心の中で苦笑いしてるんじゃないか、なんてことを思う。たとえば、わたしみたいに。

 ちょっと気が早かったかな、とか、流石にまだ早いんじゃないの、とか、観る方もやる方も考えてるんじゃないだろうか。

 新幹線の時間にはまだ余裕がある。駅にちょっと早く着きすぎた。このまま通りがかりに紛れてコンサートを観ていくのもいいかもしれない。心の中で苦笑いしながら。


 わたしにはお付き合いしている女性がいる。

 彼女、美冬と知り合ったのは高校の時。お互いの親戚どうしが結婚する、っていうちょっと珍しい偶然がきっかけで、同じくらいの年齢の子が居なかったこともあって、手持ち無沙汰だった二次会の場で話しかけてみた。

 もう何を話したかは憶えてない。特に共通の趣味がある、とかじゃなくて、とにかく新郎新婦の話とか、学校の話(それで初めてお互いが同じ学校だって知った)とか、他愛もない話で間を埋めて、連絡先を交換して終わった。

 美冬って、わかりやすい名前だな、と思った。やっぱり、冬に生まれたのかな、とか。

 とはいえ、別にわかりやすく意気投合したわけでもなく特にどっちから話しかけたり遊びに誘ったりすることもなく時間は過ぎて。

 次に話したのは、進級の時。

 クラス分けの貼り紙に名前があって、まあそう何人もいる名前じゃないよね、と思ってたらやっぱり本人で、縁だなあ、と思って改めて声をかけて、今度はちゃんと、っていうのも何か変な感じだったけど、友達になった。

 それからはずっと友達だと思って過ごしてきたから、告白された時はちょっと、いや、かなり驚いた。

 おしとやかそうな名前とは裏腹の、どんな真面目な話でも茶化さずにはいられない、そうすることでしか生きられないような彼女が、大まじめな顔でわたしのことが好きだって言う姿は滑稽で、すごく真摯で、きれいだったから、思わず承諾してしまって、もろもろのことは後から考えることになった。

 だから正直に言うと、最初から彼女のことをそういう意味で好きだったわけじゃなくて、興味本位で付き合い始めた、ということになってしまう。

 まあ、もともと友達だったわけで、顔も性格も嫌いじゃない、というかわりと好ましく思っていたし、付き合ってみてもっと知らない姿を見てみたい、と思えるぐらいの興味もちゃんと抱けたことになる。

 学校を卒業して、わたしは東京の大学(残念ながら偏差値は大したことがない)に進学し、美冬は地元で就職することを決めた。

 本当のことを言うと、付いてきて欲しかった。わたしが進学を我慢して就職するのでも良かった。でも、そういうわけにはいかなかった。ここに来てようやく『しがらみ』って言葉の本当の意味を知った気がした。

 とは言ってもわたしは学生生活が延びただけ。贅沢を言うわけにはいかない。勉強だって、やっと面白くなってきた。片手間でバイトすることだってできる。主に小遣いを稼ぐために。

 しなくてもいい、のか、しなきゃならなかったのか、なんて、きっと卒業するまで、卒業してもわからないようなモラトリアム。せめて、美冬とのこれからのために、何か役に立って欲しいな、とは思うけれど。

 美冬はもう立派な社会人だ。わたしが絵本のひよこみたいに卵の殻を頭に載せてる間に、彼女はすっかり大人になってしまったように見える。わたしたちはもう二十歳、けれど一緒に出た成人式は七五三で喩えるなら七と三がコンビを組んだみたいだった。

 だいたい会いに来るのは美冬の方で、どうせどっちかが行かなきゃいけないんだから東京で遊びたいじゃん、なんて言ってはいるものの、やっぱり財力の差を考えて気を遣ってくれているんだろうし、こっちで会う度に旅行慣れしていくというか、変な話、東京によく来る人、として、いつまでも田舎者が抜けないわたしよりよほど東京という町に馴染んでしまったように見える。

 だけど、今回はわたしが会いに行く。

 帰省のついでとかじゃなく、ただ、美冬に会うために帰る。

 きっかけはケンカだった。電話で、美冬の愚痴を聞いていて、今年はクリスマス休めないかもしれないんだ、って言われたから仕事じゃしょうがないね、って、もちろん、本当はそんなこと思っていないけれど仕方なく返したんだけど彼女はそれが気に入らなくて。最初はわたしの方がなだめていたけれどだんだん納得行かなくなってきて言い争いになってしまった。

 少し経って、冷静になって、同い年なんだからどちらが大人げないってどちらも大人げないってことなんだし折れるなら早いほうがいいぞ、と思ったのが昨晩のこと。

 思い立ったら即行動、なんて子供っぽさもこういう時ぐらいは長所だ。最低限の準備だけして新幹線のチケットを取った。


 コンサートが終わった。

 子供たちは保護者に連れられてそれぞれに帰っていく。通りすがりの人たちも止めていた足を動かし始める。わたしも。

 そろそろ、時間だ。

 改札へと、ホームへと、新幹線へと、向かう。その足取りは重いようでも軽いようでもあって。

 はやる気持ちが、わたしよりも早く美冬のもとに飛んでいく。

 新幹線の席で、荷物を棚に上げて、温かいお茶を片手に出発を待つ。どこでもドアで会いに行けたらいいのにな、なんて、きっと日本中の人が一度は考えることなんじゃないか、って思うけど、わたしだってそうだ。でも。

 たとえば、朝起きてベッドから、もしくは布団から体を起こす。寝室の扉を開けると、美冬が先に起きていて、わたしに、おはよう、ってあいさつしてくれるなら。

 もしくは、逆でもいい。わたしが美冬を起こして、朝ご飯できてるよ、って一言。

 一緒に住めるようになったら、きっとそういう生活が待ってる。その扉一枚が、今のわたしにとってはひみつ道具も同然なんだ。

 大学に不満はない。バイトだって恵まれてる。だけど、早く卒業したい。地元に帰りたい。美冬が待ってる町に、行きたい。

 新幹線が発車する。ゆっくり動き始めて、わたしたち乗客が気付かないうちにすごい速度になる。

 わたしはいつから、こんなに美冬のことが好きになったんだろう。最初はほんとうに、ただの友達だと思ってた。その言葉が、表情が、からだが、わたしをこんなにも一喜一憂させるだなんて思ってもみなかった。

 窓の景色はすごい速度で動いていく。速すぎて逆にゆっくり見える。似たような景色、同じようで違う駅。わたしはただ座席でそれを眺めている。

 大学で友達もできた。バイト仲間からは告白された。もちろん断った。もうひとつの町で、もうひとつの生活が少しずつ形になっていった。

 でもまだ、固まってしまうわけにはいかないんだ。都会に溶け込めないままだってかまわない。田舎者のままでいい。

 わたしは帰るんだ。今みたいに、半人前のままで美冬と住むわけにはいかない。ちゃんとして、美冬を支えられるような、支えてもらっても大丈夫な、そういう人間になってから。

 だけどやっぱり、寂しいものは寂しい。

 いくら今が未来だからって、テレビ電話だって無料でできるからって、この寂しさは埋められない。やっぱり織姫と彦星は星の数ほどいて、わたしたちだってその中のふたりなんだ。

 だから、こうやって会いに行く。

 地元の駅が近づいてくる。見知った建物が窓に映りはじめる。美冬の驚いた顔が頭に浮かぶ。

 なんて言って謝ろう。もしもあっちが謝ってきたら。夜は一緒に過ごせるだろうか。いつもの店で飲もうか。どっちの家に泊まろう。一応里帰りなんだから、わたしの実家じゃなきゃ駄目かな。

 好きだ、なんて普段は冗談めかして言えるくせに、こんな時はひどく恥ずかしい。頭の中でシミュレートしても無駄だって、きっと美冬の顔を見たら吹っ飛んで真っ白になるってわかってるのに、いろいろ考えてしまう。

 到着。荷物を下ろして、新幹線を出て駅のホームに立つ。少しだけ久しぶりに帰ってきた町はもう冬の色をしていて、東京とはやっぱり違う。

 改札を出て、駅を出て。

 わたしは冬の町を歩く。美冬の町、わたしのでもあった町。もう少ししたら、ふたりの町になる、筈で。

 ただいまを言おう。ごめんなさいを言おう。好きだって言おう。早くてもいい、クリスマスも祝っちゃおう。それまでにもう一回ぐらい会えるとは思うけどさ。

 わたしの白い息が、空気に吸い込まれていく。町と少しずつ混ざっていく。

 少しの間だけ、冬の国の住人になる。

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