九月、栗が重いが

 部室の机に剥く前の栗と思しきものが置かれている。それならばまあ、そろそろ夏も終わるし旬なのかとそれで済む話なのだが。

 でけえ。

 なに、この、人の顔と同じかそれ以上はある栗。

「あ、ぶちょー、こんにちはあ」

「はい、こんにちは。……で」

「すごいでしょー」

 机の前にいた女生徒が胸を張る。

「何、これ」

「何って、栗ですよう」

「ちょっと、いや、かなり、大きくないかしら……?」

「力作です」

「ああ、うん、そうね……」 

 あらためて栗を見る。つやっとしていて撫で心地が良さそうだ。

 そういえば、部室にはこの、栗を自慢している女生徒とわたししかいない。ということは……。

「あなた、先生もわたしもいないのに魔法を使ったの?」

「うっ……はい、そう、です」

 それまでの自慢モードから一転、しゅんと縮こまってしまった。

 学校において、魔法はコンロの火と同じだ。使用には責任者が同席する必要がある。責任者には『魔力管理士』、あるいは『魔法検定二級』以上の資格が必要とされ、また、一部の例外を除き、所定の場所以外で使用したりさせたりしてはいけない、ということになっている。

「それで」

 すっかり取調室と化してしまった部室で、わたしは尋ねる。

「言い訳しておきたいこと、ある?」

「ええと、特には……」

 すっかり恐縮して椅子に座っている後輩に、少しだけ態度を崩してやる。ますますもって二時間ドラマの刑事じみてきた。

「まあ、いいわ。とにかく、どうしてこんなことになったのか教えて?」

「えっと、栗が……食べたくなって」

 くう、と可愛らしく彼女のおなかが鳴る。

「お昼、食べなかったの?」

「食べたんだけど、……足りなかったみたいです。それで」

「空腹が高じて魔法の使用に至ったと」

「わざとじゃないんですよう」

 涙目、に近い表情で訴えかけてくる彼女に嘘をついている様子は見られない。

 わたしはスマートフォンのアプリを起動して、室内で使用された魔力のログを調べる。確かに放課後、一度だけ少量の魔力が使用された形跡がある。

 続いて、彼女の手首を確認する。淡く光っている縁日の腕輪のようなそれは魔力制御用のキャップであり、無資格者、特に彼女のような生まれつき魔力の強い者には必須とされている。

「だいたい、わかったわ」

「悪気はなかったんですよう」

「はいはい、大丈夫。先生にも一応報告しておくけど、特に処分は無いと思うわ。ただ」

 わたしは彼女の魔力制御用キャップを軽く握り、続ける。

「あなたは才能がある。ちゃんと勉強すればすぐに資格だって取れる。だけどそれは、裏を返せば魔力がたやすく暴走するってこと」

 彼女の手首から、手を離す。

「魔力制御キャップも万能じゃないわ。あなたが魔法犯罪を犯すような人だとは思っていないけど、そう言う風に利用できてしまうこともあるんだし、ね?」

「はい……」

「ま、十分反省してるみたいだし、このぐらいにしておくわ。……で」

 わたしは視線を机に戻す。

「どうするのこの栗。持って帰るの?」

 そう言い終えた辺りでまた、くう、と彼女のおなかが鳴った。

「食べましょう!」

「ええと……」

 とりあえず、指で表面を軽く撫でる。思った通りのつるっとした触感が心地いいが。

「これ、普通の甘栗みたいに剥けるの?」

「えと、その、……試してはみたんですが」

 扉をノックするように軽く叩いてみると、いい音がする。いやな予感。

「っていうかそもそもこれ、甘栗なんでしょうね」

「え、甘くない栗ってあるんですか?」

「あるわよ」

 わたしも詳しくはないけど、甘栗じゃなかった場合、そもそも剥くのも大変だし、調理が必要だった気がする。

 詳しく覚えてはいないが。

 そういったことを説明すると、後輩はいつになく真剣な顔をしていた。

「センパイの魔法でどうにかなりませんか……?」

 彼女のおなかの音はしつこくくう、と鳴り続けている。

「もう購買で何か買ってきなさいよ……」

「財布忘れたんですよう」

「貸してあげるから」

「センパイ」

 後輩は真剣な顔を崩さずに言った。

「もうそういう問題じゃないんですよ」

「うん?」

「もうわたしのおなかは栗を食べないと気が治まらないんですよ!」

「……ああ、そう」

 まあ、気持ちはわからなくもないけど。

「っていうか、センパイ」

 今までの真面目そうな表情を崩し、後輩は机をとんとんと叩く。

「たぶん、この部屋のせいなんですよ」

「……どういうこと?」

「なんか、……わたしにもよくわかんないんですけど、少なくともわたしは普通の栗を出そうとしたんです。栗は全部甘栗だと思ってたんで、たぶん甘栗を」

「たぶんって」

「でも、いざ具現化するとこんなになっちゃったんです」

 さっきわたしがしたみたいに、後輩も栗を叩いてみせる。相変わらずいい音だ。

「だから、センパイも試してみてくださいよ」

「えっと……」

 わたしが困ったような表情を浮かべると、後輩の顔がぐいっ、と迫ってくる。

「よ!」

「わかった、わかったから」

 わたしは鞄から、光るガイコツのキーホルダーを取り出す。よくセンスを疑われるシロモノで、実際わたしも自分でどうかと思わなくもないのだが、触媒として選んでしまったのだから仕方がない。

 無資格の後輩のように、魔力制御のキャップがある場合、それがそのまま触媒になるのだが、有資格者は自分で買うなり作るなりしなければならない。もっとましなものを選びたかった、とずっと思っているのだが、あの時は必要に迫られていたので仕方ない。

 それに、少しだけ愛着もわいてきてるし。

 考えが逸れた。集中。栗。甘栗。なんか剥いてあるやつ。なんなら砂糖漬けとかになってるやつ。そのまま食べられるやつ。だめだ、思考が分散していく。

 再度集中。甘栗。頭の中のスケッチブックに心の鉛筆が滑り始める。

 五感。栗を構成するもの。できるだけ詳しく、自分の中のそれを他人にも伝わるよう解体していく。

 と、ひとしきり終えたところで完成した栗の絵が膨らんでいく。

 縮尺がおかしくなる。

 慌てて意識を内面から引き剥がす。

 光るガイコツの触媒が間抜けな電子音を鳴らす。魔力の使用が終わったことを示すアラームだ。

 そして目の前にあるのは。

「ね?」

 やっぱり、でかい栗だった。ちゃんと剥いてある、という点だけが違うが、大きさは彼女が具現化したものとだいたい同じだ。

「やっぱりこの部屋、何かありますよ」

 そう言いながら早速栗に手を出そうとする後輩。そのままかぶりつこうとしている。

「……いいけど、口つけたら責任取って最後まで食べなさいよ」

「え、センパイも食べましょうよ。反対側から。ほら、ポッキーのあれみたいな」

 前々から薄々感づいてはいたけれど、この後輩、頭が悪いな。

 わたしは彼女の言い分を無視して自分の左頬に手を当てる。考え事をするときの癖みたいなものだ。

 さて。

 わたしはスマートフォンを取り出して先ほどのアプリを起動する。魔力の使用は今のも含めて今日は二回だけ。ただ、画面下に小さく『特殊な力場』という言葉が、天気予報の注意報みたいに躍っていた。

 詳しい状況を見ようと画面をタップしたところで部室の扉が開く音がした。

「こんにちはー。先生、おみやげ持ってきましたよー」

「こんにちはあ」

「あ、はい、こんにちは」

 入ってきたのは顧問の先生だ。手には地元の洋菓子店の箱を下げている。

「おみやげって何ですかー」

「じゃじゃーん、なんと、……ってあら」

 箱を机に置いたところで、栗の存在に気付いたようだ。

「あら、あら。困ったわ」

 そういって開けた箱の中には、モンブランが三つ。

「かぶっちゃったわね」

「いや、あの、先生……」

「それにしても、立派な栗ねー」

 あ、良かった反応してくれた。

「立派なのはいいんですけど……」

 そう言ってわたしは、先生に経緯を説明した。先生はひとしきり話を聞いたあとに、剥いていない方の栗をつるっと撫でた。みんな考えることは一緒だ。

「ごめんなさい、それ、わたしだわ」

 先生は棚の鍵を開け、小さな猫のぬいぐるみを取り出した。

「あ、かわいー」

「でしょう? あ、そうじゃなかった。これがね」

 先生がそのぬいぐるみのおなかを押すと、猫の声とは少しばかり認識しがたい、変な声で鳴いた。

「これでだいじょうぶ。可愛いからつい買っちゃったんだけど」

 先生曰く、そのぬいぐるみはスイッチをオンにすると『具現化しようとしたものを適当に大きくする』のだそうで、使いどころも特になく部室に置いて帰ったのだそうだ。……スイッチを切り忘れて。

「なんだ、そうだったんですかー。ビックリしましたよう」

「じゃ、無事解決したことだし、紅茶でも淹れて食べましょうか」

 先生はモンブランを並べ始める。

「はーい」

 後輩が電気ケトルに水を足し、スイッチを入れる。

 確かに。買ってきたケーキはすぐに食べなきゃいけなかったと思うのだが。

 その後、わたしが具現化させてしまった巨大な甘栗(食べかけ)を三人がかりで必死で消化したのは言うまでもなく。

 ついでに、残った方の栗だが、後輩が例によって撫でながら、「重いから置いて帰っていいですか?」なんて言うので、もちろん駄目だ、持って帰れときつく言い渡しておいた。

 しばらく栗は見たくない。

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