五月、日頃の予防が大事です

 わたしは五月病だ。

 あ、いや、ちょっと待って。早合点しないで。別にわたしが五月病患者だというわけではなくてですね。

 わたしが五月病? わたしこそが五月病? 何て言えばいいんだ? とにかく、わたしは。

 五月病という存在? 概念? まあ、そういうの。だからわたしが五月病になっちゃったら自分が自分に取り込まれるっていうかああやめやめ。このたとえは余計に混乱する。

 とにかくわたしは五月病で、わたしこそが五月病で、ひとを五月病にするのが仕事というか存在意義なのでありますよ。

 今回は、そんな五月病たるわたしが取り憑いた? わたしに罹患した? ひとりの少女のお話です。


 ここはとある学校の部室棟。入口には『手芸部』って書いてある。

「はぁ……」

 さて、今回のイケニエは……って、わたしが引っかけるまでもなくユウウツそうなんですけど。

 もし、もしもし。

「あ、はい! もしもし!」

 ……あれ?

「……え?」

 ……こんにちは。

「こ、こんにち、は……?」

 え、なんで。

 なんで意志の疎通が出来るんですか?

「だ、誰……?」

 少女(おそらく学生)は幽霊にでも出会ってしまったかのように、訝しげに部室内を見渡す。

 しかし、誰もいない。

 そりゃそうだ。わたし、五月病だもの。

 あらためて、こんにちは。わたし五月病。名前はないの。よろしく。

「えっ、あっ、えっと……五月病? よろ、しく……?」

 理解が追いついていないみたい。繰り返すけど、そりゃそうだ。わたしだって時折『自分』がわからなくなるんだもの。

 順を追って説明する。

 わたしは五月病の概念、とかそういうもの。

 貴女を五月病にするために来た。

 実体はないんだけど、意志はある。

 で、なぜか貴女には、わたしの声が届く。

 ……うん、信じろ、って言っても無理じゃないかな、とは思うけど。

 まあ、そういうことなんで、諦めて五月病になってください。

「あっはい……なんだか、やる気がなくなってきたような気がします!」

 いや、それもどうだろう。

「申し訳ないんですけど、今はそれどころじゃないんですよ」

 ほう? 今はやりの五月病を差し置いて優先するような事柄があると。

「そう……なんですよ」

 五月病でよければ相談に乗りますよ。

「そうですか、それじゃあ……」

 言いかけたところで、がちゃり、と扉の開く音。

「あら、こんにちは」

「こ、こんにちは」

「ごめんなさいね、わたしももう少し早く来ようといつも思うんだけど、ランちゃんがなかなか帰してくれなくて」

「もう、センパイ。あまりのろけないでください」

「違うのよう、今日は本当に用事だったの」

 慌てた風に繕うもののどこか嬉しそうなセンパイと、仕方なくそれを受け入れていますがほんのり不満ですよ本当ですよといった表情のコウハイちゃん。

 このタイミングでコウハイちゃんに話しかけたら超迷惑だろうなあ。ほれほれ。

「やめてくださいね」

「……なんか言った?」

「あ、いえ。なんでも」

 うむ。満足。傍観者に戻るよ。

「そうしてください」 

「……? やっぱりマコちゃん、なんか言ってるでしょ」

「いえ、だから、何でもないです……」

 にらまれた。

 でもそこにわたしは居ませんよ。っていうかどこにも居ませんよ。ウィルスですらありませんからね、わたし。

 うわ、めっちゃにらまれてる。けどどこに居るかわかってないから視線がとりあえず虚空に向かってる。

「……今日のマコちゃん、やっぱり何か変よ?」

「いやほんと、何でもないですから! あはは……」

 そうね、話すのはセンパイが居なくなってからにしよう。

 今度こそ本当に傍観。

「大丈夫? ……やっぱりわたしだけで今から別の編もうか?」

「いえ、本当に、それは。……センパイとの、思い出ですし」

「でも……」 

「ほんと、もうちょっとだけ時間くれたら、元に戻りますんで」

「それなら、いいのだけど……」


 部活が終わり、マコちゃんとやらの帰り道についていく。

「で、いつまでついてくるんですか」

 うーん、5月中? 6月まで残ってたらまた別の病気の担当になっちゃうし。

「いやすぎる……」

 じゃ、克服してくださいね。五月病は気が済んだら去っていくので。

「そもそも、わたし、五月病じゃないですし……」

 まあまあ、そう言わず。さっきの相談も、乗ってあげますから。

「五月病に人の心がわかるんですか」

 まっ失礼な。こう見えても(見えないか)人の心には敏感なんですよ。貴女五月病のことをちょっと侮ってますね?

「うーん、確かに、そういう病気、病気? そもそも五月病って、病気?」

 細かいことは気にせず。

「なんか、いいように丸め込まれてる気がするけど」

 そんなことありませんヨ。

 マコちゃんは何かを言い出したげにうつむいていたけれど、やがて何かを決心したように、「わたし、ユメセンパイのこと、好きなんです」

 ほう。ユメセンパイというと、さっきの。

「そう。……でも、センパイにはもう、彼女が居て」

 なるほど、それがさっきのランちゃんというわけですな。

「理解が早すぎて気持ち悪い……まあ、いいけど。とにかく、そのランちゃんっていう人は先生で、だから本来ばれたら大問題なんだけど、わたしにだけ、打ち明けてくれた、の」

 はー。

「……なんですか。言いたいことがあるならちゃんと言ってくださいよ」

 いや、青春だなあと。

「青春とかわかるんですか」

 長いこと五月病なんてものをやってますとね。そのぐらいは。

 で。

 貴女はどうしたいんですか。

「どうしたい、って」

 その、ランちゃん先生とやらからユメセンパイを奪いたい? 早めに諦めて気持ちに整理を付けたい?

「いや、だから、その……」

 あ、いや、わかってますよ。すぐには答えが出ない問題だー、とか、もう少し悩ませろー、っていう、ね。そういう心の機微、わかってますよ五月病。嫌いじゃないですよ五月病。

「本当に、いらっとするなあ……」

 でも、正直に申しまして。それは「あと五分だけ寝かせてー」なのでございますよ。

「……そんなの、わかってるし、でも、簡単に答えなんて出せないし」

 まあ五月病はしょせん五月病ですので。「好きなだけ寝てていいよー」としか言えないのがもどかしいのですけどね。人生まだまだ長いんですから、少しぐらい遅刻したっていいじゃないですか。

「あ、また営業モード」

 うまいこといいますね。確かにわたし、保険の営業みたいですもんねー。

「保険とかは、よく知らないけど、うさんくさい」

 ま、五月病に罹ったのが運の尽きというわけですなー。

「なんなのよ、もう……」

 五月病です。


 時は流れて再び部活中。

 今度は口出しせず、ただ見守っているわたしです。

 外、運動部の喧噪をBGMに、黙々と布を縫うふたり。たまに休憩して、飲み物を手に取る。

「センパイは」

「ん、どうしたの」

「卒業したら、やっぱり先生と一緒に住むんですか」

 センパイの顔が赤くなる。わかりやすい。

「もう。『のろけないでください』って言ったのはマコちゃんなのに……」

「そういうのじゃなくて。気になるんです」

 マコちゃんはうつむいている。表情はセンパイに見えないよう。でも、センパイの表情も見ていない。

「そうねえ……やっぱり、そうなるのかも」

「センパイは、進学でしたっけ」

「そう。ほんとはね、すぐに働きに出たいな、と思ってたんだけど、ランちゃんが勧めてくれて、ね」

 その後センパイちゃんはマコちゃんの質問に、必要以上に真摯に答えた。マコちゃんはちょっとだけ顔を上げて、ランちゃんとわたしの今後、を語るセンパイちゃんの顔を見た。すぐにまた、うつむいた。

「で、どうしたの? 進路についてお悩み?」

「ええ、まあ……」

「進路なんて、なるようにしかならない、わよう。……なあんて。これ、ランちゃんが言ってたんだけど、案外そうかもなあって。後の祭りとか言うけど、それって前もってわかることだけじゃないと思うんだよねえ」

 ま、気にしなくていいよう、とセンパイちゃんは気安く言って、そうですよねと苦笑い気味にマコちゃんは答えて。

 再び、作業に戻る。


 マコちゃんは「もう少しだけ残って、作品を仕上げていきます」と言ってセンパイちゃんの帰りを見送った。

「……ねえ、五月病さん」

 はい、なんでしょ。

「しばらくあっち向いてて、ください。っていうか、ちょっと出てってくれたら、もっといいんですけど」

 いや、そういうわけにも……

「いいから!」

 わたしの返事も待たずに、マコちゃんはぐすぐす泣き出した。うーん。向くとか向かないとか、出ていくとか出ていかないとかじゃないんだけど、なあ。五月病、人の心がわかるので、こういうのは苦手です。


 マコちゃんはひとしきり泣いて、何事もなかったかのように、正確にはそう見せたいというように化粧を直して家に帰った。

「なんか」

 はいはい、話ぐらいなら聞きますよ。

「いい。これ、ひとりごと。勝手に言わせて」

 マコちゃんはぼんやりと部屋の天井を眺めながら、「なるようにしかならない」とつぶやいた。

「今すぐにセンパイが欲しいって、それはわたしのわがままなんだけど、たとえば、十年後には、センパイとわたしは付き合ってるかもしれない。ううん、結婚してるかも。別にセンパイとランちゃん先生の恋愛が失敗してほしい、ってことじゃなくて。それこそ、なるようにしかならない、でしょ?」

 長いひとりごとですねー。

「うるさい。……そしてもしかしたら、その頃にはわたしにも別の恋人が居るかもしれなくて。また似たような恋をしてるのかもしれないし、もっと素直に、誰かから告白されて付き合ったり結婚したり……子供がいたりするのかもしれないし」

 また五月病になってるかもしれないし。

「……ま、どうなってるかなんてその時になってみなきゃわからないでしょ。それに、卒業しちゃったらセンパイに会えなくなる、ってわけでもないしね」

 マコちゃんは、たぶん、と付け足した。

「本当に、どうなるかなんてわからないんだ。明日二人まとめて死ぬかもしれないし、百歳過ぎて縁側で笑いあってるのかもしれなくて。だから、もう、今じゃなくてもいいかなあ、って」

 達観しちゃいましたね。

「いえいえ、隙あらば、の精神は忘れませんよ」

 忘れたく、ないですよ。とマコちゃん。

「五月病さん、……ありがとう」 

 わたし、なにかしました?

「わかんないけど、なんか。ありがと。でももう帰って」

 そうですねえ。

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