四月、うそつきとうそつきと(シングル・エディット)


【Intro】


 綿菓子可憐は可愛い。

 ふわふわで、背が小さくて、愛くるしいマスコット的存在、というわけではまったくない。むしろ逆だ。彼女は『演劇部の王子様』であり、まだ入部したばかりの一年でありながら、演劇部が女子ファンを大量獲得できるチャンスだ、と先輩達が躍起になっている。 周囲は宝塚的魅力ばかりを、そのポテンシャルばかりを求めるのだが、素の彼女というのは貴族的というにはほど遠い、体育会系的な後輩精神と愛嬌を兼ね備えた、部活にとって理想的な新人なのである。『飼い犬』という単語が頭をよぎる。


 苦笑(にがわらい)高菜は可愛くない。

 まず愛想が悪い。興味のある事柄にしか反応しない。悪い意味でのオタクだ。それでも話せばなんとなく根はいい人なんじゃないかと思わされるので余計に質が悪い。音響担当として耳が良すぎるのも良くない。自分で作ってきた音源だろうが、戯曲に合いそうな既存の曲だろうが、進行上必要なサウンド・エフェクトまで、持ってくる音源が冴えている。

 彼女の親がそこそこ有名なセッション・ミュージシャンだというのも大きい。おかげで専門の環境には事欠かなく、物心付いた頃には様々な楽器、機材の使い方を遊びながら覚えていったし、両親ゆかりのミュージシャンにも可愛がられた。それがまた変人だらけだったものだから、すくすくと変人に育っていった。


【Verse I】


 四月。入学式。部活動紹介。割内(わらない)高校演劇部による新入生勧誘公演『はぐれた童話にきみがいた』(作・演出 御徒町国土)はほぼ例年通りと言ってよい成功を収め、無事に五名の新入部員を獲得した。一見しての印象なのでどこまであてになるかはわからないが、すぐに辞めそうな、主演目当てのミーハーだとか気の迷いでうっかり入ってしまったようなのは見当たらない。そもそも主演に華がないのが現在の割内高校演劇部だからして。

 しかし、それも四月までの話である。

 綿菓子可憐は逸材だ。本人は何を血迷ったか裏方に希望を出してきたが上級生がそれを許す筈が無い。今から割内高校演劇部は人手不足となり、新入生は裏方と役者を同時に行えるようになるという手筈が着々と整えられていく。

 苦笑高菜はいつも通り、演劇部がひとつのヤマを越えたことに安堵し、次の公演までの予定、新入生の教育、といったことに思いを馳せている。と、新入生が声をかけてきた。

「センパイが、音やってたんですか?」

「……ええ、そうだけど?」

「最後のシーンの、何の曲かわからなかったけど、すっごく良かったです!」 

「そりゃ、わからないんじゃない。わたしが作ったんだもの」

「えっ!」

 苦笑高菜は会話と平行して思案する。何だっけこの子ああそうか他の部員がやたら話題にしてたなんだっけ見た目と名前が一致しないやつ。

「あの、あの……笑わないで聞いてくれます?」

「話題によっては爆笑するけど」

「わ、わかりました……実はわたし、歌い手、やってるんです」

「へえ」

「……それで、ほんとに、わたし自身は曲とか全然書けないんですけど、歌うのだけは好きで」

 綿菓子可憐の表情はひどくシリアスだったが、苦笑高菜はまるで無関心といった風であり、まあ、どっちでも良いけどなんでわざわざわたしに話しかけてくるんだこいつ、とか考えていた。

「で?」

「あの、もし、良かったらですけど……ミックスとか、頼めないかなあ、って」

「嫌よめんどくさい」

 ばっさり。

「即答しなくても良いじゃないですか」

「何、悩んでるふりして欲しかった? 熟考の末に断られるの、待たされるだけ時間の無駄だと思わない?」

「……センパイ、性格悪いですね」

「よく言われるわ」

 そんなことを言いながらも綿菓子可憐は笑顔だ。苦笑高菜は何この子マゾなの? とか、むしろこいつ懐柔のし甲斐があるわとか思ってるドS? といったことを考えて多少混乱する。

「わかりました、じゃあわたしがセンパイの弟子になる、ってところで手を打ちませんか」「え?」

 どうして、お前が、上から目線の、提案をするんだよ、と思い切り突っ込みたくて仕方がなかったが、とりあえず話だけは聞いてやろう。苦笑高菜は寛大だ。

「わたしがセンパイの仕事を手伝いますから。センパイはわたしに音響の仕事を教えてください」

 新人の教育もセンパイの仕事のうち、ですよね? 綿菓子可憐はしたたかだ。

「実はもう、希望出してきたんです。『裏方で音響をやりたいです』って」

「無理ね」

「どうしてです?」

「そこに鏡があるでしょう?」

 あんたみたいなのは無理矢理にでも舞台に立たされるわよ、と苦笑高菜。

 綿菓子可憐は数秒、困った風な表情をしてから、じゃあ、両方で! と勢いで宣言してしまった。

「……そこまで言うなら」

 まあ、そりゃ、考えないでもなかったのだ。新人の育成、とか。二年生は全員他の部員に懐いている。苦笑高菜にとって、頭痛の種、まではいかないものの、それなりに悩んではいたわけで。

「あの、わたし、綿菓子可憐って言います。……よろしくお願いしますね、センパイ」

「……苦笑高菜よ」

 綿菓子可憐はもう一度同じ笑顔をしてみせた。苦笑高菜は嫌そうな顔を返した。


【Verse II】


 帰宅した苦笑高菜はまず、教えられた単語でニコニコ動画を検索し、綿菓子可憐の歌声を聴いた。なるほど上手い。そして録音が悪い。これなら偏屈な上級生相手にああいった態度で粘るのも理解できる。

 さて、苦笑高菜はどうするべきだろうか。機材を貸して使い方を教えるだけでも十分、だろう。とはいえ。

 どこまで本格的に教えるか。音響の仕事をしたいとかそういうことなら話は別だが、部活動で使うものはそこまで本格的じゃなくても良い。それに曲を自分で作る必要もない。苦笑高菜は趣味でやっているのである。

 そもそも、苦笑高菜が人にものを教えるのは初めてだ。彼女には勝手がわからない。とりあえず、で綿菓子可憐を家に呼ぶ。自室で、或いは親が使っていない仕事場で、普段の作業を見せる。綿菓子可憐は細かくメモを取りつつ、自分も触りながら吸収していく。

 そういった作業を繰り返していく中、苦笑高菜には一つ気になることがあった。綿菓子可憐の声の波形、である。


 あまりに綺麗、なのだ。最初に気付いたとき、間の抜けた溜め息が出た。


 苦笑高菜には、人の声をスペクトル分析して楽しむ趣味は無い。しかし、声の仕組み、に関する知識は親やその同業者から一通り以上に叩き込まれていた。

 驚いて綿菓子可憐を見る。その表情は(それがいくらか『演劇部期待の王子様』然としていようが)ただの女子高生だ。普段着の間抜けな表情で苦笑高菜を見つめている。漫画的表現で言うと頭にクエスチョン・マークが浮いている感じだ。「どうしました?」と顔が言っている。わかりやすさの極致ここにあり。

「……あんた、歌い手よりボカロの方が向いてるんじゃないかしら」

「えっ、……えっえっ?」

「ボ・カ・ロ。ヴォーカロイド」

「ミクちゃんとか、GUMIちゃんとか?」

「そう」

「……わたしが?」

「そう」

「こ、コスプレですか……」

 似合いませんよとか口では言いながら満更でも無さそうなのが綿菓子可憐という人間の可愛らしさ、なのかもしれない。

「何言ってんの。声よ」

 なんなら関係者を紹介しようか、というのは苦笑高菜流の冗談、だったのだけど。

「本当ですか!」

 綿菓子可憐、本気にした。


【Bridge】


 綿菓子可憐はまず歌い手として、ニコニコ動画で名を上げファンを増やしていった。元より歌の上手い人間であり、なおかつ声質も魅力的、加えて当人のミーハー趣味が良い意味で作用し、原曲の再生数が多かったというのも味方した。


「ねえセンパイ」

「何」

「センパイは、ニコ動に曲、発表したりしないんですか」

「……しないわね」

「なんでです? あんなにカッコいい曲がたくさんあるのに」

「きっと、うけないから」

 苦笑高菜は嘘を吐いた。


 苦笑高菜はボカロPである。殿堂入りなんて夢また夢、再生数、コメント数、マイリスト数の連帯が低空飛行を続けている。別にちやほやされたい訳ではない。特に成功したい訳じゃない。数少ないコメントはポジティブなリアクションが多い。それは言い訳でしかなく。本音は多くの人間に聴かれたいのだ。表現者としてポップでありたいのだ。父は一枚だけソロ・アルバムを作ったが長く絶版が続いている。母が参加したバンドのアルバムも入手困難が続いている。二人はセッション・ミュージシャンになることを選んだ。わたしは。


 綿菓子可憐は一度だけ、ニコ動に上がっている苦笑高菜の曲を歌ってみたことがある。目の前でミックスを頼まれた苦笑高菜は冷や汗をかき、綿菓子可憐の信頼を疑い、それとなく尋ねることにより苦笑高菜の作品だと気付かないまま気に入って歌ってみたのだと言うことを知り、安堵した。その楽曲は、綿菓子可憐の『歌ってみた動画』に引きずられるように、申し訳程度の殿堂入りを果たした。


【Chorus】


 綿菓子可憐のデビュー計画は着々と水面下で進行していった。彼女にはいくつもの可能性がある、とは関係者各位の総意である。ボカロにするもよし、『動画サイトで話題の歌い手』として歌手デビューさせるもよし。いっそ声優にするべく事務所で預からないか、という話まで出た。付け焼き刃とはいえ、演劇部で学んだ様々な物事が役に立つ、かもしれなかった。


「な、なんか、大事になってきましたね……」

「そう? 当然の結果だと思うけど」

「なんでそんな冷静なんですか」

「環境、かしらね。……とにかく」

 苦笑高菜は綿菓子可憐の目を見て言った。

「これは、あんたが選んだからこうなってるんだし、わたしは最初からきっとこうなるだろうと思ってた。……わたし、あなたの声、好きよ」

「えっ、あ、ありがとう、ございます……」

「正直、嫉妬するほどよ。わたしにはそんな才能なんて一つも無い。……こんなのすべて、小手先の遊びだわ」

「センパイ」

 綿菓子可憐は苦笑高菜の目を見返す。ほとんど睨み付けるように。

「やめましょうよ、そういうこと言うの。そんなこと言うなら、わたしだって、センパイの作業、近くでずっと見てきました。一番弟子です。二番いないけど。とにかく、センパイがわたしの声を嫉妬するほど好きだって言うなら」

 深呼吸。

「そのわたしが断言します。センパイの曲も、耳も、なんかまだ全部はよくわかってないですけど技術も、すごい。きっとセンパイにしかできない」

「そんなの」

 苦笑高菜の言葉を、綿菓子可憐は遮る。

「センパイ、わたしに嘘を吐きましたよね」

「何のことかしら」

「センパイ、ボカロPなんでしょう。センパイの曲、歌ったじゃないですか」

「……気付いてたの」

「そりゃ、わかりますよ」

 一番弟子ですからね、と意味もなく胸を張ってみせる、その瞬間だけ、緊張感は薄れて。

「センパイ、わたしは、センパイの曲、好きです。ボカロだか声優だか歌手だかわかりませんけど何かすごいことになるわたしがもう一度言います。センパイ!」

 苦笑高菜は。


【Outro】


 結局、綿菓子可憐はただの演劇部に所属する女子高生に逆戻りすることになった。あの、いくらか王子様じみた居場所にも、そろそろ慣れようとしている。

 苦笑高菜は相変わらずだ。ただ、少しだけ他の部員に対する応対が柔らかくなったような気がする。


 驚く間もなくあっけなく、チャンスは去ってしまったけれど。

 そのままの二人は一つの野心を手に入れて、顔を合わせては意地悪く笑うようになった。

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