9、絵に囲まれ、何を思う

 広さは美術室の三分の一くらいで、教室よりも少し狭い。美術教師の為の机や、画材などの置かれた棚が見える中、本来はもっと広く感じられるであろう室内をたくさんのイーゼルが埋め尽くしていた。


 イーゼルにはキャンバスが乗せられ、その全てに見事な絵が描かれている。恐らく、文化祭で飾る為の絵を保管しているのだろう。一応、最低限の表面保護はしているようだけど、額縁に入れたりはしないのだろうか。


 それにしても、さすがは高校生。私が絵画教室で描いていたモノとは段違いに上手い。一緒に置いてあった展示用のネームプレートを見ると、どれも二年生の作品だった。


 部の出し物は二年生が中心になってするから今年はクラスに集中する、と舞花も言っていた。私はゆっくりと、絵の合間を縫うように準備室の奥へと歩む。


 一つ一つの絵の素晴らしさに感動する反面、ずきりずきりと心の奥底へと刺さる棘のような痛み。見ていたいけど、見たくない。相反する思いが私の足を急かす。


「……あれ?」


 ふと、気付いた。一番奥にあるイーゼルに乗せられたキャンバスに白い布が掛けられている事に。


 まだ未完成なのだろうか。でも、絵の具を使ってるのなら布に色が移っちゃうんじゃ? 疑問を抱いた私の足は、自然とそちらに向いていた。


 どう言えばいいのだろう。何とも言えない魅力を、そこから感じたんだ。


 絵を見るのが怖い、だとか、未完成の絵を見るのは失礼だ、という思いが私の脳裏を渦巻く。けれど、ここから逃げ出すヒントがあるかもしれない、という半ば強引な言い訳で封殺し、私はするりとキャンバスを覆う布を引いた。


「ひゃっ……!?」


 他の絵と同じで風景画だろうと思っていた私は、反射的に小さく悲鳴を上げてしまった。


 人の絵、だ。自画像……いや、違う。横顔なので、誰かをモデルにして描かれた絵だろうか。


 しかも、他の風景が色鮮やかな絵の具を用いられた油絵だったのに対し、その絵はデッサンだった。つまり、鉛筆だけで描かれた絵。


 一般に、デッサンは色を使う事で誤魔化す事が出来ない為、描く人の画力が浮き彫りになる描き方だと言われている。だからこそ、圧倒的な画力によって描き出されたであろうその絵のリアルな人間らしさや迫力が、私の心を震わせる。


(これ……もしかして、文化祭用に新しく仕上げてるのかな)


 舞花の話だと、美術部は年に二つくらい、本腰を入れた作品を仕上げて美術コンクールに応募するらしい。絵を一つ仕上げるだけでも相当の時間と労力が必要なので、普通はそのコンクール用の絵を文化祭の展示にも使うみたいだ。


 だから、未完成の作品がここにあるという事は新たに絵を描いている、という事なのだと思う。


「……あれ?」


 しばらく絵に見惚れていた私は、ふと首を傾げた。


 デッサンで描かれたその絵のモデルは、どうやら小学生高学年から中学生くらいの少女のようだった。それはいいのだが、似ている気がしたのだ。小さい頃の、私に。


 長めの黒髪、切れ長の瞳、周りの同級生よりも低めの声、言葉数が少なくて落ち着いている(実際は人見知りなだけ)事から、大人びている、と良く言われた。アルバムを見返すと、大人びていると言うよりは陰気なだけに見えるけど。


 そのアルバムに映っている私と、似ている。改めてそう思い至り、いやいや、と一笑に付した。何で私が、しかも昔の姿が絵のモデルにならなきゃならないんだ。


 でも、この絵のタッチにも見覚えがあるような……? やっぱり気になって、私はネームプレートに目をやった。


『幼き日の天使の微笑み  2年4組 秋月時雨』


 シグ君……? これ、シグ君が描いた絵なの?


 画家の両親の才能を受け継いだのか、ヒサ君もシグ君も私よりずっと絵が上手かった。だから、シグ君が専門学校でもなければ別に美術部で有名でもない西塚高校に通っているのが、とても不思議だったのだ。


 でも、相変わらず上手だなぁ、シグ君は…………ん?


(いや、ちょっと待ってよシグ君)


 シグ君は小学校の時の私を知ってる。だから『幼き日の』は不思議じゃない。

 でも、『天使の微笑み』って……天使? 私が? いやいや。名前負けしてるにも程があるって。


 何で私なんかをモデルに? しかもこんなタイトルで?


 勿論、分からないよ? この絵がホントに昔の私をモデルにしてるかどうかなんて。


 そもそも、この光景が〝本物〟かどうかすら分からない。音楽室の間取りから美術室の様子を想像した私が創り出したただの〝夢〟で、絵の内容も私の妄想に過ぎないかも……って、それはそれでヤバいよね。自分を天使って。


 一人で勝手に想像して焦って慌てふためいている私は、周りから見るとただの変質者にしか見えないだろう。けどまぁ、どのみち私しかいないんだから別に


「ねぇ」

「っ……!?」


 心臓が、跳ねた。

 

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