第一章 色彩、静かにぼやけて
4、不思議の始まり
――――――気が付けば、私はそこに立っていた。
オレンジ色に滲んだ陽の光が降り注ぐ。
物悲しいカラスの鳴き声が遠ざかっていく。
がたん、ごとん。電車が一定のリズムを刻んで線路を踏みしだく。
見慣れた、聞き慣れた、淡い景色。私は、知っている。
(…………ここって……)
寂れた公園がそこにあった。
それぞれ高さの違うモノが繋がった錆びた鉄棒。
ジャングルとは名ばかりの小さすぎるジャングルジム。
衝撃を抑えるために埋め込まれたタイヤがパンクして用を為していないシーソー。
そもそも何の遊具なのかすら分からない、前衛芸術じみた鉄パイプ達。
懐かしく、だからこそ寂しくなる。私はゆっくりと公園に足を踏み入れた。
世界が、揺らいでいる。まるで海の中を歩いているかのよう。砂の波が引いては押し寄せ、色が混じり合うようにぐにゃりとひしゃぎ続けている。
そんな世界を、私の足は不思議としっかり大地を踏みしめている。遊具の一つ一つに触れながら、何かに導かれる様に公園の奥を目指す。
きーこ、きーこ、
と軋むような音。私は自然とそちらを見た。
ブランコ、だ。今にも鎖が千切れそうな、不安を煽る音を立てるそれ。
一人の少年が、座っている。
「……赤は、情熱……全てを溶かし尽くす、激情の炎……」
少年は私に背を向けたまま、謡うような口振りで空に語り掛ける。
「……青は、静寂……穏やかにたゆたう、安らぎの水……」
足で地面を擦るように蹴り、ブランコを小さく揺らす。彼の背中は、とても小さい。
私は少しだけ悩み、意を決してブランコに歩み寄る。
「……黄は、希望……明日を照らし出す、穢れなき光……」
この声、懐かしいな。そんな事を思いながらも、何が懐かしいのかが自分でもよく分からなかった。
私は足を止めた。ブランコが手で届くか届かないかの距離。ブランコに座る少年を見下ろすと、彼もまたゆっくりと顔だけ振り向いた。
幼く、あどけなく。そしてやはり、懐かしい。彼は私を見上げ、穏やかに笑った。
「ねぇ、
「…………ぁ」
特大の欠伸を必死で噛み殺し、私は黒板を見る。
今しがた終わった古典の授業内容が、黒板消しによってあっという間に、無残に消されていく。
今日、火曜日の授業は全て終わり、クラスのみんなは掃除をするべく散らばっている最中だ。他の授業の時よりも黒板を消すのが早いのも当然だ。が、
(……あ、写すの忘れた)
最後らへん、半分寝てたからなぁ……ま、いっか。
こう見えて成績は良い方だ。ちょっと内容が抜けたくらいでは、舞花のように『赤点の境目とか遅刻の境目ギリギリを彷徨う事にスリルを感じるんだよ!』みたいなヤツ以下の成績を取る事はない。……多分。
「やっほ~、律」
と、実際は赤点を取る回数の方が多い遅刻常習者のスリルバカが、間の抜けた声と共に私の机に近づく。
「……うん、こうならなければセーフだよね」
「へ? 何の話?」
「何でもない。どうかしたの?」
「いや、さっさと掃除行って文化祭の作業やろう、ってだけだけど……どしたの? なんかめっちゃ眠そう」
「あぁ……」
あまり顔には出さないようにしていたつもりだったけど、バレたか。
「ちょっと不思議な夢を見てさ。いつもより早起きしちゃって、二度寝は怖くてそのまま起きてたらさっきの古典で眠気が一気に来た」
「あー、なるほど。一つ前が体育だし、眠くなって当然だよ」
ま、ウチは全く眠くなくても寝てたけどね! と無い胸を張って言う。とりあえず憐みの視線だけ投げておいた。
「で、不思議な夢って何? 本格的にミステリアス路線に入っちゃった?」
「ミステリアスとかじゃない……と思うけど。ホントに不思議な夢だった、としか」
それはあの日の記憶。私が初めて彼に……ヒサ君に会った時の思い出。
小学4年の時、私が何となく寄り道をして通った寂れた公園に、ヒサ君はいた。校区の関係で学校は違ったけど、ヒサ君の放つ不思議な雰囲気がとても心地良く感じた。
そして当時、私が学校で浮き気味だった事もあって、よくその公園で待ち合わせしたりした。話すのはお互いの学校での事や、家での事。そして、絵について。
ヒサ君の両親は共に絵の仕事をしていて、自然とシグ君もヒサ君も絵を描くようになったらしい。やがてシグ君とも出会った私は絵に興味を持ち、二人が通っていた小さな絵画教室を紹介された。舞花とはそこで出会った。
だから、舞花もヒサ君の事は知ってる。知ってる、けど……、
「気になるなぁ。ほら律、恥ずかしがらずに話してみなよ?」
悪戯っぽく言う舞花。だけど、私はそれを話そうという気にどうしてもなれなかった。
こんな話をしちゃったら、周りからのミステリアス評価に拍車が掛かってしまう……という危惧は、まぁ全く無いわけじゃない。舞花の口が軽めなのは事実だし。
こう見えて、純粋に私の事を気遣ってくれているんだとは思う。そのお節介さには、私も数えきれないくらい助けられてきたから。
でも。だからこそ。
舞花にだけは、ヒサ君が関わる話をするわけにはいかないんだ。
「……ま、気にしないで。それよりも今は文化祭でしょ? 頼むよ、実行委員」
「あ、はぐらかしたぁ。まぁ文化祭に全力なのは勿論だけど……覚えてる? なんかすごい他人事な空気感出してるけど、律、メイドやるんだよ?」
「……そんな夢を見た気もするね」
「しっかりして律! 夢じゃないから! ほら、こうやってウチが授業中の合間を縫ってメイド服のアレンジ案も考えてるから!」
「授業の合間にやれ。授業中の合間って、結局授業中って事じゃん」
ぴら、とブレザーの内ポケットから取り出されたそれ。
メイド服は学校の備品なので、独自色を出すと言っても切ったり、縫い付けたりといった派手なアレンジは出来ない。せいぜい小物で華やかな感じを出すぐらいだ。
舞花のデザインもミニスカになってたりする事もなく、様々な小物があしらわれるに留められていた。
絵画教室に通っていた事もあり、舞花は絵が上手い。けど、何だろう……絵は美味いんだけど、これってメイド服? 何か違う気がする。
絵が美味い=デザインセンスがある、じゃないって事かな。私はそのデザイン画を舞花に返し、
「一からやり直し」
「えー、力作なのにぃ」
「そもそも、衣装合わせの方を先にすべきじゃないの? 私達が着れるサイズのメイド服が無ければ本末転倒でしょ」
「あ、それは大丈夫。結構色んなサイズがあるみたいだし、律、しゃかい、まなべんはみんな体格違うからサイズが被る事も無いはずだよ」
……しゃかいは坂井さん、まなべんは眞鍋さんの事。念の為。
「いや、それでも念の為やっておいた方がいいんじゃないか、って話」
「心配性だなぁ。こういう時にありがちなのって、『身長的にはピッタリだけど、胸がつかえて着れない』パターンだけど……律にその心配をするのは可哀想だよねぇ」
「可哀想言うな。てか、あんたが可哀想とか言える立場?」
びしぃ! と舞花のぺたんこな胸元を指差す。舞花は少しだけたじろいだけど、
「そ、そんな事ないよ! だってウチ、律よりすっごい小柄だし。身長と胸の比率で言えば、ウチの圧勝のはず!」
「誰が比率で語れって言った。世の中にはカップって言う分かり易い尺度があるんだからそれで語れバカ!」
「むっか~! ウチはね、成長期なの! 完全に身長止まったぺたんこ律と違って、まだまだ明るい未来が」
「君達」
と、落ち着き払った声。私と舞花がそちらを見やると、少しだけ顔を赤く染めた小宮川君がメガネを押し上げていた。
「熱くなるのは構わないんだが……まぁ、なんだ。掃除に行ってはどうかな?」
彼の他にも、教室掃除担当のクラスメイトが数人。こちらを見るべきか見ないべきか、みたいな微妙な空気を纏い、掃除を始めている。
「そ、そう、だね……?」
「そう、しよっか……!」
私と舞花は、小宮川君の比じゃないくらいに顔を茹で上がらせて教室を飛び出した。
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