エピローグ



 そんなわけで、あたしたちは全員で断崖の塔へ帰ってきました。あたしとご主人さまは押しかけてるんですけどね。


「エイリッヒさん。ほんとに外国へ行っちゃうんですか?」

「ああ。もともと、おれは根なし草だよ。流浪の旅を続けてきた」


 エイリッヒさんとリンデさんは、そういうあいだも、荷物の整理に余念がないです。


「……そんなの、さみしくなるじゃないですか」


 エイリッヒさんは変な目で、あたしを見ました。

「……じゃあ、おまえも来るか?」

「えっ? でも、あたしには、ご主人さまが……」


「ふぬけの主人なんか、すててしまえよ」

「ご主人さまが、ここにいるのに、よく言えますね。ほら、ご主人さまが泣いちゃった」


「おれは、おまえに選んでもらいたいんだよ。おまえが今でも変わらず、おれを愛してるなら、おれについてきてほしい」


「ええっ? 今でもって、なんなんですか?」


 エイリッヒさんは黒いカバンにドクロをつめこみながら、真剣な顔で言いました。どうでもいいけど、ドクロを何に使うのか、気になります!


「おまえは、おれがずっと探し続けていた女だ。おれの白薔薇。前世で、おれたちは愛しあっていた」


 うーん。シャルランは腕をくんで考えました。

 エイリッヒさん、また変な発作を起こしたんでしょうか?


「エイリッヒさん。酔っぱらってないですよね?」


「そんなんじゃない。わかったんだ。ベリーヒトの書斎で読んだ、あの薔薇の話。あれは、おれのことなんたよ。


 おれが赤い薔薇で、おまえは白い薔薇。おれたちの仲は、蝶の王子のせいで引き裂かれたが、ほんとは愛しあっていた。


 おまえが白薔薇なら、何か感じるだろう? おれといると、ドキドキしないか?」


 それは、しますよ。でも……。

 それにしても、ご主人さま、うるさいなぁ。だんだん泣き声が激しくなってくるです。


「それとも、おれのこと、嫌いか?」


 エイリッヒさんが手をにぎってくるので、あたしは彼の言うドキドキが止まらなくなってしまいました。


「でも、でも……わかりません! 前世のことなんて、わかりませんよォ!」


 思わず、エイリッヒさんの手をふりはらって、かけだしました。


 気がつくと、塔のてっぺんに立っています。

 いつのまにか、外は小雨がふっていました。

 さっきまで、あんなに晴れていたのに、あたしの今の不安な気持ちを映しているみたい。


 そりゃ、エイリッヒさんのことは好きですよ。そばにいると、ドキドキします。心が、ふわふわします。この人の笑った顔が、もっと見たいなって……思います。


 でも、ご主人さまと離れて暮らすなんて考えられません。

 だって、根っこがつながってるんですよ。ちょんぎったら、痛いじゃないですか。


 あたしが困りはてて、雨のそぼふる海原をながめていると、エイリッヒさんが息をきらして追ってきました。


「あのラセン階段を、よく女の足で、いっきにかけあがれるな。おれのほうが息がきれるって、どういうことだ」


 あたしがだまって見つめていると、エイリッヒさんは苦笑いしました。


「お子さまのおまえに、急に決断をせまって、悪かったよ。これまで、あまりにも長いあいだ、白薔薇を探し続けていたので、気持ちがあせった。おとなげなかったな。すまない」


 きゅーん。迷ってるときに、どうして、そういう優しいことを言うですか。ほんとに、ついていきたくなっちゃうじゃないですか。


 このままお別れなんて、やっぱりイヤですぅ。


 あたしは気持ちの収拾がつかなくなって、泣きだしてしまいました。エイリッヒさんが、そっと肩を抱いてくれます。


 どのくらいか時間がたって、あたしは泣きやみました。雨が、けっこう、きつくなっています。


「シャルラン」

「はい」

「おまえは気づいていないと思うが、じつは……」


 あたしはエイリッヒさんが続きを言うのを待ってたのに、エイリッヒさんは思いなおしたようでした。首をふって微笑します。


「いや、なんでもない。なかへ入ろう。心配しなくても会いたくなれば、おれのほうから会いにくるよ。王との約束だから、別の国へ移り住むが、遊びに来るのは自由だろう?」


「そうですね」と言って、エイリッヒさんの顔を見たあたしは、ビックリしました。というか、笑っちゃいました。


 エイリッヒさんの髪、雨で染髪料が落ちて、変な色になってるじゃないですか。


「なんですか。その髪。緑ですよ」

「ああ、ひどいな。リンデが安物を買ってきたんだろう。あとで洗い流すよ」


 エイリッヒさんがハンカチで、黒いしずくのたれる髪をふいたとき、今度こそ、あたしはドッキリしました。


 染髪料がふきとられたエイリッヒさんの髪は、黒でも緑でも、もとの金色でもありません。ブロンドの輝きを透かしたような、青い髪です。金属的な光沢のあるその髪に、見おぼえがあります。


 あたしは、この人を知っています。

 ずっと、ずっと昔に、この人に会ったことがあります。

 いっしょに歌ったり、風の精のウワサ話を聞いたり、楽しく語らったりしました。


 あたしたちは、いつも三人で……あたしは二人より、うんと幼くて、いつも子どもあつかいされていて……そうです。うらやましかった。仲のいい二人が。


 素敵な踊りで、あの人を喜ばせる彼が、うらやましかった。風にのって自由に飛びまわれる彼が……。


 そう。あたしは、この人を知っている。

 でも、それは、花の精としての、この人ではありません。


 この人は、この人は……青い髪と、金属のように光り輝く、美しい青い羽を持っていました。


「……蝶の王子です。あなたは、蝶の王子です」


 エイリッヒさんは青ざめました。

 そして、口をひらきかけたとき、あたしたちのうしろに気配が近づいてきました。ご主人さまです。


「ビュリオエンデ・ウィンガ。輝く青い羽の王子。こんなにも長いあいだ、あなたを苦しめてしまって、ごめんなさい。わたしが、あなたの愛を信じていれば、誰も苦しまずにすんだのに」


 エイリッヒさんは、あとずさりました。

「何を……言ってるんだ。おれは……」


「あなたは蝶の王子ですよ。前世のわたしが愛した人です。わたしは白い薔薇。わたしたちは愛しあっていた。


 でも、あなたは蝶で、わたしは花で、羽のあるあなたが自由に飛びまわることを止めることはできなかった。

 あなたが仲間の蝶たちと飛ぶあいだ、わたしは大地に足をしばりつけられ、待ち続けなければならなかった。


 あなたの愛を信じられなくなって……わたしはなぐさめてくれた赤い薔薇と結婚することにしました。


 無邪気で明るい赤い薔薇。彼といれば、あなたを待つさびしさも、悲しみも、忘れられた。


 あなたはきっと、わたしが赤い薔薇と結婚しても、傷つかないと思っていました。


 あなたはわたしのほかに大勢の仲間や友人がいたし、わたしに告げた愛の言葉は、その場かぎりのたわむれだったのだと思っていたから……」


 エイリッヒさんはくちびるをかんで、ご主人さまの話を聞いていました。顔色が悪く、苦しそうです。でも、そこで、エイリッヒさんは叫びました。


「シャルラン! こいつの言うことなんて信用するな! こいつは、おまえをだましてるんだ」


 今度はご主人さまの顔色が変わります。

 なんですか。二人のこの果たしあいみたいな厳しい顔つきは。


 とりあえず、反論です。


「何言ってるんですか。ご主人さまはウソなんてつきませんよ。ご主人さまは優しくて、ウソなんてつけないーー」


「信じられないなら、一階の姿見で、おまえの背中、見てこいよ。肩にヒビが入ってるぞ」


 ひーーヒビ? ヒビって、あれですか?

 コップとか割ったときにできる、あの亀裂のこと?


「あのぉ……なんか、まちがってますよ? ケガって言うつもりだったんですよねぇ?」


 エイリッヒさんは、つらそうに眉をひそめます。


「ほんとは、おまえに、このことは言いたくなかった。おまえは、こいつにだまされてる。おまえは精霊のはずなのに、自分を人間だと言うし、今の体の秘密にも気づいていない。いいか? おまえのその体はーー」


 すると、ご主人さまが大きな声でさえぎりました。

 ご主人さまが、こんな大声を出すなんて、すっごくめずらしいです。


「やめてください! シャルランには言わないで!」


 エイリッヒさんは押しきりました。

「シャルラン、おまえの体は人形だ。陶器でできた人形の体に、おまえの魂は閉じこめられている」


 がーん!


 そうだったんですか。どうりで、ふつうの女の子より少し力持ちだと思った。はっ。もしや、乙女的な食べ物は、心の肥やし?


 あれ、ご主人さまが泣きだした。


「やめてください……悪いのは、わたしなんです。花の精は花の精として、たとえ生まれ変わっても、同族のなかにしか肉体は転生できない。


 わたしたち花の精は、もう誰も……わたしのほか誰も生き残っていないんです。


 彼女がこの世にとどまるには、仮の体が必要だった。こういう形で現世に魂をひきとめるしかなかった。


 わたしが一人でいるのが、さびしかったから……甘えてしまったんです」


 うーん? ということは、シャルランはオバケの仲間?

 ちっとも知らなかったです。


「ビュリオエンデ。彼女が誰なのかは、あなただって、もうわかっているんじゃありませんか? この一点のくもりもない無垢な魂。彼女の……彼の明朗な魂の輝きに、あなただって惹かれたはずですよ。今だってーー」


 ご主人さまが手をのばすと、エイリッヒさんはすくんで、さけようとしました。


「やめろ。そばによるな」


「思いだしたくないんですね。かつて、あなたが犯した罪を。自分のついたウソのせいで、わたしも赤い薔薇も死んでしまった。


 あなたは、その事実から逃れようとして、自分を赤い薔薇だと思いたかったんじゃありませんか?」


「違う。ウソだ。おれが白薔薇と赤薔薇を殺した、蝶の王子だなんて」


 ふりはらおうとするエイリッヒさんの手を、ご主人さまがつかみました。


 二人のひたいがかさなると、あわく光が満ちてきます。エイリッヒさんの両眼から、静かに涙があふれだしました。


 記憶をのぞきこむ、あの力。


 ご主人さまは、自分たちの前世の記憶を、エイリッヒさんに見せたのでした。


「……もういい。わかった……もう、いい」


 エイリッヒさんは両手で顔をおおって泣きました。

 男の人が全身で泣く姿は、とても悲しいです。


「そうだ。おれは、おまえを殺した罪の重みに耐えられなかった。おまえが死ぬくらいなら、おれがいなくなるほうがよかった。


 それで……おまえに、おれの存在を捧げたんだ。おれは、自分の体に、おまえの魂を入れて、よみがえらせた。かわりに、おれの命はつきた」


「そうです。おかげで、わたしは蝶の精と花の精のあいだの存在として生まれ変わった。両方の力を持つ、新しい花の精として。


 花の精たちが大地から足をぬきだし、自由に歩きまわれるようになったのは、わたしが、あなたからもらった力を、一族にわけあたえたからです。


 人の記憶から甘い蜜をもらうことができるようになったのも、あなたの力。


 わたしたちの一族は自由になったけど、そのために、あなたは魔力のほとんどを失い、不完全な存在となってしまった」


「そう。これは、おれが自分自身にくだした罰なんだ」


 エイリッヒさんは物悲しい目で、ご主人さまを見ました。


「おまえの表現体が男性形になってしまったのは、おれの前世の体が土台になっているからだ。白薔薇。おれはもう、おまえを追わない。さよなら」


 エイリッヒさんは歩きだしました。去っていく途中、あたしのことをふりかえります。


「さよなら。赤い薔薇」


 そうなんですね。あたしは赤い薔薇なんですね。

 なんとなく、そんな気はしていました。


 エイリッヒさんが行ってしまうと、ご主人さまは肩をふるわせて泣きました。


「ご主人さま。つらいんですか?」


「つらいです。今でも、あの人を愛しています。わたしが、みんな、いけないんです。あの人を信じられなかったのも、あの人をあんな存在にしてしまったのも。


 いつか、あの人に、ほんとの体を返さなければなりません。


 そのときには、あの人からもらった蝶の精の力も、あの人のもとへもどります。わたしたち花の精は、ふたたび大地にしばりつけられる。


 それでも……返さなければ。この力は本来、あの人のものだったのだから。


 あの輝いていた人を飛べない蝶にしてしまったのは、わたしだから。一族に、どんなに恨まれても、嫌われても、やらなくちゃ……」


 ご主人さまが、こんなふうにエイリッヒさんのことを話しているのを聞くのは、ちょっと胸が痛いです。

 なんとなく、おいてきぼりにされた感じ。


「シャルラン。君にも、あやまらなくちゃね。彼が言ったとおりだよ。僕は自分のさみしさに負けて、君を死者の永遠の眠りからムリヤリさまし、現世にひきもどした。


 僕は君に甘えて、自分勝手なことばかりしてしまう。今も、前世でも」


 ご主人さまは言いますけれど、でも、あたしには少しだけ、ご主人さまの気持ち、わかります。

 二人の人を同時に好きになってしまう気持ち……。


(ご主人さまのことも、エイリッヒさんのことも、同じくらい好き。二人のうち、どちらかを選ぶなんて、今はできません。いつか、選ばないといけないときが来るのかもしれないけど……)


 あたしは言いました。


「そんなこと、シャルランは、ちっとも気にしてませんよ。丈夫な体で便利じゃないですか。死んだままじゃ、つまんないし。あっ、でも、肩は直してくださいよ?」


「……シャルラン。君は、優しいね」


 あたしは泣きじゃくるご主人さまをつれて、階下へおりていきました。


 そのときにはもう、エイリッヒさんたちはいなくなっていました。


「もう行っちゃったんですね。こんなに急がなくてもいいのに」


 ご主人さまは、すっかりしぼんで、誰もいなくなった部屋のベッドに腰かけました。


 なんだか、このまま枯れちゃいそう。

 ここは、あたしが励ましませんと。


「ねえ、ご主人さま。エイリッヒさんたちは行っちゃったけど、今度は、あたしたちが、あの人を追っかけましょうよ。それで三人でーーいえ、リンデさんも入れて、四人で暮らすんです。ね? 楽しそうでしょ?」


「また前世みたいに失敗するかもしれません」


「そんなの、やってみないとわからないじゃありませんか。失敗を恐れてちゃ、成功だってしないんですよぉ。チャレンジしましょう!」


「でも、彼がイヤがるかも……」


「ご主人さま! なんための足ですか! 前世のエイリッヒさんは、あなたに自分で歩いていける自由をあげたくて、体をくれたんじゃないんですか? こんなときこそ、追っていきましょう!」


 ハッとして、ご主人さまは立ちあがりました。


「そうだね! これは彼のくれたチャンスなんだ。もう待ってるだけではダメだ。自分で歩きださないと」

「そうです。行きましょう!」

「うん!」


 あたしたちは、その夜、大さわぎで旅仕度をしました。


 明日がうまくいく保証はないけど、でも、大丈夫。

 薔薇の精が二人もそろってるんですからね!

 人生は、きっと薔薇色です。

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薔薇園〜ローズガーデン〜 涼森巳王(東堂薫) @kaoru-todo

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