五章 死刑と監禁、でも真相は……(後編)




 薔薇園、到着です!

 あたしたちが、かけつけたときには、王さまは東屋あずまやで物思いにふけっていました。職務に忙しい時間のはずなのに、いいのでしょうか。


「お父さま!」

「おおっ、エメリア」


 姫さまの呼びかけに応えはするものの、やっぱり、ちょっと、うつろな感じ?


「久しいな。長らく会えず、すまぬ。また背が伸びたな」


 そのようすは、ムリに物思いを断ち切ろうとしているようでした。姫さまも、おかしく思ったのでしょう。

「お父さま、大丈夫?」と、たずねます。


「何が?」

「元気がないみたい」


「少し疲れているだけだ。だから仕事をさぼって、ここで、くつろいでいた。まさか、おまえに見つかってしまうとは、王さま失格だな。もう帰ろう。みなが私を探しているだろう」


 王さまは大理石のベンチから立ちあがり、行ってしまおうとしました。あわてて姫さまが呼びとめます。


「待って。お父さま。じつは、お願いがあるんです。ベリーヒトの処刑を今すぐ、とりやめにしてください!」


 王さまはビックリしたように、ふりかえりました。


「なぜ、そんなことを?」

「ベリーヒトは犯人じゃないの! 悪いのは、フローランよ」


 姫さまは、これまでのいきさつを話しました。

 王さまは、だまって聞いています。目つきが厳しいというよりは、物悲しそうに見えました。


「……そうか。フローランが、そんなことを」

「そうです。だから、お父さま。今すぐ、ベリーヒトの処刑をやめさせて!」


 あたしも、お願いしました。


「ご主人さまは気弱で被害妄想で、ちょっと世間的に非常識なところもありますが、それは繊細せんさいで優しい心の持ちぬしなんですよ。人を傷つけることなんてできません」


 ヘタレで情けないけど、優しいご主人さま。

 子どものあたしをひろって、ずっと育ててくれたご主人さま。


 ご主人さまといると、毎日が幸せで、あっというまにすぎてしまいます。


 今日は庭の木にいくつ話が咲いたとか、カマキリの卵を見つけたとか、ニレの枝に鳥が巣を作ったとか、他愛ないことを、さも一大事件みたいに話してくれるご主人さま。


 どんな小さな発見でも、ご主人さまにかかれば、不思議とキラキラ輝く宝石になってしまうみたい。


 こんなときには思い知らされます。


 いつもそばにあって、空気のように自然で、根っこでつながった一本の木のように、まるで自分の一部みたいに思えるほど、いっしょにいるのがあたりまえすぎて、ふだんは気づけないけど。


 引き離されて、これっきり会えないかもしれないと思うと、自分の体の半分がなくなってしまうように痛いです。


「だから、お願いします! ご主人さまを助けてください!」


 あたしがボロボロ泣いていますと、王さまは沈んだ目で、あたしを見つめました。


「ベリーヒトの召使いか。おまえは、それほどまでに、主人を愛しているのか?」


「愛……って、なんですか? 愛がどんなものか、あたしにはわかりません。けど、ご主人さまがいないと、世界中が終わったような気がします。涙が……止まらないんです。ご主人さまが死んじゃったら、あたし……あたし、もう笑えません!」


 王さまは、ため息をつきました。


「愛しい者を失うことはツライ。その愛が深ければ深いほど。私も、はなはだ疲れた。妃を失ってからの灰色の人生。妃とながめた美しい薔薇園も、今は灰色に見える。よかろう。フローランに言って、処刑はとりやめさせよう」


 えっ? でも、フローランさんは犯人なんじゃ?

 まあ、いいですけど。とりあえず、ご主人さまが助かるなら。


 あたしは喜びのあまり、両手で王さまの手をにぎりしめました。

「ありがとうございます! 王さま」


 すると、ほほえんでいた王さまが、急に立ちくらみがしたように、よろめきました。


「薔薇の……香り。誰か、香水を、つけているか?」


 あたしは首をふりました。

 お化粧はしたけど、香水はつけてないんですよね。

 そんなものつけなくても、シャルランはいい匂いがするって、リンデさんも言ってくれましたし。


 でも、王さまのようすは、いよいよ変に。


「薔薇の香り……デルトリーネか? どこに行っていた? さあ、私と帰ろう。もう、どこへも行かせはしない」


 目つきが変わって、あたしの腕を強くつかむじゃないですか。


「えっ? ちょっと、王さま。痛いんですけど……あの、どこへ行くんですか? ご主人さまを助けてくださいよぉ」


「主人? そなたの夫は、この私だ。さあ、来なさい」

「ええッ! 困るんですけどぉ。放してください。あたしのご主人さまは、ビュリオラさまですよぉ」


 あたしが言ったとたんです。

 王さまの目つきが、さらに険しくなりました。


「……やはり、そうか。おまえは私を裏切っていたのだな」


 あれれ……王さま、何してるんですか?

 剣なんか、ぬいちゃって。


 あたしが、あまりの意外な展開に、ぼうっとしてると、

「お父さま、どうしちゃったの? シャルランはお母さまじゃないわ。正気にもどって!」

 姫さまが王さまに、とびつきました。


 でも、王さまは姫さまを思いっきり、つきとばすじゃないですか! ヒドイ! ご自分の娘でしょ?


「お父さま……」

 姫さまも、ぼうぜんとします。


 なんだか、王さまは、さっきまでの娘思いで愛情深い王さまではありませんでした。まるで別人です。


 姫さまのことも、あたしのことも、よく見えてないみたい……。


 王さまの目に映っているのは、王さまにしか見えない幻のようなものなのかもしれません。

 それは亡くなったお妃さまの幻影でしょうか?


「デルトリーネ。これ以上、私を苦しめるな。そなたがいなくなって、どれほど私が嘆き悲しんだことか。そなたには、わからないだろう。生きながら身を二つに裂かれ、はらわたをえぐりだされるかのようであった。もし、それでも行くと言うのなら……いっそ」


「わあっ、やめてくださいよぉ。あたしはお妃さまじゃありませーん!」


 叫んで、つきとばすと、王さまはよろめきました。

 そのすきに、あたしは姫さまを助け起こして走りだします。


 そのとき、むこうから、やってくる人がありました。

 あたしたちのようすを見て、ギョッとして立ちすくみます。フローランさんでした。


「姫! なんで、こんなところに。だから、おとなしく捕まっててくださればいいものを……」


 あたしは背後から王さまが、すごい勢いで追ってくるのを見ながら、フローランさんを問いつめました。


「王さま、どうしちゃったんですか? 人殺しはフローランさんじゃなかったんですか?」


 フローランさんも青い顔で走りながら、観念したように白状しました。


「姫さまだけには知られないようにと、心をくだいたのに、これで水の泡か。見てのとおり、陛下は妃を失った悲しみのあまり、ご乱心に……」


「えっ? じゃあ、これまでのことは、全部ーー」


「そう。姉さんがつけてた薔薇の香水をかぐと、正気を失われてしまう。そのあいだのことは、おぼろげながら自覚がおありのようで、正気にもどると、胸を痛めておいでだ。よく礼拝堂で、ザンゲなさっている」


 ああ……ありました。そんなこと……。


「だが、ああなっているあいだは、まったく理性がきかない。夜な夜な、死んだ姉の姿を求めて、町を徘徊なさっておられる。殺された女の子たちは、みんな、薔薇の香水をつけていたのだろう」


「でも、それじゃ、左大臣さまの令嬢は?」


「ヘルダさまは次期王妃の座をねらっていらした。姉と同じ香水をつけて、積極的に陛下に迫ったのではないだろうか。それが命とりになると知らずに」


「じゃあ、ご主人さまたちに罪をかぶせたのは、王さまだったんですか?」


「……それは、私だ」


 むう。やっぱり。


「私とマルグリーテは殺人犯を捕まえるために調査していて、陛下のご乱心に気づいた。


 このまま放置しておくわけにもいかず、どうしようかと考えあぐねていたら、ミケーレという男が犯人だという訴えがあった。


 これは使えると思ったんだ。一国の王が心を病んで自国の民を殺してまわっているなんて、誰にも知られるわけにはいかないじゃないか。


 そんなことが諸外国に知れたら、かっこうの侵略の機会と思われ、戦になってしまう。


 国を守るためには、犯人は別の誰かでなければならなかった。それで、ミケーレを犯人に仕立てあげ、事態を終息させようと……」


「おしゃべりジムさんがウソをついてるのを知ってて、利用したんですね?」


「ジム? ああ、あの船乗りか。もちろんウソだということは知っていた。


 あの男はぐうぜん、陛下が女を手にかけるところを見て、自分から陛下に接触をはかったのだ。秘密をバラされたくなければ金を出せとおどしていたな。


 私も陛下のあとを尾行しているときに、二人が墓場で話しているのを聞いた」


「そこまで知っていて、ヒドイですよ。なんの関係もないご主人さまや、エイリッヒさんたちに罪を着せて……第一、そんなことしたって、人殺しはなくならないじゃないですか。王さまが、あのままなかぎり」


「それは、わかっている。だから、表向きは別人が処刑されたことにして、そのあいだに陛下を田舎の城へおつれするつもりだった。鍵つきの部屋で一生を終えていただこうと。


 姫にはツライ事実だから、計画がぶじに終わるまで、おまえたちに託した。いずれ、お迎えにあがるつもりだったのに、おまえたちが勝手に舞いもどってくるから……」


 うう……だって、知らなかったんだから、しかたないじゃないですか。


「だからってぇ、ご主人さまを殺していい理由にはなりませーん!」


「最初の計画では、ミケーレが牢獄から脱走して外国に逃げたと、触れを出すつもりだった。おまえたちが、かきまわすから、こんなことに……。


 いや、そんな目で見なくても、私にだって良心はある。


 もし、おまえたちが誰にもこの事実を言わず、すみやかに遠くへ移り住むと約束してくれるなら、私だってムダな殺生はしたくない。


 ベリーヒトに似た男の死体を探してきて、代わりに縛り首になってもらおう。ミケーレたち二人は逃げたことにすればいい」


「ミケーレさん? しかも二人? もう一人は、リンデさんですね。あの二人も捕まってるんですか?」


 フローランさんは、うなずきました。


 まったく、たよりにならない男の人たちですね。

 シャルランが、がんばらなくちゃ。


「わかりました。あたしたちは外国へ引っ越します。そのかわり、今すぐ、ご主人さまの処刑をとりやめてください」


「わかった。しかし、この状況をどうするんだ? 中止しようにも、庭から出られない……」


 そうなんですよ。

 王さまは、あいかわらず追ってきます。


 あたしたちは広い薔薇園のなかを逃げまわり、木のかげにかくれたり、ベンチの下にもぐりこんだりして、やりすごしていました。


 それにしても、王さま、しつこいです!

 このままじゃ、らちがあきません。


 そうこうしてるうちに、処刑の時間が刻一刻と迫ってきます。ご主人さまが死んじゃう!


「しかたありません。あたしに任せてください!」


 あたしはかくれていた茂みから、とびだしました。

「王さま! あたしは、ここです」


 王さまは即座にふりかえり、こっちにむかってきます。


「このあいだに姫さまをつれて逃げてください!」


 姫さまとフローランさんを茂みに残し、あたしは走りだしました。


 あたしの力は男の人より強いんだから、王さま一人くらい、やっつけてしまえるーーと思ったんですけど……。


「王さま、かかってきなさいです!」


 立ちはだかるあたしに、王さまは力いっぱい、剣をふりおろしてきました。


 大ぶりなので、その下をかいくぐって、剣の柄をつかんでしまうのは、わけないです。


 いつものあたしなら、そのまま剣をむしりとっちゃうんですけど……あれ? どうしたのかな。手に力が入りませんよ? なんか肩がズキズキするんですけど……。


 そこで、あたしは、ハッとしました。

 あのときでしょうか?


 武器庫の扉に体当たりしたとき、もしかして肩を痛めてしまっていた?


 ああッ、もうダメ!

 柄はにぎったけど、剣を押しかえせないですぅ。切っ先が止まりません!


(ごめんなさい。ご主人さま。あたし、死んじゃうかも)


 あたしが迫りくる刃を前に、目をとじたときでした。


「ーーシャルランッ!」


 声がして、なんか、ものすごい力でつきとばされました。王さまの悲鳴が聞こえます。いったい、何が起こったんでしょう?


 見ると、王さまは剣を落として倒れていました。

 その上に足を乗せて、リンデさんが押さえています。王さまを足げに……。


 そして、あたしの目の前には、ご主人さまとエイリッヒさんがーー


「ど、どうして、みなさんが、ここに?」


 これは夢でしょうか?

 エイリッヒさんだけならともかく、あのたよりないご主人さまが、あたしをたすけにきてくださるなんて。


 それに、フローランさんが解放してくれたにしては、助けに来るのが早すぎるような?


「なんとか、まにあったな。この軟弱やろうが足手まといにならなければ、もっと早く来れたんだが」


 エイリッヒさんに言われて、ご主人さまは、かわいそうなくらい、しょんぼりしています。


「だって、僕はかよわい花なんですよ? あんな高い塔からロープでおりろなんて……」


「それでも男か」

「花は中性ですよ。男でもあるけど、女でもある」


「おれは、そういう、どっちつかずが大嫌いなんだ」

「あ……あなたにそんなこと言われると、胸が痛いです」


「なんで泣くんだ。オカマか? おまえは」

「だから両性体です。オカマじゃありません」


「おんなじだろ?」

「違いますよ。ぜんぜん」


 仲よく言いあってる二人を見て、笑いだしたくなりました。よくわからないけど、苦労して、ここまで来てくれたみたい。


「もういいじゃないですか。あたしは、ぶじだったんですから」


 すると、二人が同時にふりかえって、手をさしのばしてきました。


 およっ。どうしましょう。なんだか、どっちの手をとるか、すごく迷うです。


 とりあえず、両方の手をとりました。

 右手さん、左手さん。あたしには二本の手がありますからね。でも、なんとなく、いけないことをしてしまった気分……。


 そこへ、フローランさんが、姫さまをつれて木かげから出てきました。


「フローランさん。まだ逃げてなかったんですか? いけませんよぉ」


「女の子に命を張らせておいて、そうそう逃げる勇気はないよ。とはいえ、助けに出る勇気もなかったが」と言ってから、フローランさんは、リンデさんにお願いしました。


「陛下を放してさしあげてくれ。もう……正気におもどりだ」


 フローランさんの言うとおりでした。

 王さまは悲しい目をして、みんなから顔をそむけています。リンデさんが足をどけても、起きあがろうともしません。


「陛下。おケガはございませんか?」


 フローランさんが助け起こそうとすると、王さまは、その手をふりはらいました。自分で半身を起こし、頭をかかえます。


「陛下などと呼ぶな。私は卑しい人殺しだ。妃がいなくなってから、私の心から生きる気力は失われた。今日まで国を守るのは国王のつとめと、みずからに言い聞かせ、生きながらえてきたが、もうよい。ここで潔く自決しよう」


「何をおっしゃるのですか。陛下はりっぱな王です。近隣諸国にもならぶものなき英明な主君。ただ、現在は心を病んでおられるだけのこと」


「そうよ。お父さま。お父さまはご病気なだけよ」


 すがりつくフローランさんや姫さまを押しのけて、王さまは剣をひろいあげようとします。


「放しなさい。国や民を守るべき王が、国民を殺しているのでは示しがつかない。エメリア、そなたはまだ幼いが、しっかりした娘だ。よき女王となりなさい。フローラン、姫を支えてやってくれ」


 三人でもみあって、危なっかしいったらありません。


 お父さまを死なせたくない姫さまの気持ちもわかるし、でも、王さまの言うことも正しいし、どうしたらいいんでしょうか。シャルラン、お手あげです。


 と、そのとき、とつぜん、姫さまが顔を輝かせました。


「そうよ! 断崖の魔術師よ。あの魔法使いをつれてきて、お父さまの記憶をとりだしてもらえばいいわ。お父さまはお母さまのことを思いだすと、ご病気になるんでしょ? お母さまのことを忘れてしまえば……」


 名案ですね、姫さまーーと、あたしは思ったんですけどね。男の人たち、みんな、微妙な顔つき。

 断崖の魔術師のエイリッヒさんまでが、大きなため息をつきました。


「王。姫は、ああ言っているが、あんたに、その覚悟はあるのか? 正気を失うほど愛した女のことを、その存在ごと忘れてしまう。


 愛しあった、すべての思い出が消える。それは、とてもツライことだ。たぶん、あんたには死ぬよりもツライ決断だと思う」


 王さまは歯をくいしばって、答えません。


「だが、おれは、むしろ、、あんたは、そうすべきだと思うよ。あんたがただの庶民なら、死を選ぶのは潔い。でも、あんたは王だ。何もかも、なげだして、おしまいじゃ、身勝手すぎる。


 姫が王位を継いでも、この年では列国にあなどられ、侵略を受けてしまうかもしれない。内政だって権力争いで乱れるだろう。少女には、それを制する力はない。


 罪を悔いるなら、あんたは生きて、このあと一生を、国民のために善政を敷くことに捧げるべきだ」


 うーん。難しいこと言いますねぇ。エイリッヒさんは。

 シャルランには、よくわかりません。


 王さまが王妃さまのことを忘れて、いい人になるってことは、姫さまの考えといっしょじゃないんですか?


 あたしがそう言うと、エイリッヒさんは苦笑して、あたしのおでこを、ピンと指さきで、はじきました。


「お子さまはだまってろ」


 むう。バカにされました。


「どうする? 王よ」


「そなたの言うとおりだ。私は自分にとってラクな道を選ぼうとしていた。妃のことを忘れるのは、火刑に処されるより苦しいが……それが私の犯した罪への罰なのだ。フローラン、今すぐ、断崖の魔術師をつれてきなさい」


 王さまのかたい決心を聞いて、とつぜん、エイリッヒさんは笑いだしました。


「それを聞いて安心した。もし、その決断ができない王なら、ほんとに死んでしまったほうがいいと思った。でも、あんたなら、きっと、やりなおせる。


 安心しろよ。記憶なんて消さなくてもいい。この国では、何者も薔薇の香水をつけることを禁止したらいいだけのこと。


 薔薇の香りが正気を失うきっかけなんだから、禁止してしまえば、王の発作は起こらない」


 王さまとフローランさんが、ハッとして、エイリッヒさんを見あげます。


「たしかに……それだけのことで、陛下は以前のままの英明な王でいられる。なぜ、気づかなかったのか」と、フローランさん。


 王さまは納得いかないようです。

「しかし、それでは、私の気持ちがおさまらない。やはり、断崖の魔術師をーー」


 エイリッヒさんは言いました。


「断崖の魔術師が人からとりだすことのできる記憶は、憎悪や羨望、卑怯で自分勝手な考え……みにくい心がもたらす記憶だけだ。美しい愛の思い出には、彼はふれることができない」


「なぜ、そんなことを、おまえが知っている?」と、たずねる王に、


「断崖の魔術師は、おれだからさ」


 おどろく王さまたちの前で、エイリッヒさんは微笑しました。


「じゃあな。おれたちは、どこか遠くへ行くよ。今度、断崖の塔に来ても、もう魔術師はいないだろう。


 そういうわけだから、女たちを殺した犯人は、やっぱり、極悪人の魔法使いだったってことにしといてくれ。


 こんな、ひょろっこい人形師が犯人じゃ、迫力に欠けるだろ?」


 ああ……エイリッヒさん、カッコイイです……。


 王さまは涙をこぼして、うなだれました。

「……ありがとう。断崖の魔術師。ありがとう」


 もう心配ないでしょう。これからも王さまは、お妃さまのことを思いだして、悲しい思いをするでしょう。

 でも、それは時の流れがやわらげてくれます。


 それに王さまには、王さまを信じる娘や、とてもよい臣下がいますから。


 あたしたちは王さまや姫さまたちに手をふって、王宮をあとにしました。

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