五章 死刑と監禁、でも真相は……(前編)




「じゃーん。見てよ。これが、わたしだけが知ってる秘密のぬけ道よ。マルグリーテも知らないわ」


 得意げに姫さまが指さしたのは、つる草におおわれた城壁でした。ツタがからんで外からは見えないけど、子どもなら通れるくらいの小さい穴があいています。


「これって、ぬけ道というより、ただの城壁の傷みでは……」


「そうとも言うかもね。ここから、たまに、こっそり町へ出るの。と言っても、ちょっと、そのへんを散歩するぐらいだけどね。港まで行ったのは初めてだったから、楽しかった!」


 手配中の罪人だってこと、忘れてますよねぇ、姫さま。


「じゃあ、まあ、ここから侵入しちゃいましょう。あたしは姫さまより苦労しそうだけど、なんとか通れると思います」


 なれた感じで、姫さまは城壁のやぶれめに入っていきました。あたしもヘビさんになったつもりで長細くなって、どうにか通りぬけました。あちこち、ひっかかって大変だったけど。


「ふうっ。お洋服がドロだらけ!」


 こんなカッコ、エイリッヒさんには見せられませんねぇ。お化粧も台なし。


「では、ご主人さまを見つけましょう。きっと地下牢ですよね。また、あの礼拝堂のところから出入りしますか?」


「礼拝堂は昼間だから、人がいると思うのよね。大丈夫かなぁ」


 二人で、とことこ庭を歩いていると、あら不思議。バッタリ、フローランさんに出会いました。


「姫さまではありませんか。ご機嫌うるわしゅう。お散歩ですか?」


 フローランさんはふつうに、あいさつしてきます。

 変ですねぇ。もしかして、姫さまがお城から追いだされたこと、知らないんでしょうか?


 姫さまがたずねます。

「……そうよ。散歩中よ。そういうおまえこそ、こんなところで何してるの? この時間なら執務のはずでしょ?」


 フローランさんは、てれ笑いしました。

「そこは、いろいろヤボ用ってものがあるんですや。大人にはね」


「まーた小間使いをくどいてたのね。あんまりサボってると、いくらおまえでもクビになっちゃうから」


「いえいえ。自分で言うのもなんですが、私は有能なんです。左大臣さまが手放すはずがありません。それにしても、姫さま、なんですか? その町娘みたいな服装は?」


「ごっこ遊びよ。わたしはお金持ちの町娘。いじわるな継母に命をねらわれて逃亡してるの。どう? 似合うでしょ?」


 姫さま、ずいぶん、フローランさんと親しいですね。いかにフローランさんが左大臣の補佐官で、高位の貴族でも、姫さまは次の女王さまになるおかたです。なれなれしすぎるのでは?


 すると、フローランさんが言いました。

「お似合いですよ。姉さんの子ども時分に、そっくりです」


 思わず、あたしは口を出しました。

「姉さんって、誰ですか?」


 あっ、しまった。変装がバレたらいけないから、だまっとこうと思ってたのに。


 でも、フローランさんは、あたしだと気づかないみたいです。


「新入りの侍女かな?」

「ええ、まあ……」

「だろうね。私が亡き王妃の弟だということは、城内では有名な話だ。古参なら誰でも知っている」


 姫さまも言いました。

「そうなの。フローランは、わたしの叔父さんよ」


 ああ、どうりで親しいんですね。

 あたしと仲よくなるのも、それなりに、きっかけが必要だったのに、姫さまはフローランさんに、こんなになついてる。姫さま、フローランさんのこと、好きなんですね。


「そのおかげで私は貴族にとりたてられ、ありがたい毎日を送っている。持つべきは美人の姉ですね」


 そういえばお妃さまって、庶民出身でしたっけ。

 なるほど。フローランさんも、もと庶民ですもんね。

 そういうことですか。出世のかげに、強力なコネありです。


 姫さまは、むくれています。

「だからって言っていいことと悪いことがあるわ。どうせ、わたしは美人のお母さまには似てないもん」


 フローランさんは苦笑しました。

「そんなことはありませんよ。ほんとに、姫さまは姉に生き写しです」


「似てないもん。お母さまには、ソバカスなんてなかったし」

「姫さま、知らなかったんですか? 姉は白粉おしろいでソバカスをかくしていたんですよ」


「えっ? で……でも、お母さまは、わたしみたいにお鼻が上をむいてないわ」


「姉さんの子どものころのあだ名は、“可愛い子ブタちゃん”ですよ。いや、ほんと、わが姉ながら、大人になって、あんなにチャーミングになるなんて、子どものころは思ってませんでした。ケンカのたびに、あだ名のこと、からかって、なぐられてましたっけ」


 えっ? なぐ……?

 なんか一瞬、これまでの王妃さまのイメージが大きく損なわれる言葉が聞こえましたけど……。


 フローランさんは昔をなつかしむような目をしました。

「姉さんのパンチは、すごかったなぁ。キックは、すでに武器の域ですからね。レディーになってからは猫かぶってたから、王さまはご存じないだろうなぁ」


 ええ……優雅な白薔薇じゃなかったんですか? ちょっと、ガッカリです。


 フローランさんは急にため息をつきました。


「もちろん、そんな姉でも、私は大好きでしたよ。強くて、カッコよくて、頭もよくて、なんでもできる自慢の姉でした。


 だから、陛下に見初められて、王室に嫁ぐことになったとき、ほんとは反対だったんです。身分の違う結婚は、苦労が多いと思ったので。姉には幸せになってもらいたかった」


 そこで、なんで考えこむんでしょうね。


「……まあ、結果的に、姉は幸せだったんでしょうね。あんなにも陛下に思われて、臣下にも慕われ、愛する娘を授かった。病気で亡くなったのは残念だけど、それは天命だから」


 フローランさんは、また急に物思いからさめました。


「おっと、さすがに、もう執務にもどらないと。姫さまもご自室に帰ってくださいよ。地下牢から囚人が逃げだして、今日は城内も物騒なんです。まだ、どこかにかくれているかもしれない」


 姫さまは、ここで大きな賭けに出ました。

「ところで、ベリーヒトが捕まったって聞いたけど、ほんと?」

「ええ、まあ。誰ですか? 姫さまに、そんなこと話したのは」


「いいから教えて。ベリーヒトは、どこにいるの?」

「なんで、そんなこと、姫さまが気になさるんです」

「ベリーヒトはお人形を作ってくれたからお礼が言いたいのよ。重い罪で捕まったらしいから、今のうちに……」


 フローランさんは困ったような顔をしました。

「いかに姫さまのたのみでも、罪人に会わせるわけには……」


「そこをなんとか。おねがーい。おねがーい。おねがい聞いてくれないと、泣いちゃうぞ。それで、みんなに、フローランがいじめたって言いふらすわ」


「それは、ちょっと……出世にひびきますので、カンベンしてください」

「じゃあ、いいでしょ? おねがーい。おねがーい。」


「ああ、もう。ほんとに姫さまは、性格まで姉さんにそっくり……わかりましたよ。みんなにはナイショですよ?」


「わーい。ありがとう。フローラン、大好き」

「はいはい。どうせ、言いなりだからでしょ? しょうがない。ついてきてください」


 やりましたね、姫さま。

 これで、ご主人さまに会えそうです。


 あたしたちは喜んで、フローランさんについていきました。

 しばらく庭を歩いていくと、古い石造りの建物がありました。けっこう頑丈そうな大きな建物です。


「こんなところにベリーヒトがいるの?」


 姫さまの問いに、フローランさんはうなずきます。

「ベリーヒトは重罪人なので、極秘で、ここに移したんです。ここは昔、戦で使った旧式の武器を保管している場所なので、ふだんは誰も近よってきません」


「見張りがいないけど」

「見張りがいたら、居場所を教えてるようなものじゃないですか。ご安心を。ちゃんと物陰から見ています」


 ふうん。そういうものですか。


 武器庫の入口は重い鉄の扉に守られていて、錠前は見あたりません。そのかわり、太い木のかんぬきがかけられていました。フローランさんが、かんぬきを外します。


「さあ、どうぞ」


 扉をひらいて、フローランさんが言うので、あたしと姫さまは、なかへ入っていきました。


「なんだかホコリっぽいわねぇ。こんなところに、ほんとにベリーヒトかいるの?」と、姫さま。


 たしかに、ずいぶんホコリっぽいです。

 なかには古い大砲や車輪のこわれた戦車などがありました。が、ご主人さまの姿は見えないような気がするんですよねぇ。


 と、そのとき、背後で、入口の扉が音をたてて閉ざされました。


「あ、ちょっと? フローランさん?」

「なんのつもりよ! フローラン」


 あたしも姫さまもビックリして、扉をあけようとするけど、ビクともしません。


 扉のむこうで、フローランさんの声がしました。

「悪いですね。しばらく、そこにいてください。泣きわめいても誰も来ませんから、ムダですよ」


 なんてことでしょうか。

 あたしたちは、だまされたのです。

 まったく、このお城はどうなっているんでしょう?

 いい人だと思うと、みんな裏切ってくれますよ?


「心配しなくても、食事は持ってきてあげますよ」


 フローランさんの去っていく足音が聞こえました。




 *



 エイリッヒとリンデは城の城壁にあいた穴を知らない。たとえ知っていたとしても、エイリッヒの体格では、あの穴を通れない。


 したがって、侵入するためにとれるルートは一つしかなかった。墓地と古井戸をつなぐ、例のぬけ道だ。


 城内には待ちぶせもなく、奇跡的に礼拝堂が無人になる瞬間があった。エイリッヒはリンデとともに、地下へ潜入することができた。


 しかし、地下に入ったとたんリンデが顔をしかめる。


「変だな。ベリーヒトらしき匂いはあるが、薄いっていうか……残り香っぽい」

「ベリーヒトの匂いはわかるのか?」


「前に、あんたを探しに、あいつの屋敷に行ったんだ。花の精だけあって、すっごい、いい匂いがするんだ。


 人間の作った香水なんか、てんで、かなわないよ。

 もっと自然の花の香りに近いけど、花の香りそのものとも、ちょっと違う。


 なんかこう、精霊が吸いよせられるような? おれが羽虫の精だったら、今もう、ふらふらしてるよ」


 ふらふらというか、くらくらというか、なんとなくウットリするような香りは、かすかだが、たしかにエイリッヒも感じていた。


「薔薇の香りだ……」

「ベリーヒトは薔薇の精なんだよ」


 薔薇の精か。おれが赤い薔薇なら、弟も薔薇なのは当然か。


「しかし、残り香となると、本体は、ここにいるのか?」

「とにかく行ってみよう。匂いの強い場所がある。密室なら匂いがもれにくいし、そこにいるかもしれない」


 心もとなかったが、ここまで来たのだ。行くしかない。

 だが、不安は的中だ。


「ここだ。この牢のなかに、ベリーヒトは入れられていた」


 リンデの指さす鉄格子のむこうは無人だ。

 どおりで、地下の見張りが手薄なはずだ。


 シャルランといい、その主人といい、どうしてこう、すれちがうのだろう。なんだか、ヤケになってきて、エイリッヒは急に笑いだしたくなった。


「こう会えないってのは、会うなってことなのかな?」

「何を言ってんだよ。あんたの弟なんだろ? もうすぐ正午だ。処刑場につれられてっちまったんじゃないのか?」


「まあ、そうだな。冷静に考えれば、そういうことなんだろう。助けに行くか」


 でも、なんだろうか。会わないほうがいい気がしてきたのは事実だ。なんとなく、予感というか……そう。運命ーーのような?


 エイリッヒはそんな思いをふりはらった。


「とはいえ、どこを探す? 処刑もやりかたによって、場所が違うだろう。公開処刑なら広場だが、そんな仕度をしているようでもなかった」


「ベリーヒトが人ごみで無実を訴えたら、めんどうだからなんじゃないの?」


「そうだな。ベリーヒトは完全に、おれたちのまきぞえだからな。本人は、なぜ、こんなことになったのか、理解に苦しんでるだろうよ」


 いったい真犯人が城内の誰なのかわからないが、そうまでして自分の身の安全を守りたいのだろうか。

 もともと、夜ごとに女を殺して歩くような男だ。自分の身代わりに何人、犠牲になっても、なんとも思わないのだろう。


(いや、待てよ。王宮での殺人は、町でのやつとは別件だっけ……?)


 しかし、疑問も残る。


「町の連続殺人と、王宮での殺人が別物だと考えたのは、殺されたのが左大臣の娘だからだったな。令嬢がお妃候補だったから、権力争いで殺されたんだろうと。でも、今になってみると、あれも怪しいな」


 ああ、とリンデがうなずく。


「あれって侍女のマルグリーテが言いだしたことだ」

「うん。手帳にも、そう書いてある」


 エイリッヒは地下通路にかかる松明たいまつの明かりのなかで、手帳をたしかめた。


「あの女の話は信用できない。あの女に誘導されて、おれたちは思考の方向性をあやまったんだ」


「そうだな。でも、なんで今、とつぜん推理なんか始めたんだ?」


「今、何か心にひっかかったんだ。令嬢の死が暗殺じゃないなら、やっぱり、あれも連続殺人だったってことだろう?


 つまり、令嬢の死を偽装するために、連続殺人のなかにまぎれこませようとしたんじゃなく、最初から、連続殺人だった。


 となると、答えは一つしかない。殺人犯は城内にいる」


 そのときだ。

 エイリッヒの背後に人影が立った。いきなり背中に固いものを押しつけてくる。おそらくは銃口だ。


「はい。そこまで。死刑囚の兄は、よけいなことを考えない」


 その声には聞きおぼえがあった。


「あんたが、黒幕か」

「まあね」

「いつから、おれたちをつけていたんだ?」


「庭を歩いていたら、ぐうぜん見つけたもので。よく帰ってきてくれました。まあ、弟が心配でしかたなかったんでしょうがね。そこまで気づいてしまったら、あなたがたには死んでもらうしかない」


 エイリッヒは背後をふりかえった。

 思ったとおりの顔が、そこにあった。

 どこか悲しげな目をした、フローランの顔が。




 *



「さあ、君たち待望のベリーヒトだ。三人、仲よくしたまえ」


 脱獄犯二人をベリーヒトのいる室内にたたきこんだフローランは、ほっと息をついた。


 これで、まもなく三人まとめて始末できる。

 秘密は永遠に保たれるのだ。


(姫さまには、なんと言って、ごまかそうか。最初の予定から、ずいぶん、それてしまったからな)


 予定では、殺人犯は拘留中に脱走し外国へ逃げた、という筋立てになるはずだった。


 なのに、何を勘違いしたのか、ベリーヒトは変なことを言いだすし、逃亡犯は舞いもどってくるし、どうにも事態が、ままならない。


 フローラン自身もおどろいているうちに、ずいぶん、シビアなことになってしまった。


 無実の彼らには申しわけないが、ここまで来たら、ほんとに死んでもらうよりあるまい。


(秘密を知られてしまったんだ。彼らを生かしておくわけにはいかない)


 なぜ、こんなことになってしまったのだろうか。

 姉が死んでから、悲しいことばかりが続く。

 昔は、あんなに幸福だったのに。


 みんなが笑っていた。

 姉も、王も、姫も、民も、臣下も……フローランも。


 できることなら、あのころに戻りたい。

 でも、それはゆるされないのだろう。


 失った幸福をとりもどそうとあがくのは、おろかな行為だと、やっと気づいた。今となっては止められないが。


 階段をおりたところで、柱のかげから、マルグリーテが現れた。


「うまく行ってるようね」

「ああ。たったいま、逃亡していたミケーレと、もう一人の男を捕まえたよ。姫さまと小間使いは、武器庫に」


 マルグリーテはため息をついた。


「なぜ、帰ってきたのでしょう。あのまま逃げてくれれば、犠牲が少なくてすんだのに」

「そうは言っても、弟のことだ。ベリーヒトを見すてられなかったんだろう」


 マルグリーテはだまりこんだ。

 家族を不慮の死で亡くす悲しみは、彼女には痛いほど理解できるはずだから。


 半年前、猟奇殺人犯に殺されたのは、マルグリーテの妹だ。犯人を捕まえたいとマルグリーテが言いだしたことから、すべてが始まった。


 マルグリーテはフローランにとって幼なじみであり、姉の親友である。マルグリーテの妹ヴィオレッタをふくむ四人で、子どものころは、よく遊んだ。


 ヴィオレッタの死は、フローラン自身にも、ひじょうな悲しみだった。


 活発な姉やマルグリーテと違い、おっとりして、ひっこみじあんだったヴィオレッタ。


 大きくなったら結婚しようと、シロツメクサで作った指輪を交換したのは、十さいのとき。

 でも、大人になった彼女は、もういない。


 フローランは心ひそかに誓っていた。

 マルグリーテは犯人を捕まえるだけで満足のようだが、おれは違う。犯人を捕まえたら、自分の手で殺してやろうと。


 でも、できなかった。

 調べるうちに、ある事実に気づいてしまったから……。


(たった一つの愛が消えただけで、次々に大切なものが失われていく。あのころは、よかったな。みんなが笑っていられた。あのころに戻れたら……)


 フローランは悲しみに沈みそうになる自分を叱咤するために、マルグリーテを励ました。


「私だって、つらいんだ。でも、これ以上、こんなことを続けていくわけにはいかない。そうだろ? 誰かが終わらせないと」


「そうね。これ以上、家族を失って悲しい思いをする人を増やすわけにはいかない。ベリーヒトたちには悪いけど」


「いざというときには、すべての罪を私が引き受ける。それで丸く収まるなら、そのほうがいい」


「アネル。あなたが花嫁姿のヴィオレッタとならぶところ、見たかったわ」

「それは言わない約束だ」


 フローランはマルグリーテと別れた。


 処刑の時間まで、まだ気をぬくことはできない。

 彼らは、ひどく、事をかきまわす。おとなしくしていくれればいいのだが……。




 *



「やりましたぁ。姫さま。外に出られますよぉ」


 シャルランです!


 キイッと扉がひらくのを見て、姫さまは、あんぐり口をあけています。

「まさか、シャルラン。ほんとに、あけちゃったの?」


「え? だって、扉は鉄だけど、かんぬきは木でしたよ。ほら、体当たりで、まっぷたつ。このていどで、シャルランを閉じこめようなんて、甘いです」


「シャルラン、ケガしてない?」

「えっ? ぜんぜん、へっちゃらですよ?」

「…………」


 どうしたんでしょうねえ。姫さま。なんで、そんなにおどろくんでしょう。


「シャルランって……頑丈なんだね」

「はい! 元気は自慢です。さ、出ましょう。グズグズしてると、フローランさんが来ちゃいますよ」

「うん」


 ようやく武器庫をぬけだして、ほっと、ひといき。


「問題は、これからですよねぇ。どうやってご主人さまを助けましょうか」


 姫さまは考えこみました。

「お父さまにたのんで、ベリーヒトの処刑をやめてもらえば? 真犯人はフローランだって教えてあげれば、お父さまだって納得するわ」


 そう言う姫さまは、少し悲しそうでした。

 大好きな叔父さんが人殺しだったなんて、信じたくないですもんね。


「いいんですか? 今度はフローランさんが死刑になっちゃいますよ?」


「でも、しょうがないよ。悪いことしたんだもん。身代わりになって、関係ないベリーヒトが死ぬなんて、絶対、おかしい」


 姫さまはローズちゃんを抱きしめました。ローズちゃんが小さな手で、姫さまの涙をぬぐいます。


「ありがとう。ローズ。わたしは平気よ。あなたを作ってくれたベリーヒト。必ず、助けなくちゃ」


 あたしたちは王さまを探すことにしました。

 ローズちゃんが言います。


「ねえ、姫さま。王さまなら、あずまやにいるよ」

「なんで、わかるの?」と、姫さま。

「ローズの本体が見てるのぉ」


 そうでしたね。ローズちゃんは王宮の薔薇の木でした。


「お父さま。薔薇園がお好きだから」

「姫さまも好きですよね?」

 あたしが聞くと、姫さまは、こう答えました。


「もともと薔薇はお母さまが好きだったのよ。香水も、いつも薔薇。だから、あそこに行くと、お母さまのことを思いだすの」


 そうだったんですか……。


「じゃあ、薔薇園に行ってみましょう。姫さまの言葉なら、きっと王さまも信じてくださいます」


 よかった。ご主人さま。どうにか、まにあいそうです。お日さまは、まだ真上じゃありません。




 *



 エイリッヒたちが入れられたのは、高い塔の最上階だった。


 このすぐ上の屋上から、罪人が縛り首にされて、つるされるのだ。首吊りの塔という、ありがたくない異名を、さっき見張りの兵士が親切にも教えてくれた。


 この不吉な呼称の塔で、ようやくエイリッヒは“彼”と対峙していた。


 人形師ベリーヒト。

 ふくいくたる香りの薔薇の精霊。

 まだ少年といったほうがいいくらい細い、中性的な男だ。


 薔薇の精だというから、豪華でトゲトゲしい美形を想像していたのだが、実物と想像は、ちょっと違う。


 たしかに優美で、このうえなく美しいが、いつでもポキンとつみとられる覚悟ができているような、妙にたよりない風情がある。


「……あんたが、おれの弟か?」


 長かった、この流浪の時。

 記憶を失いながら、自分が何者かも知らず、一人さまよい続ける孤独。


 でも、それも終わりらしい。

 血をわけた弟が目の前にいるーー


 さすがに感動して、エイリッヒが手をさしのばしたとたん、相手は、あっけない一言で、エイリッヒの感動をこなごなに打ちくだいた。


「違いますよ」

「え? ちが……」


 盛りあがりかけた気持ちが、いっきに、なえる。


「でも、おまえがベリーヒトなんだろう?」

「そうです。僕がベリーヒトです」


 なんだろう。このほがらかな拒絶は……。


「じゃあ、おまえが弟なんだよな? シャルランが、そう言ってた」

「ああ……すいません。あれなら、僕の勘違いです」


「勘違い? ふざけるなよ。たかが勘違いで、おれたちは捕まったってのか? 弟でなけりゃ、誰が好んで助けにくるっていうんだ?」


 ちょっとイライラしてきて、エイリッヒは口調を荒げた。

 ビクリと、ベリーヒトはすくむ。


「そんなふうに言われると……ツライです」

「ツライのは、こっちだよ。せっかく、おれの失った記憶の一端でも、とりもどせるかと思ったのに」


 ベリーヒトはむしょうに悲しげな目をした。

 すごく、かわいそうなものを見る目で、エイリッヒを見る。それが、また、シャクにさわる。


「……なんだろう? おまえを見てると、イライラする」

「ヒドイです。ヒドイです。イライラだなんて、ヒドイ……」


 べそべそ泣きだして手がつけられない。

 シャルランも、めんどくさい主人を持ったものだ。


「説明しろ。なんで勘違いしたんだ。まさか、最初っからウソか?」


「違いますよぉ。シャルランから話を聞いたときは、ほんとに兄かもしれないと思ったんです。あなたが僕と同じ魔法を使えるっていうので。でも、僕の兄は百合の精なんですよね。あなたが百合じゃないってことは、ひとめでわかる」


「ああ……」


 当然だ。おれは赤い薔薇なんだから……。


「そういうことなら、しかたない。だからもう泣きやめよ。おまえが泣いてるとこ見てると、なんかこう、イジメてやりたくなる……」


 ベリーヒトはいっそう激しく泣きだした。


「なあ、そんなことよりさぁ」と、リンデが言いだす。

 そういえば、さっきから、だまりこんで、どうしたのだろうか。


「おれ、気になることがあるんだよな」

「うん。なんだ?」


 リンデは一瞬、ためらった。

 それから、低い声でささやく。


「アイツじゃないんだよ」

「え?」


「ジムを殺したやつ、どっかで、かいだことのある匂いだって話したろ? だけど、あのフローランってやつじゃなかった。匂いが違う」


「なんだって?」


 もしそうなら、大変だ。

 フローラン以外に怪しい人物なんていなかったはずだ。


「フローランなら、兵士を動かせる立場にある。宮中での権力も持ってる。あいつが犯人なら、どんな手を使ってでも、必死にかくそうとする。あいつに違いないと思ったんだが……」


「おれの鼻はまちがってない」

「じゃあ、誰なんだ? 第一、それなら、なんで無関係のはずのフローランが真相をかくそうと……」


 エイリッヒは気づいた。


(そうか。犯人は、フローランがかばわなければならない人物。フローランが自分のことのように秘密を守ろうとして、しかも、おれたちが知ってる城内の人間。フローランの家族じゃない。おれたちは彼の家族を知らない)


 考えろ。誰だ?

 フローランが罪を自分でかぶってでも、おれたちに知られまいとした人物。それに値するのは?


 兵隊長? まさか。

 では、マルグリーテ? それも違うだろう。

 マルグリーテがそうなら、みずから、おれたちと接触して逃がそうとするはずがない。


 では、フローランが補佐する左大臣だろうか?

 いや、それも違う。左大臣には会ったことがない。


 ならば以前、リンデが言っていたように、名も知らない大勢の兵士のなかの誰かか?

 一介の兵士ごときに、フローランが、ここまで身をとして、かばってやろうとするだろうか?


(おかしい。あてはまる人間がいない。あとは王宮の人間と言えば、姫さまくらいだが……)


 いくらなんでも、そんなことがあるわけがない。

 あんな少女がが深夜に城をぬけだして、町で人殺しをかさねていたというのか?


 違う。そうじゃないんだ。

 何か大切なことを忘れているんだ。

 ぬけおちた記憶のなかに、犯人にたどりつく大切なヒントが、かくされているはずだ。


 それがわかっているのに、どんなに必死にたぐりよせても、失われた記憶はよみがえらない。


(もどかしい。なんで、おれは、こうなんだ。おれが、まともなら、とっくに犯人を言いあててるのに)


 エイリッヒが自分にイラだっていると、ふいにベリーヒトがエイリッヒのひたいに手をあてた。昨夜からの記憶が、あふれだすように、いっきに思いだされた。


「今の魔法……」

「ミダスなら、誰でもできることです」

「…………」


 なんだろうか。今、心の奥底にある、遠い記憶が見えた気がするのだが……。



 ーーおれは、彼を、知っているーー



 エイリッヒはリンデの声で我に返った。

「エイリッヒ。ぼんやりしてないで教えてくれよ。なんか、わかったのか?」


「ああ、いや……わかったよ。おれたちを犠牲にしてでも、フローランが守ろうとしたもの。なぜ、犯人は秘密にされなければならなかったのか。それはーー」


 エイリッヒの告げた名を聞いて、リンデは、がくぜんとした。


「えっ……ウソだろ?」

「でも、それ以外、考えられない。おまえが犯人の匂いをかいだのは、あのときだ」

「たしかに……」


 心配なのは、シャルランたちだ。

 犯人が誰なのか知らない。

 会いに行ったりなどしなければいいのだが……。


「早く、ここから逃げだそう」

「わかった。おれ、ロープかなんか探してくる!」


 カラスに変身して、リンデが窓から飛びだしていった。

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