三章 地下牢と冒険、それに……恋?(後編)
エイリッヒさんがささやきました。
「薔薇の香りがする」
薔薇? あたしには血の匂いしか、わかりませんけど。
侍女さんが真っ青になって、
「これは……マクマーゼン公爵のご息女、ヘルダさまではありませんか」
そう言って、姫さまを抱きよせます。
「姫さまは見てはいけません」
「そうですよ。あたしも見たくないですけど」
リンデさんが主張します。
「逃げよう。今、兵隊に見つかったら、おれたちが殺したことになってしまう」
たしかに、そのとおりです。
あたしたちは走って走って、とにかく走りとおしました。城壁が見えるところまで来て、息を切らして立ち止まります。
あたしはハアハア呼吸をととのえながら、聞いてみました。
「どういうことなんですか? なんで、お城に死体があるんですか?」
エイリッヒさんも荒い息をつきながら答えます。
「誰かが製造したからだろうな」
「製造って、つまり……ころし……人殺し……」
「そういうことだ。人殺しが城内にまぎれこんでいる」
「それって、町で起こってる連続殺人ですか?」
エイリッヒさんは首をふりました。
「そこまでは断言できない。まったく別件の可能性もある。なにしろ、ここは堅固な城壁に守られた一つの小世界だ。城門の閉ざされた夜間は、町の民が容易に忍びこめる場所ではない」
「じゃあ、どういうことなんでしょう?」
すると、侍女さんが悲鳴のような声をあげます。
「どういうことかはわかりません。とにかく、これは大変なことですよ。ヘルダさまは陛下の後添いとして、国内ではもっとも有力な候補です。
お父上のマクマーゼン公爵は、陛下の叔父にあたる左大臣さま。公爵さまはヘルダさまの婚儀に、たいへん乗り気でいらしたんです」
エイリッヒさんが考えながら、つぶやきます。
「では、権力争いにまきこまれたのかもしれないな。公爵の宮中での権力拡大を望まない連中の仕業か。公爵に政敵はいないのか?」
エイリッヒさん、まともなときは理知的なんですよね……。
侍女さんは答えました。
「それは、とうぜん、右大臣さまでしょうね。公爵さまは現在、フローラン卿という懐刀もあり、宮中で並々ならぬ勢力をお持ちです。
この上、ご息女に王妃になられるのは、右大臣さまには喜ばしくないでしょう。
右大臣さまにも適齢のご息女がおありですから、できることなら、ご自身の娘を王妃にしたいとお考えでしょう」
「そうか。では、やはり、この件だけは町の連続殺人とは別件か。おれたちも災難なときに行きあわせてしまったな。罪をかぶせられないうちに、ここから逃げださないと」
そうですね。逃げださないと。
でも、リンデさんが反論しました。
「どうやって城壁こえるんだ? そりゃ、おれは、こんな塀なんか、ささっと登れるさ。エイリッヒも、なんとか。でも、シャルランはムリだろ? こいつ、すごいドジだからな」
心外です。でも……そうなんですよね。腕力はあるんですけどね。ドジは別物みたいで……。
侍女さんが手招きします。
「それならご心配にはおよびません。こちらへ、どうぞ」
ついていきますと、庭木にかくれて古井戸がありました。今は使っていないのか、木のふたで、おおってあります。
シャルランがおおいを外すと、暗い穴は、あんがい底が浅くなっていました。底石が見えています。水もありません。
「あれ? よこ穴が見えますですよ」
「ここも地下迷路の一部です。今は地下牢とは扉で仕切られていますが、ここを通っていけば、町の墓地へぬけられますよ。古い時代に秘密の脱出路として活用されておりました」
また地下ですか……シャルランは暗いの、苦手なんですけどね。
リンデさんは、そういうの鈍いみたいです。
「よし。なら行こう。今度は迷わないだろうな」
「墓地まで一本道ですよ」と、侍女さん。
「そうか。ありがとな」
リンデさんは勢いよく井戸にジャンプ。
エイリッヒさんも、カッコよく、とびおりました。ふだんはねぇ、ほんと、カッコいいんですけど……。
あたしが井戸のふちで尻ごみしてると、井戸の底から、二人が手をのばしてきます。
「ほら、来い。ミニバラ」
「おれたちが受けとめてやるからさ」
ああ、こういうの、お姫さまあつかいって言うんですか? ご主人さまには絶対に言われないセリフなんで、照れちゃいますよ。
ではーーと、あたしが心の準備をしていたときです。
まだ準備中なのに、いきなり背後から、どーん!
あ……あぶない。もうちょっとで落ちるとこーーあれ? もう落ちてます。あわれ、エイリッヒさん、リンデさん。二人は下敷きに……。
「……おまえなぁ。いくら受けとめるったって、なんかこう、前ふりとかないのか? 行くわよとか声くらいかけたって」
エイリッヒさんに言われて、あたしは必死に首をふりました。
「違うんです。あたしもいきなりのことで何が何やら。背中から、どーんってなったんですぅ」
近くで声がしました。
「い……痛い」
あらま。姫さまです。
「姫さま。なんで、ついてきちゃったんですか?」
「ついてきたんじゃないもん。押されたんだもん」
あたしと姫さまとエイリッヒさんとリンデさんは、どこからどこまでが自分の体なのかわからないくらい、ゴチャゴチャになって、井戸の底に倒れていました。
頭上に見えるのは、井戸端に立つ侍女さんです。
さては、侍女さんにつきとばされたんですね。
「何するのよ! マルグリーテ。つきとばすなんて、ひどいわ」
姫さまが文句を言いました。
すると、侍女さんは早口に告げます。
「すみません。姫さま。大人には大人の事情ってものがあるんでございます。恨まないでくださいましねぇ」
勝手なことを言って、侍女さんは井戸にフタをしてしまいました。星空が見えなくなり、なかは真っ暗闇です。
うう。また暗闇……。
でも、グズグズしてるヒマはありません。
遠くのほうで、「囚人が逃げたぞ」とか、「人が殺されてる!」などと叫ぶ声が聞こえてくるではありませんか。
「あたしたち、だまされたってことですか?」
「そうなんじゃねえの」と、リンデさん。
姫さまは泣きそうです。
「ウソ。マルグリーテのことだけは信用してたのに」
待てーーと、エイリッヒさんが言いました。
「このよこ穴、ほんとに奥に続いてるぞ。とりあえず、行ってみよう。ここにいたって、餓死するか兵隊に見つかるかだ」
そうですね。それしかないですよね。
せまいよこ穴です。立って歩くことはできないので、ハイハイしていくしかありません。
鼻のきくリンデさんを先頭に、姫さま、あたし、最後にエイリッヒさん……なんですが、そのせいで、スカート丈が気になっちゃって。
最後尾を守るのは男の役目だ、なんて、エイリッヒさんが言うから、うしろをゆるしたのに、暗闇をハイハイしてたら、笑い声がするじゃありませんか。
「何を笑ってるんですか! エイリッヒさん。み……見たんですか?」
「おまえのパンツが白いことぐらい、見なくたってわかるよ」
「ふ、ふみますよ? 頭、ふみますよ?」
「よせよ。そうじゃなくて、おれはハメられたのかなって」
「ハメられ……どういう?」
「囚人のおれがいなくなり、脱獄中に女が殺された。ということは、けっきょく、おれが殺して逃げたことになるだろ。あの侍女、最初から、そのつもりで、おれを牢から出したのかもなと思ったんだ」
前のほうから、リンデさんの声が答えます。
「うーん。そうだなぁ。変態の人殺しが城内で女を殺したくなったーーって考えるだろうなぁ。殺人鬼が町にいるときに、城で殺人が起こっても、殺人鬼のせいだとは誰も考えないだろうが。タイミングが悪すぎる」
うーん、とリンデさんはうなります。
「じゃあ、あの侍女は、おれたちを政権争いに利用したのかな? 一介の侍女が? 右大臣に命令されたのかな?」
今度はうしろからエイリッヒさんの声。
「右大臣が怪しいって言ったのも、あの侍女の言葉だ。ほんとに怪しいんだか、はなはだ疑問だな。右大臣があの女の味方なら、疑いのかかるようなことは言わないはずだ。
でも、しらべてみる価値はある。おれたちに姫を押しつけたのが子守のつもりでないなら、城から遠ざけたかったってことだろ?
つまり、城のなかが安全じゃないからだ。彼女か姫の敵が城内にいるんだ」
なるほどです。
リンデさんは、また、うなりました。
「なんか、だんだん話がややこしくなってきたなぁ。いったい、どこからが陰謀で、どこまでが、ぐうぜんなんだ?
もしかして、エイリッヒが嫌疑人になったのも、すでに陰謀だったのか?
たしかに、おれは、エイリッヒがナイフを持ってるとこ見たよ。でも、エイリッヒが女を刺すとこを見たわけじゃない。
エイリッヒのことだから、女を介抱しようとして、刺さってたナイフをぬいただけかもしれない」
「おれが、何をしたって?」
ああ、もどかしいですね。また、そこからなんですか。
あたしは、ちょっとめんどくさくなって、二人の話に口をはさみました。
「町に出たら、あの酒場のおかみさんに聞いてみたら、どうですか? 何か知ってるかもしれませんよ」
リンデさんが賛成してくれました。
「いい考えだね。右大臣しらべるより、カンタンそうだーーおっ、出口だ」
ふたを動かす音がして、外の月明かりと新鮮な空気が入ってきました。やっと、せまくるしさから解放です。
出口は古いお墓の一つにカモフラージュされていました。
たくさんの墓石が月光に青白くてらされて、無気味この上なし!
「うう、イヤなながめですねぇ。シャルラン、暗いのより墓地は、もっと苦手です」
エイリッヒさんは首をかしげました。
「変だな。ほんとに墓地か。あの侍女、おれたちを罠にハメたいのか、逃がしたいのか。どっちなんだ?」
「罠なら、そろそろ、待ちぶせの兵士が出てくるんじゃないか?」
リンデさんが言いましたが、そういう気配はありません。
墓場はあたしたち以外、生きてる者はないように静かです。まあ、みんな死んでるんですけどね。そのことは考えたくないです。怖いです。
とつぜん、姫さまが、うわーんと泣きだしました。
「きっと、マルグリーテは、お父さまの命令で、わたしをすてたのよ! お父さまは、わたしのことがキライなんだわ!」
姫さま、おとなしいと思ったら、そんな悲しいこと考えていたんですね。
「姫さま! そんなことありません。王さまは姫さまのこと、ほんとに大切に思っていらっしゃいます。そうじゃなきゃ、あんなにいっしょうけんめい、ご主人さまや断崖の魔術師を呼びよせようとしませんよ」
「そんなの建前だもん」
そうですか……もう建前って言葉を知ってるんですか。
でも、シャルラン、くじけません。
「自分の娘を愛さない父親なんていませんよ」
「いるもん。お父さまが愛してるのは、お母さまだけよ。わたしのことなんか、どうだっていいのよ。わたし、ちっともお母さまに似てないし。赤毛でソバカスで、みっともないから。だから、わたしの顔なんか見たくないんだわ!」
「姫さま……」
泣きじゃくる姫さまは、うちのご主人さまみたいです。
「……そんなこと気にしてたんですね。姫さま」
「そんなことじゃないもん。シャルランはプラチナブロンドで青い目で美人だから……わからないもん」
むうん。ある人に言わせると、ミニミニミニローズなんですけどね……。
「気にしてるのは、姫さまのほうでしょ? 王さまはそんなこと、ちっとも気にしてませんよ。だって、王さまは、今のままの姫さまを愛しているんですから。
じゃないと、あたしがご主人さまに姫さまの人形造りをおすすめしてませんよ。あたしは王さまの愛情が本物だと思ったから、自信を持ってご主人さまにおすすめしたんです。
こう見えて、シャルラン、人を見る目はあるんですよ。動物的な勘ってやつでしょうか?」
「シャルラン……」
「だからね。ちゃんと姫さまをお守りして、ぶじに王さまのもとにお帰ししなくちゃいけないんです。じゃないと、王さま、病気になっちゃいますよ。ね?」
こくんと、姫さまはうなずきました。
まだ子どもなのに、不幸の多い、かわいそうな姫さま。
お城では人目があって、思いきり泣けないのかもしれません。
「姫さまは、しばらく、うちのお屋敷でお預かりしましょう。エイリッヒさんたちは、どうするんですか?」
「おれの住処は、すでに兵士たちに知られている。とりあえず、夜が明けるまで、おまえの屋敷へ行かせてくれ。そのあとのことは、ついてから考える」
ところでーーと、エイリッヒさんは続けます。
「姫は、なぜ、断崖の魔術師に会いたかったんだ?」
姫さまは泣きやんで、ぽつりぽつり答えます。
「断崖の魔術師は、人の思い出を宝石にすることができるって聞いたから。その宝石をのぞくと、思い出のなかの人が見えるんですって。
お母さまが亡くなってから、お父さま、ずっと元気がないの。王さまだから、人前では、すごくがんばってお仕事してるけど、あたしにはわかるの。ムリしてるんだって。
せめて、思い出の宝石でお母さまに会えれば、少しは元気になるかなって……」
「だが、思い出をとりだされたほうは、その思い出を忘れてしまうんだぞ。おまえは母のことを永遠に忘れる。母の顔も、声も、愛していたことも、愛されたことも、何もかも」
「それでも……お父さまが元気になるなら……」
な、なんて、いい子なんでしょう!
シャルラン、涙があふれますです。
エイリッヒさんは苦笑しました。
「そうか。しかし、どっちみち、断崖の魔術師には、姫の記憶はうばえない」
え? なんでですか?
あたしは不思議に思って、すぐにも理由を聞きたかったんですが、エイリッヒさんがせかします。
「さあ、早く、おまえの屋敷へ行こう。ここも、いつ追っ手が来るかわからない」
まあ、それはそうです。
あたしたちは暮石のあいだを歩いていきました。
動く死体とか出なくてよかったです。
昔、もっと魔法が盛んだったころは、死体もよく動いたものです……ん?
なんで、そんな昔のことを、あたし、知ってるんでしょうね? 魔法が盛んだったのは、一千年以上も古い時代なのに。
うーん? ほんと言うと、あたしもエイリッヒさんのこと、とやかく言えないんですよね。子どものころの記憶も、けっこう、あいまいだし、ときどき年単位で記憶がぬけちゃうんですよ。
みんなが、そうなんだよってご主人さまが言うから、気にしてませんけど。
さて、あたしたちは夜明け前の街路をひた走りました。
追っ手が来るよりさきに、ご主人さまに事情を話しませんと。
ところが、すでに遅かったのです。
ようやく帰ったお屋敷には、明かりがついていませんでした。
ご主人さま、シャルランがいないことに気づかず、寝ちゃったんでしょうか?
お屋敷の前で、リンデさんが鼻をヒクヒクさせました。
「変だな。大勢の人間と馬の匂いがする。誰か……来たか?」
不安な気持ちで、あたしはお屋敷にかけこみました。
「ご主人さま。ビュリオラさま。シャルランです。どこにいるんですか?」
ご主人さまはお屋敷のどこにもいませんでした。
アトリエから、かすかな音がしたので、行ってみるとーー
「ビュリオラ。つれてかれたの。たくさん兵隊が来て、つれてかれちゃったの」
黄色い花びらの髪のローズちゃんが、泣きながら言いました。
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