三章 地下牢と冒険、そして……恋?(前編)
「わあ、なんですか、ここ。暗いです。ジメジメです。キノコ栽培場ですか? いえ、むしろカビ? カビを育ててるんですか?」
ガチャンと背後で、地下牢の鉄格子がしめられる音を聞きながら、あたしは物珍しさに、ちょっと興奮していました。
リンデさんがトゲのある声で応えてきます。
「なんで地下牢入れられて、そんな快活でいられるんだ。おまえの脳ミソも、たいがいカビてるぞ」
「あーあ、リンデさん。カリカリしてますねぇ」
「おれは、ふつうだよ。おまえが、おかしいの」
「そうですかぁ? ここが地下牢ですかぁ。(被害妄想のご主人さまから)さんざん話には聞きましたけど、入れられたのは初めてですぅ」
あははっと笑うと、イラッと来たように、リンデさんは、こぶしをにぎりしめました。
「あ……あぶねぇ。女じゃなかったら、なぐってた」
「そんなに思いつめないでくださいよぉ。フローランさんだって言ってたじゃないですかぁ。あたしたちが、ここに入ってるあいだに殺人事件が起きたら、あたしたちは人殺しじゃないって。そしたら、すぐ出してくれるそうですよ。悪いことしてなければ出られますって」
あれ? なんででしょうね。
リンデさんとエイリッヒさんは、よけい思いつめたみたいですよ?
「なんですか? まさか、身におぼえがあるとでも?」
「あるような」と、リンデさん。
「あるんですか?」
「ないよ」と、エイリッヒさん。
「ないんですか?」
「いやいや、やっぱり、あるような」と、またまたリンデさん。
「どっちなんですか!」
エイリッヒさんは断言しました。
「おれはないよ」
ならば、よし、と思っていたら、エイリッヒさんは続けて言います。
「でも、リンデが言うには、おれは昨夜、酒場の路地裏で、女の死体を前にナイフをにぎりしめていたらしい。おれが……殺したのかもしれない」
「ええ……」
なんでしょう。
今までにないほど強い、この残念感は。
エイリッヒさんは、さみしそうに笑いました。
「そんな目で見るなよ。おれだって、自分が人殺しだなんて思いたくない。でも、しかたないだろ? 事実がそう告げている」
あれ? なんか……なんでしょうか。
心臓のとこが、きゅんってしたような?
「なんで……エイリッヒさんが人殺しなんて、するんですか?」
「さあな。おれには記憶がないが、町で徘徊しているあいだに、あっちこっちで女の世話になってるらしいからな。痴情のもつれってやつかもしれない」
自嘲的な笑み。
なんなんですか。
さっきから、胸が痛いですよ。
「それに、おれは薔薇の香りをかぐと、変になるし」
「なんでですか?」
「さあ。おれが、こんなふうになったことと関係してるらしい」
それだと、ご主人さまに会わせるのは、ちょっと考えものですねぇ。ご主人さま、バッチリ、薔薇の香りですもんね。
そういえば、ご主人さま、心配してますかねぇ?
あたしが帰ってこなくて。
「こまりましたねぇ。もし、ほんとに、エイリッヒさんの仕業なら、あたしたち、ここから出られないじゃないですか」
「おまえたちは関係ない。万一、おれがやったことだとしても、おまえたちは出してもらえるよ。だいたい、なんで、おとなしく、ついてきたんだ」
リンデさんは肩をすくめました。
「なんでって、おまえを見すてて逃げられないだろ」
「あたしは……なんでだろ。なりゆきですかね」
エイリッヒさんは笑いました。少し明るさがもどっています。エイリッヒさんが楽しそうだと、あたしも嬉しいです。
「なりゆきで地下牢に入れられてるなよ。バカなやつだな」
「そうなんです。おっちょこちょいだって、ご主人さまにも言われますです」
えへっと舌を出すあたしを、なんか言いたそうな目で、リンデさんが見ていました。
やっぱり、おまえもそうなるんだよね、とかなんとか、わけのわからないことをブツブツ言ってましたけど、気をとりなおしたようにたずねます。
「で、エイリッヒ。どうするんだ? このまま捕まってるのか?」
「おまえは逃げだせるだろう? リンデ」
「そうだけど、ここで一人で逃げだすくらいなら、最初からついてこない。牢屋のカギを見つけてこいって言うなら、探してくる」
「おれは……いいんだ。おれがほんとに人殺しなら、このまま人間の手で処刑されるのも悪くない」
とか言ってたのに、やっぱりかわいそうな人ですねぇ。
五分後には、自分がなぜ牢屋にいるのかも、ここが牢屋だってことも、きれいサッパリ忘れていました。
でも、ちょっとだけ進歩があったんです。
あたしを見たときの反応が、今までと違ってたんですよぉー! 嬉しいです。
「ん? 白ば……いや、なんだろう。前に会ったことあるか?」
「ありますよぉ。シャルランですぅ」
へえ、と言って、リンデさんも感心しました。
「スゴイな。おれが、こいつに、こんなふうに言われるまでに一年かかったんだ。エイリッヒ、気にかかってることだけは、かろうじて記憶のすみに残るらしくってさ。気長に待てば、ちゃんとおぼえてくれるんだ」
「じゃあ、あたしのこと、気になってるんですね」
あたしは喜んでたんだけど、エイリッヒさんは鼻で笑います。
「おれが、こんな乳くさい小娘に気がある? バカ言うなよ。おれが好きなのは、もっと優雅で色っぽい大人の女だ」
むうっ。ガマン。ガマン。エイリッヒさんは病気なんだから。でも、シャクですねぇ。
むくれていると、鉄格子のむこうで、石だたみをふんで足音が近づいてきました。制服を着た兵隊さんと、姫さま付きの、あの侍女さんです。
「囚人。差し入れだ。このかたの厚意で、囚人にはもったいないほど豪華な食事だからな。心して食えよ」
大きなお皿に鳥の丸焼き。ふかしたジャガイモとグリーンピース。パンにバター。水がめには冷たい清水です。
「わあ。ありがとうございますぅ」
と言っても、あたしに食べられるのは、パンだけです。
いえ、親切にしてもらったんだから、感謝しなくちゃですね。
ありがたく受けとると、去りぎわに侍女さんはVサインをしました。うーん。謎な人です。
「肉! 鶏肉ッ!」
お皿が牢屋に入ってきたとたん、フウフウうなって、リンデさんが肉をくわえて、すみっこへ行きました。壁にむかって、バリバリかじっています。ワンちゃんかネコちゃんみたいですねぇ。
「なんか、今までのリンデさんと違う」
エイリッヒさんが苦笑しました。
「ほっといてやってくれ。リンデはいろんな動物が複雑に混血した獣の精霊なんだ。肉や魚を見ると、我を忘れてしまう。もし、どうしても、おまえが肉を食いたければ、リンデから、うばいとるしかないが……」
「いえ。いらないです」
「うん。やめたほうがいい。以前、野生のヒグマがリンデとサケをうばいあって、半死半生のめにあった。日記に書いてあったくらいだから、よっぽどスゴイ争奪戦だったんだろう」
話しながら、エイリッヒさんは水がめをのぞいて「なんだ。ただの水か」とか、「バターじゃなくハチミツならよかったな」とか、文句をこぼしていました。
けっきょく、しょうがなさそうに、グリーンピースにフォークをつきさしています。
あれれ? 変ですね。ご主人さまのお兄さまなら、光合成じゃないんですか?
エイリッヒさんが不思議そうな目で、あたしを見ます。
「どうした? おまえは食べないのか?」
「じゃあ、いただきます」
あたしはパンにバターをたっぷりぬって、かじりました。バケットはかたくて、あんまり好きじゃないんですけどねぇ。
あたしが好きなのは、ビスケット。飲み物はミルク。
ふわふわの生クリームをつけて食べるんですよ。
「バケットはギリギリ乙女ですよね。サンドイッチは不可。でも、ジャムサンドはオッケー。乙女的食べ物じゃないと、元気が出ません」
「変なやつだな。おまえは人間なんだろ?」
「もちろんですよ。小さいときに、ほんとのお父さんとお母さんが死んじゃったみたいなんですよぉ。ご主人さまがひろって育ててくださったんです。ラッキーでした。シャルラン」
「信じられない。なんなんだ。この
「え? そうですか? ご主人さまは、ほんとに、いいかたなんですよ。ちょっと、たよりないとこはありますけどね。でも、人が傷ついてるとこを見ると、自分のことみたいに泣きだしたりして……あれ? やっぱり、たよりないですか?」
くすりと、エイリッヒさんは笑いました。
「なるほど。それでか」
「それでなんですぅ」
話してるあいだ、すみのほうで、ずっと、ガリガリふうふう聞こえて、動物園のランチタイムみたい。
ポイっと骨をなげて、リンデさんが立ちあがりました。
「……食った。食った。満足。満足ーーシャルラン、おまえ、食うの遅いなぁ」
「リンデさんが早すぎるんですよぉーーん? か……かたい」
なんか、ガリィッてきましたよ。
ビックリして、バケットを口から離すと、白いところがくりぬいてあって、なかから金属がのぞいていました。
「あれれ、なんでしょう。これ」
「カギだな」
同じようにのぞいてきて、リンデさんが言いました。
ひっぱりだすと、たしかにカギです。
「もしかして、牢屋のカギなんじゃないか?」
おお、Vサインの意味は、これでしたか。
「わーい。これで外に出られますね!」
リンデさんが、あわてます。
「大声出すなよな。見張りの兵隊が来るだろ」
「すみません……」
「エイリッヒ。これ使って逃げるか?」
「なぜ逃げないわけがあるんだ?」
ですよね。
いざ、逃げだしましょう。
*
エイリッヒが目ざめたとき、天井あたりにある小さな窓から月光がさしこんでいた。兵隊が手薄になる深夜まで、仮眠をとったのだ。そろそろ、いい時刻だ。
すでにリンデは目をさましていた。
狼にしろ猫にしろ、コウモリにしろ、夜行性の生き物だ。リンデは昼より夜のほうが活動に適している。ことに、こんなふうに月の明るい夜が、彼は好きだ。
リンデがニカッと犬歯を見せて笑う。
「いい夜だな。気持ちがいい」
「おまえ好みの夜だな。こんな日には力が倍増するんだろう?」
「満月の夜ほどじゃないけどな。おれは、あんたみたいに、いろんな魔法は使えない。変身して、動物としての能力を発揮するだけだ。いろいろできる、あんたがうらやましいよ」
「おれだって、今はもう、ろくな魔法は使えない。太古にかわしたエレメンツとの契約があるから、多少、元素の力を利用できるだけだ。
かつてのおれは、もっと多くの力を有していた。そのころの力の余韻が、体の奥底に感じられる。今も世界のどこかに、あの力が存在しているのだと思う。クモの糸のようなもので、かすかに、おれとつながっている」
「あんたも難儀だなぁ。エイリッヒ」
「その名前も、ほんとのものではないからな。真の名は、とっくに忘れた。おれは一度、死んだはずなんだ。そのときに多くの大切な記憶が失われた」
「忘れたなら忘れたで、いいじゃないか。失った力をとりもどそうと、あがくときのあんたは、ときどき怖いときがある。
おれは、これまで邪まな心に呑まれて悪鬼と化した精霊を、何人も見てきた。家族や友人や恋人を、人間に殺され、復讐のために、悪しき化け物になりはてたやつらを。
やがて、その魂は邪悪に染まり、悪魔になる。もう精霊じゃない。死んでも精霊として、よみがえることはできない。
おれは、あんたに、そんなふうになってもらいたくないんだよ」
「おまえにとって、おれは親代わりだからな」
もっとも、エイリッヒ自身には、どのようにして自分がリンデを育てたのか、ほとんど記憶にないのだが。
「でも、リンデ。自分がかりそめの命しか与えられていないと自覚しながら、夢を見るように生きるのは、もどかしい。
胸の下で、今も、かつて引き裂かれた傷が血をふいているのが、わかるのに。その傷を見ることも、ふれることもできない。なぜ自分が苦しいのかさえ、知るよしもない。
この形の見えない不安。いっそ傷口をこの目で見て、おれは瀕死なんだと知りたいんだよ。でなければ、一歩も前へ進めない」
「エイリッヒ……」
泣きそうな目をしたリンデの顔は、ふしぎと、これまでに何度も見たという感覚が、たしかにある。
こんなときには、リンデとのあいだの強い絆を感じることができた。
自分はたぶん、リンデがいなかったころは、もっと、すさんでいたのだろう。じだらくで自暴自棄になっていたのだろう。
誰のことも記憶に残っていないのが、その証拠だ。
世界中のあらゆることに無関心で無頓着で、絶望のなかを無為に流されてきたのだ。
でも、今は違う。
「大丈夫。おまえの声が、きっと、おれを正しい道にふみとどめてくれる。これからさき、どんなことがあっても」
「なら、いいけど」
急に照れたように、リンデは話をそらした。
「そろそろ、小娘、起こしてやるか。置いてったら、泣くだろうからさ」
そう言って、背後をふりかえったリンデは、うわッと声をあげて、おどろいた。
「どうした? リンデ」
「エイリッヒ。こいつーー」
リンデの指さすさきを見て、エイリッヒも驚がくした。
*
なんでしょうか。
仮眠をとってから、エイリッヒさんとリンデさんの視線が変です。
「なんなんですか? さっきから、いやにジロジロ見ますね」
「それは、おまえがーー」
言いかけるリンデさんを、エイリッヒさんが押さえます。
「しッ。今は逃げることに集中しよう」
というわけで、差し入れのカギを使って、あたしたちは牢屋をぬけだしました。地下は、まるで迷路です。
「古い戦乱の時代に敵をさそいこんで出られなくさせたか、あるいは罪人の追放の地だったのかもしれないな」と、エイリッヒさんが解説してくれます。
「ふにゅう。出口がわかりません」
「正規の出口は兵士が見張っている。見つからずに逃げだすことは不可能だ」
「どこかに別の出口はありませんか?」
「大気の流れで調べてみよう」
エイリッヒさんは虚空を見つめて動かなくなりました。
ちょっと怖いです。エイリッヒさんは美男子なので、動かないと人じゃないみたいです。あっ、人じゃなかったですね。
「……この地下迷路には、地上へ通じる出口が複数ある。この近辺は石灰岩質の地層だ。自然にできた鍾乳洞に、人間が手をくわえたんだな。
一部が王宮の地下につながっているということは、いざというときに逃げだすための隠し通路にしていたんだろう」
「じゃあ、その道を通って逃げられますね」
「いや。今は地下牢以外の場所に通じる道は、すべて鉄の扉や岩石でふさいであるみたいだ。ふさがれていないところは、兵士が見張っている」
「そんなぁ。どうするんですか?」
話していると、リンデさんが急に言いだしました。
「こっちだ。この匂い」
手招きするので、あたしとエイリッヒさんは、ついていきました。
枝わかれする暗い地下道。
リンデさんを追って歩いていきます。
すると、前方に、わずかな光が見えてきました。天井のあたりです。近づくと、その手前で数段の階段になっていました。
「階段が天井に消えてます」
「こういうのは、仕掛けがあるんだよ」
そう言って、リンデさんが天井に手をかけました。光の筋が、みるみる太くなっていきます。そこだけ、あげぶたになっていたのです。
「秘密のぬけ穴だ」
「よかったぁ。シャルラン、暗闇は苦手なんですよぉ。オバケが出てきそうな気がするんです……やっと明るいところに出られるんですね」
「明るくはないよ。外も夜だ。礼拝堂のなかみたいだな。祭壇が見える。
リンデさんは、すきまからのぞいて報告してくれます。
が、サッと頭をひっこめました。
「人がいる」
真夜中の礼拝堂に?
えっと……それは、オバケ的な何か……。
「ご安心ください。わたくしです」
人間の声がしました。
天井のすきまから、ささやく声は、あの差し入れをくれた侍女さんです。
ほっと胸をなでおろし、あたしたちは秘密のぬけ穴から、まっくらな礼拝堂へ侵入しました。
とりあえず、地下は脱出ですね。
「いっこうにおいでにならないので、心配しました。地図を見てくださったんですよね?」
地図? そんなの、ありましたっけ?
あたしたちが首をかしげていると、侍女さんは、おでこに手をあてました。
「あ、やっぱり、気づいてもらえませんでしたか。じつはパンの裏に針で彫って、地図を描いておいたのです。すみません。まぎらわしいことをして」
パン……シャルランがモシャモシャいただいたやつですか。うっ。エイリッヒさんとリンデさんの視線が痛いです。
「そういえば、なんか模様があった気がします。オシャレなパンだなって……てへっ」
リンデさんが牙をむきます。
「てへっ、じゃねえよ。おれが、この人の匂いに気づいたから、よかったようなものの。でなきゃ、おれたち永遠に地下の迷路をさまよってたとこだぞ」
「わあっ、スゴイですね。匂いでわかったんですか」
「うん、まあ。この姿でも、人並みよりは嗅覚も聴覚もーーって、こらこら。ごまかされるか。反省しろよな。このドジっ子」
「す……すみませんです」
まあまあと、侍女さんがなだめてくれました。
「急ぎませんと、あなたがたが牢屋からいなくなったことに、見まわりの兵士が気づくかもしれません。早々に城をぬけだしませんと。わたくしがご案内いたしましょう」
待てよと、リンデさんが呼びとめます。
「あんた、なんで、おれたちに、ここまでしてくれるんだ」
あ、そうか。リンデさんたちは侍女さんのこと知らないんでした。
「それはですね」と、あたしが説明する前に、柱のうしろから、小さな影がとびだしてきました。
「わたしが、たのんだのよ」
抱きついてきたのは、もちろん、姫さまです。
「姫さままで来てたんですか」
「だって、ベリーヒトの召使いが殺人罪で捕まったって聞いて、心配で寝られなかったんだもん」
「ええっ。あたしも同罪なんですか? それはヒドイです。フローランさん」
「そうよ。フローランは横暴すぎるわ。ベリーヒトの召使いが人殺しなんかするわけないのに。だから、逃がしてあげようと思ったの」
「ありがとうございます、姫さま。でも、あたしのことは、シャルランって呼んでくださいね。それで、こっちはお友達のリンデさんと、エイリッヒさん。エイリッヒさんはですねーー」
断崖の魔術師なんですよねと言おうとしたら、エイリッヒさんが、そっと首をふりました。だまってろってことですか?
「わかったわ。シャルラン、リンデ、エイリッヒ。さ、今のうちに逃げて。城壁のところまでは、わたしたちが案内してあげる」
みんなで一列になって、参列席のあいだを歩いていきます。ピクニックみたいで楽しいです。
そのとき、とつぜん、キイッと音がして、外から扉がひらかれました。
ヤバイです! 誰か、やってきました!
あたしたちは大あわてです。
バラバラになって、参列席のあいだに、しゃがみこみます。
ひらかれた扉から月光がさしこみ、黒い人型のシルエットが浮かんでいました。背の高い男の人みたいです。
その人は、かくれてるあたしたちには気づかないようでした。みなさん、すばやかったですからねぇ。
そういうあたしも、変なカッコでイスの下にすべりこんじゃって、苦しいです。
なんか床が妙にゴツゴツ……?
というか、むしろ弾力があって、でこぼこ?
それに、生あったかいし……。
「生あったかいのは、おまえが、おれを下敷きにしてるからだ」
耳元で声がするので、よく見るとーー
きゃあッ。エ、エ……エイリッヒさん!
「バカ、バカっ。何してるんですかっ」
「おまえが、おれを押し倒したんだろ?」
「そんなことしません」
「したんだよ」
「しません」
「静かにしろよ。気づかれるだろ」
あう……っ。そうでした。
だからって、この人、どこさわってるんですか。
なんか、エイリッヒさんの両手が腰にまわってきますよ。
「離せ。ふとどき者ーーです」
「おまえ、いい匂いがするな。薔薇の香りだ。なつかしい」
ええっ? またですか? また“白薔薇!”ですか?
しかも、今?
こまったなぁ。ここでは、パーンチもできないし……。
入口の人影は、あたしたちのコソコソ声に気づいたのか、念入りに周囲を見まわしています。
「誰か、いるのか?」
どっかで聞いたような声ですねぇ。
すると、座席のかげから黒猫がとびだして、ニャアと鳴きました。
えっ? どこから猫さんが。
でも、ありがとう!
人影は、ほっとしたように息をつきました。なかへ入ってきます。座席のあいだを歩いていく姿が、ステンドグラスからさしこむ月光にてらされました。
声に聞きおぼえがあるはずです。
なんと、王さまではないですか。
王さまは一直線に歩いていくと、祭壇の前にひざをつきました。両手をあわせてお祈りを始めます。
つぶやきが聞こえました。
「デルトリーネ……」
女の人の名前ですね。
亡くなったお妃さまでしょうか。
「おい、このあいだに逃げるぞ」
リンデさんの声が、ちっちゃく、どっかからしました。が、姿は見えません。
あの黒猫が、ひらかれたままのドアのほうへ、ぴゅうっと走っていきます。
「あたしたちも行きますよ。エイリッヒさん」
「どうしても行ってしまうのか? 白薔薇。私を愛していると言ったのは偽りか?」
んもう。また、ダメなモードに入ってるですねぇ。
起きあがろうとすると、両手で抱きついて阻止するんですよ。
しょうがないので、あたしはエイリッヒさんの背中に手をまわし、えいやっと立ちあがりました。しくしく泣いているエイリッヒさんを抱きかかえ、礼拝堂の外へむかって歩いていきます。
うたたねするご主人さまを、よくこうやって寝室まで運んであげるので、このくらい、へっちゃらです。
それに精霊の男性は、人間の男より、はるかにかるいですから。
王さまは戸口に背をむけて、お祈りに集中しています。
あたしたちが出ていくのに、まったく気づきません。
姫さまや侍女さんも、そろっと、はいだしてきました。
礼拝堂を出たところで、なかをふりかえって、姫さまや侍女さんが言いました。
「お父さま……」
「王さまは、やはりお妃さまのことが忘れられないのですね。各国から王女や女王との再婚の申し出があるのに、王さまは全部、ことわっておられるんですよ」
あたしは、たずねてみました。
「じゃあ、デルトリーネというのは、亡くなったお妃さまの……」
「さようです」
「亡くなって何年もたつのに、夜な夜なお祈りに来るなんて、よほど強い悲しみなんですね」
「陛下はお妃さまのことを、それはもう何ものにも代えがたく愛しておられましたから。
デルトリーネさまは、たいへんお美しいかたでしたし、ムリもありません。その美貌をたたえて、近隣諸国では、ローズクィーンと呼ばれていたほどです。
民間のご出身ですが、気高く教養もあり、そのうえ貴族や王族のお姫さまとは異なり、きさくで思いやり深い、素晴らしいおかたでした。わたくしたち侍女や召使いも、みんな、お妃さまにあこがれたものですわ」
ウットリしている侍女さんのよこで、姫さまのようすは沈んで見えます。やっぱり、お母さまの話を聞くと、悲しみがよみがえるんでしょうね。
「ああ、白薔薇。気高く美しいおまえに心をうばわれない者はなかった」
「そうです。白薔薇の君と、わたくしたちはお呼びしていました」
「優雅なその香りまで、夢心地をさそう」
「そうそう。いつも薔薇の香水をつけていらっしゃいましたねぇ」
なんか、変な会話が侍女さんと誰かで成り立ってますねぇ。
誰かって……誰ですか?
「白薔薇……」と、胸元から声がします。
あ、ここだった。あたしにピッタリひっついた、エイリッヒさん。
「おまえも、いつまでも女の子に姫だっこされて、気持ちよくトリップしてるなよ!」
いつのまにか、そばに立っていたリンデさんが、パコンとエイリッヒさんの頭をはたきました。
ハッとして、エイリッヒさんが、あたりを見まわします。
「ここは、どこだ? おれを何をしてたんだ?」
「ああっ、イライラする! 親とも兄とも慕うおまえの、そんな情けない姿、おれは見たくない!」
まあ、そうですよね。同情しますです。
あたしだって、頭からフトンかぶって被害妄想におちいるご主人さまの姿は、あまり見たくないですからねぇ。
「忘れてました。じゃ、正気にもどったみたいなので、自分で立ってください」
エイリッヒさんは、あたしにおろされたあと、そのまま地面に両手をつきました。
「……屈辱。このおれが、逆姫だっこ……」
「しょうがないじゃないですか。白薔薇ぁ、白薔薇ぁって、離れないんですから。吸盤みたいでしたよ」
「おまえなんか白薔薇なものか。ミニローズで充分だ。気品で、ぜんぜん劣ってるんだよ。怪力チビ娘」
「ああ、失礼な。ぷんぷん、ですよ。プンプン」
あたしは怒り心頭だったんですけど、リンデさんがポリポリほっぺをかいて言いました。
「エイリッヒ。シャルランのこと、もうおぼえたんだな」
エイリッヒさんは、あたしを見て、うなずきました。
「ああ。そういえば、記憶がなくなっても忘れてない」
そのあと、姫さまを見て、「これ、誰?」と言うので、姫さまには申しわけないけど、嬉しくなっちゃいました。
「怪力チビ娘はシャクですけど、おおらかな気持ちで暴言はゆるしてあげますですよ。だって、シャルランのこと、気になってるってことですもんね」
「ふん。男のプライドを根こそぎ破壊していくような強烈な個性の持ちぬし、忘れたくても忘れられないんだよ」
「なんですか、それ。ふたたび、むっとしましたよ」
「むっして、けっこう。怪力チビ娘。ミニミニミニローズ。つぼみが小さすぎて花に見えん」
「くうっ。くやしいです。今度は肩にかつぎあげてやるですよ」
あきれて、リンデさんが口をはさみました。
「おまえら、仲がいいのはいいけど、早く逃げるぞ」
あたしとエイリッヒさんは思わず、同時にふりかえり、声をそろえました。
「仲よくない!」
「仲よくない!」
はあはあ……気をとりなおして。
あたしたちは小さな森くらいはある庭園のなかを、城壁のほうへむかいました。
その道すじのことです。
庭木から庭木へ、見張りの目をかいくぐりながら走っていきます。
あまりの暗さに、あたしは木の根っこにつまずいて、思いっきり、ころんでしまいました。
ああ……お洋服も顔もドロだらけ。
ここぞと、エイリッヒさんに笑われてしまいました。
「ドジだな。ミニローズ。ほら、使え。いちおう女だろ」
ハンカチをさしだしてきます。
今さら優しくしたって、ゆるさないんですからね。でも、ちょっと嬉しいけど。
「気をつけろよ。シャルラン。足くじいたら、シャレになんないぞ」と、リンデさん。
「すみません。でも、ここに根っこが。急に、根っこーー」
それは、根っこではありませんでした。
う……ウソですよね?
なんか、人の足に見えるんですけど……。
「きゃあッ。人間でした! 人の足です!」
木のかげに、女の人が倒れています。キレイなドレスの胸には、深々とナイフが……。
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