二章 伝説と予言の青い薔薇、そして殺人鬼(前編)




「さ、ご主人さま。夜ですよぉ。こんな窓辺で寝てると、風邪ひいちゃいますよ。ちゃんとベッドに入りましょうねぇ」

 家中の掃除を終えて、シャルランが居間に行くと、ご主人さまは、どことなく、憂鬱ゆううつそうでした。


「ご主人さま。どうしました? 風が冷たかったですか?」

 ご主人さまは首をふって、ふっと、ため息。

「なんでもないよ。ちょっ昔、母さんから聞いた話を思いだしただけ」


 ああ、あの白薔薇と赤薔薇のお話。

 ミダスのあいだに古くから伝わる昔話なんだそうです。


「そんな悲しいこと考えてるから、気持ちが暗くなっちゃうんですよぉ。このさい、人形造りに励んだら、いい気分転換になるんじゃないですか?

 お姫さまのお人形、リスとかイタチとか、人前に出てこないような森の動物にしたら、どうでしょう」

「お姫さまの人形か……」

「あいにく姫さまから、お望みの人形は聞きだせなかったんですけど、王さまからは、よくよく頼まれましたです」

「ふうん。ウソじゃなかったんだ」

「だからね。もう魔女狩りじゃないんですよ。すごくかわいそうなお話なんですよ。ご主人さま、聞いちゃいます?」


 姫さまが小さいときにお母さまを亡くしたことを話しますと、ご主人さまは泣きだしてしまいました。

 ご主人さまも子どものころに、目の前でお母さまを人間に殺されたので、こういう話には弱いのです。


「かわいそうに。そうだったのか。母上が亡くなられて……そんな姫をなぐさめるために、王さまは人形をーーああ、なんて悲しくも美しい話。そういうことなら、姫のために、心をこめて造ります。でも、やっぱり、姫さまの望みの人形がいいですね」


 泣かせちゃって、ごめんなさい。

 でも、やる気になってくれたのは嬉しいです。


「じゃあ、明日いっしょにお城へ行って、お姫さまに会いましょう」

「うん」


 というわけで、この日は休むことにしました。




 *



 真夜中ーー

 ビュリオラは寝室で一人、何度も寝返りをうっていた。

 どうも寝つきが悪い。

 花の精とはいえ、肉体的には、ほとんど人間と変わらないので、睡眠は必要だ。いつもなら、とっくに眠っている時間なのだが、今日は夕方にまどろんでしまったせいだろうか?


 いや、違う。原因はわかっている。気になっているのだ。

 シャルランの話していた男。

 兄かもしれない男が、この町にいる。


(兄……何千年も、ずっと一人だと思っていた。今さら、一人でないと言われても……)


 あまり、嬉しくない。

 人間なら喜ぶのだろう。

 ミダスだって、これがビュリオラ以外なら、きっと泣いて喜んだはずだ。

 それどころか、仲間が全滅したと思っていたミダスのほうが、人間より何倍も喜びは大きいはず。


 ビュリオラが喜べないのは、彼が青い薔薇だからだ。


 ミダスは人間に近い肉体だが、異なる点もいくつかある。

 食事がいらず、水を飲んで光合成をおこなうこと。

 何万年という長い寿命を持つこと。

 外見上の性別はあるが、機能的には男女両性をそなえていること。


 そして、魔法だ。

 とくに記憶を結晶化する魔法は、精霊のなかでもミダスしか使えない。


 精霊は、どの種族でも、肉体が滅んだあと、魂は転生する。

 ミダスは死ぬ前にとりだしておいた記憶の結晶を、新しい肉体を生むための核とすることで、前世の記憶を受け継いできた。

 だが、それも人間たちに狩られて記憶の受け継ぎができなくなってからは、耐えて久しい。


 ビュリオラが生まれたときには、もう一族の数は、十数人にまで減っていた。それも繁殖が可能なほど若かったのは、父と母だけ。

 だから、父と母は長老たちの取り決めで、一族の存続のために、愛もなく結婚した。

 兄が誕生したあと、両親は人間につかまり、一族と離ればなれになった。

 そのあと、ビュリオラが生まれた。

 両親は、けっきょく、人間に殺された。

 そのため、ビュリオラは兄の顔を知らない。


(当時、生き残っていたほかの一族は、全員、年よりだった。あれから数千年たった今でも生きてる可能性があるのは、兄だけだ)


 同じ父母のあいだに生まれた兄弟。

 それも、世界中で、たった二人だけの種族の片割れだ。

 ビュリオラだって、会いたくないわけじゃない。

 でも、母は生前、言っていた。

 あなたは禁断の青い薔薇だから、決して一族に会ってはいけないと。会えば、きっと、うとまれるだろうと。


 禁断の青い薔薇ーー

 それは一族が、まだ花の姿のまま、大地にしばられていたころの伝説だ。白い薔薇、赤い薔薇の話に付属する、事後談のようなものだ。


 何億年も昔。

 一族が純粋に花の化身だったころ。

 花の精たちは、とても不自由な暮らしをしていた。

 愛する人にも、自分で愛を告げにいくことができない。

 それが理由で、白い薔薇と赤い薔薇の悲劇が起こった。


 そこに生まれてきたのが、青い薔薇の精だ。

 青い薔薇は生まれつき、自分の足で歩くことができた。その力をすべての花の精にわけあたえたので、花の精たちは、今のように人型になって動きまわることができるようになった。

 そういう伝説である。


 だが、この伝説には続きがある。

 ふたたび青い薔薇が誕生したとき、一族はこの力を失い、太古のように大地にしばりつけられるであろう、という予言だ。

 ミダスたちは青い薔薇を忌みきらい、彼が死んだとき、転生しないよう、その存在を封印したのだという。


 だからこそ、自然界に青い薔薇は存在しない。

 花の精たちが、地上にその花が咲くことを禁じたから。

 でも、ビュリオラは生まれてしまった。

 一族の多くが死に絶えたのち、最後の一人として。

 まるで予言の遂行者のように、一族の歴史の最後に、ひっそりと誕生した。


「ビュリオラ。あなたが予言のように、ほんとに、わたしたちから自由をうばう者なのかどうかは、わからない。ですが、一族に会えば、きっと、あなたは伝説の青い薔薇のように封印されてしまう。あなたは誰とも会ってはいけません。たとえ、それが実の兄でも」

 くりかえし言い聞かせられた母の言葉が、脳裏によみがえる。


 僕は生まれてはいけない存在だった。

 そう思うことは、さほど、つらくはなかった。

 一族に決定的な破滅をもたらす予言の薔薇であったとしても、その対象となる一族じたいが、この世のどこにも存在しなかったのだから。


 ビュリオラは、ただの一族最後の生き残りにすぎなかった。

 予言が遂行されたとき、不自由を強いられるのは、自分自身でしかなかった。

 これまでは……。


(兄がいる……兄が、生きている。僕はその人から、自分の足で歩き、愛する人と抱きしめあう自由をうばってしまうんだろうか?)


 もしそうなら、死にたい。

 このまま予言の実行のときへと運命にいざなわれ、生かされるのは、つらすぎる。

 血のつながる兄を傷つけ、苦しめてまで、ビュリオラは自分だけ幸福でありたくはなかった。


(この町を出よう)


 兄と会わなければいいのだ。会いさえしなければ、兄の身に不幸をもたらすこともないだろう。

 薔薇の花の咲きみだれるこの都は、ビュリオラにとって心のなごむ楽園だったが、しかたあるまい。

 姫さまの人形を造ったら、どこか遠くの国へ旅立とう。


 そう考えていると、窓辺で、ふわりとカーテンが動いた。

 見ると、黒猫だ。

 窓からとびこんできて、室内を見まわしている。

 ビュリオラがベッドをおりて近づいても、いっこうに逃げようとしない。どこかの飼い猫か?


「迷子かい? ここは君のうちじゃないよ。お帰り」と言っても、出ていくどころか、すりよってくる。

「こまった子だね。猫語は話せないからなぁ。植物の声は聞けるけど」


 おなかがすいているのだろうか?

 ビュリオラは水以外の飲食が必要ないが、シャルランが自分用にミルクくらいは買っているはずだ。

 ビュリオラは猫を抱きあげ、階下のキッチンへ行こうとした。ところが、ろうかに出たとたん、黒猫はビュリオラの腕をとびおりて、走っていく。


「あ、こら。ダメだよ。そっちは、シャルランの部屋だ」


 シャルランの眠っているところは、誰にも見られるわけにはいかない。

 まあ、相手は猫だが、室内であばれられても困る。

 シャルランの部屋の扉に、カリカリと爪をたてる黒猫を、ビュリオラは抱きあげた。

 黒猫は妙に無念そうな目で、ビュリオラを見あげてきた。


「変な子だなぁ。猫にしては、いやに人間くさい目つきをするね」

 おでこを指さきでなでると、迷惑そうに、ニャーンと鳴いた。


 ビュリオラは猫を自室につれかえり、窓から外に出した。

「お帰り。バイバイ」

 屋根の上で、黒猫は、じっと、こっちを見ている。

 しかし、ビュリオラが窓をしめると、あきらめたようだ。しかたなさそうに屋根から塀にとびうつっていった。




 *



 塀をとびおり街路へおりたところで、リンデは人型にもどった。

 匂いをたどって、エイリッヒのあとを追ってきたが、どうやら、あの屋敷にエイリッヒはいないようだ。


(エイリッヒはあの小娘を尾行して、ここまで来たみたいだな)


 気がかりだ。

 断崖の塔を出ていったときのようすが、いつにも増して変だった。

 同じ太古の精霊の血をひく生き残りとして、エイリッヒはリンデの数少ない友人だ。やはり、ぶじでいてほしい。


 太古、この星を治めていたのは精霊だった。

 羽のある精霊の王が、すべての精霊たちをしたがえ、おだやかで争いのない世界をきずいていた。

 しかし、人間がこの世に現れてから、精霊の数は減るばかりだ。ことに中世、魔女狩りの時代に、多くの仲間が惨殺された。


 獣に姿を変えることのできるリンデ(リンデは猫、狼、カラス、コウモリの四種に変身できる)の一族は、狼男とかヴァンパイアだとか言われて、杭で打たれたり、銀の銃弾で撃ち殺された。

 リンデも銃弾に倒れ、あやうく死にかけているところを、エイリッヒに助けられた。それが二百年ほど前。


 エイリッヒはリンデの同族ではない。

 ただ、リンデと同じように精霊の血をひく何かだということは、匂いでわかった。

 はっきりと何の種族かわからないのは、エイリッヒ自身が、自分が何者であったか忘れてしまっているからだろう。


 おそらく、エイリッヒは、かつて禁を犯したのだ。

 それによって受けた報いが、あんなふうに彼をそこなっているのだ。


 薔薇の香りによって一時的に記憶をとりもどすことは、リンデも知っている。

 だが、それがエイリッヒにとって、いいことなのかどうか、わからない。かつての記憶をとりもどしているときの彼は、とても、つらそうだから。


(小娘のことが気になってるみたいだったからなぁ。おかしなことになってるんじゃないかと思って来てみれば……おどろいた。まさか、ここにも精霊がいるなんて)


 さっきの青い髪の少年。

 あれは、あきらかに精霊だ。

 それも、花の精。

 とてもいい香りがしていた。

 甘くてエレガントな薔薇の香り。

 花の精はユニセックスなのが多く、みんな美しいと聞いてはいたが、そのとおりだった。あの少年も、男とも女ともとれるような美貌だった。


(エイリッヒに教えてやるべきだろうか? 残り少ない精霊の仲間が、おれたちのほかにもいたって。いや、もしかすると、エイリッヒはそれに気づいてたから、気にしてたのか?)


 とにかく、まずは、そのエイリッヒを見つけなければ。

 どうせまた、途中で記憶がなくなって、どこかで飲んでいるんだろう。


 エイリッヒの匂いをたどるために、リンデはまた猫の姿に変身した。このほうが人型でいるより嗅覚がするどくなる。

 ほんとは嗅覚で言うなら狼のほうが、より鋭敏だが、町なかを狼がうろついていれば、人間が大さわぎする。銃を持って追いまわされるハメになるだろう。


 猫の姿で鼻をヒクヒクさせると、エイリッヒの匂いは、だいぶ遠くからただよってきた。港あたりだ。

 思ったとおり、酔っぱらっているらしい。アルコールの匂いがまざっている。

 人間なら、とっくに肝臓を悪くして病気になっている酒量だ。精霊の浄化能力があるからこそ健康でいられるのだ。


(こまったやつだなぁ。いくら精霊だからって、浄化能力には限度があるんだからな)


 リンデはそのまま猫の姿で走っていった。

 港近くの、にぎやかな場所まで来た。

 ならぶ酒場から明かりがもれ、歌声や笑い声が聞こえてくる。

 エイリッヒはあの顔だから、どこへ行っても女の世話になって、それなりにうまくやっているらしい。心配はないと思うのだが。


(うん。このへんだな。匂いがする)

 リンデは匂いのする店に近づいて、戸口からなかをのぞいてみた。

 エイリッヒの姿はない。あるのは、残り香だけだ。

(なんだ。帰ったあとか?)


 匂いは裏口のほうへ続いている。

 リンデは店内に侵入し、酔っぱらいたちの足元をすりぬけた。


「あ、なんだい。ノラ猫め。しッしッ」

 店の女が、さも汚ならしそうに手をふってくる。

 バカやろう。おれはノラ猫じゃねえよ。由緒正しい狼族の六十三代めだ。

 もっとも、迫害をさけて、このところ狼に化けることは、めったにないが。


 酒場の女の攻撃をかわして、裏口から外へかけだした。

 細い路地が続いている。

 エイリッヒの匂いが強くなった。

 しかし、そのときだ。

 どこからか、女のうめき声が聞こえた。

 同時に濃い血の匂いがした。


 リンデは急いだ。

 月明かりもとどかない暗い街路。

 人影が一つ立っている。エイリッヒだ。


 リンデは見た。

 エイリッヒの手に、血にぬれたナイフがにぎられているのを。その足元には、女の死体がーー

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