第44話
気付けば、キュレウは森の中にいた。
辺りは薄暗く、うっすらと霧がかかっている。
「ここは……?」
辺りを見回しながら、キュレウは目を細める。
見たことのない木々が立ち並び、狼の遠吠えがどこか遠くから聞こえてくる。
「わん!」
ふと、木陰から、子犬の鳴き声が聞こえてきて、キュレウは視線を向けた。
そこには、灰色の子犬……いや、子狼が尻尾を振りながら、キュレウを見つめていた。
「あなたは……?」
「わうっ!」
子狼は、キュレウの足元をちょろちょろと駆けまわると、背を向けて、木々の中へと飛び込んでいった。
「待って!」
キュレウは、子狼を追いかけて木々の中へと飛び込んだ。
子狼は、キュレウを置いていくつもりはないのか、キュレウが見失わないよう、時々立ち止まって後ろを見ては、駆けて行く。
不意に、子狼が立ち止まった。キュレウが子狼に追い付くと同時、血の匂いがキュレウの鼻を突いた。
子狼が目を向けている所に、気に背を預けるようにして座り込む男が居た。
男は死んでいた。
狼に、食い散らされて。
もはや、顔の判別も付かない。片腕はもげ、足は既に無い。
男を食っていた、ガリガリに痩せた狼は、キュレウを見ると、睨むように目を細め、何処かへと去っていった。
キュレウは、呆然と男を見つめながら、男の元へと歩み寄り、その死骸を見下ろした。
「この、人は……」
「俺だよ。」
灰犬のその言葉に、キュレウはハッと目を見開いて振り向いた。
灰犬は、木にもたれかかりながら、顔を伏せて言った。
「俺は、末期がんになって、それで、誰もいない所で死ぬことを選んだんだ。
親は既に先立って居なかった。仕事仲間は居たけど、迷惑をかけたいと思えるほど仲良くもなかったし、親しい友達も居なかった。
ずっと、逃げていたんだ。人付き合いとの面倒さから。」
そう言って、灰犬は鼻を鳴らした。
「そんな奴の末路が、この様さ。
ちっぽけでつまらないプライドを守る為に、誰にも頼らず独りぼっちで死んで、狼の餌になった。まぁ、お似合いの最期だね。」
灰犬はそう言って、笑みを浮かべると、顔を上げた。
「俺が、『飢狼刀』と『怒狼刀』に選ばれたのは、子狼の死骸を食ったばかりじゃなかった。誰も居ない所で死に、狼に食われた。
そういう、強い縁があったんだろうね。狼と。だから、俺だった。」
「……あなたは、勇者……いえ。勇者のいる異世界で死んで生まれ変わった、転生者だったのね。」
キュレウの言葉に、灰犬は頷いた。
「そう。驚いた……いや、それほどでもなさそうだね。」
「ええ、まぁ……どこか勇者と似通った所があったり、私の知らない言葉を話したり。何度か、そうなんじゃないかって思ってたの。
一度もそういう事は話さなかったから、言われたくない事だと思ってたのだけど……」
キュレウのその言葉に、灰犬は自嘲気に笑った。
「まぁ、ね。別に辛かった記憶だったとか、言い辛かったとか、そういう事じゃないんだ。ただ、話すにはあまりにも下らなさ過ぎて、つまらない俺の過去だったから、言いたくなかったんだよ。」
どこか遠くを見るように、キュレウから目を逸らした灰犬に、キュレウは息を吐いた。
「後悔してたのね。」
「そう、かもしれないね。」
「だから、あんなに色々なものを背負いたがったの?」
そんなキュレウの問いに、灰犬はキュレウにゆっくりと顔を向けた。
「……それは、俺にも分からない。あの、子狼の望みだったのか、俺の後悔からくるものだったのか、それとも……」
灰犬は、そこまで言って、首を振った。
「いや。きっと、全部なんだろうさ。それでも、背負う事を望んだのは俺だ。それだけは、後悔していない。」
そう言って、口元に笑みを浮かべた灰犬に、キュレウは肩の力を抜いて、微笑んだ。
「そ。なら、いいんじゃない?」
キュレウがそう言うと、木々の間から子狼が飛び出してきて、尻尾を振りながら、灰犬の足にじゃれついた。
灰犬は、優しい笑みを浮かべ、子狼を両手で持ち上げて抱えると、舌を出して灰犬を見る子狼と視線を合わせた。
「お母さんとお父さんに会えて、良かったな。」
「わんわんっ」
子狼は、嬉しそうに灰犬の顔を舐め回す。灰犬は片目を閉じ、苦笑しながらなすがままになっていた。
子狼が満足して灰犬の顔を舐めるのを止めると、灰犬は、自分の鼻を舐める子狼を地面に降ろした。
「さぁ、自分の家族の元へと行くといい。きっと、お前を待っているぞ。」
「くぅーん?」
灰犬の言葉に、子狼は小首を傾げた。
すると、背後の木々から、白い狼と黒い狼が現れた。
「何を言っているのかしら、この子は。あなたも、私達の家族でしょう?」
「そうだ。我が子として、そして兄として、弟を導き、我らの元へと帰ってきたのだ。
流石は我らの子だ。狂牙狼として、忌まわしきドワーフ共を屠る様は、立派だったぞ。」
二匹のその言葉に、灰犬は振り返って、目を見開いた。
灰犬は、緩く尻尾を振りながら、獣耳の裏を掻いた。
「……いいのかな、俺が、あなた達の子になっても。」
照れくさそうにそう言う灰犬に、二匹は顔を見合わせると、可笑しそうに笑った。
「いいも何も、既にあなたは私達の子よ。」
「そうだぞ。何も、遠慮する事はない。」
二匹の優しい言葉に、同調するように子狼が鳴くのを聞いて、灰犬は何かを堪えるように瞑目した。
自分でも把握しきれない様々な感情が溢れ、灰犬は暫く目を開けることができなかった。
親などいなくても、平気だと思っていた。この世界に生まれてから、親と呼べる存在は居なかったけれど、自分には前世で親に愛してもらった記憶があるから、と。
本当は、寂しかったのかもしれない。守るべき存在は居れど、守ってくれるような存在は居なかった。
灰犬は、目を開けると、うっすらと目元に浮かんでいた涙を拭い、笑みを浮かべて言った。
「そうだね……ただいま、お母さん、お父さん。」
灰犬の言葉に、二匹の狼は、嬉しそうに鳴いた。
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