第43話
通った影の先には、まさに今、崩壊していく国が広がっていた。
あちこちで火の手が上がり、逃げ惑う人々で溢れている。
崩壊した砦、粉々に破壊された大砲、真っ黒な煙を上げる撃破された戦車、バラバラに粉砕された建物……
キュレウには、大砲は大きな鉄の筒にしか見えなかったし、戦車は大きな鉄の箱にしか見えなかったが、それが何らかの兵器であることは分かった。
思わず唇を噛みしめるキュレウだが、辺りを見ている内に、不思議と、血を流す人や大怪我している人は居ても、ピクリとも動かない人は居ないことに気付いた。
怪我している子供もいないし、兵士であろう人も、武器を捨てて蹲っている人は怪我をしてもいない。怪我しているのは、武装していたり、何らかの武器を持っていたりしている者だけだった。
キュレウは、内心で、灰犬に傷つけられた人々に悪いと思いつつも、ほっとした。―――灰犬はまだ、どこかに行っていない。
そんなキュレウの耳に、轟く雷の音が聞こえて、キュレウは雷が鳴った方へと、ハッと目を向けた。
そこには、崩れた王城の上で、牙を剥いて唸る銀色の狼……灰犬が居た。灰犬の首には、今まで付いていた首輪の代わりと言わんばかりに、煤で汚れたような包帯が巻き付けられている。灰犬の赤黒い瞳の先には、王冠を被ったドワーフの老人と、その腕の中に居る幼い娘がいた。
灰犬が、牙の生え揃った口を開けた。それを見た途端、キュレウは、『悪魔の機械弓』を上に放り投げると、素早く『悪魔の短弓』を構えて矢をつがえ、手がブレて見える程の速さで何本もの矢を放った。
何十本という矢が、灰犬に突き刺さる。が、傷口から光の粒が出てくると、刺さった矢がひとりでに抜け、あっという間に元に戻ってしまった。
その光景に、キュレウは違和感を覚えた。自分でも何に違和感を覚えたのかは分からないが、でも、確かな違和感を覚えたのだ。
灰犬が、キュレウを見た。まるで、「やっと来たか」とでも言わんばかりの眼差しだった。キュレウは、『悪魔の短弓』を腰に戻し、落下してきた『悪魔の機械弓』を掴むと、灰犬に向けて構えた。
「これ以上は、やらせないわ。覚悟しなさい、灰犬。」
威嚇の遠吠えを放つ灰犬に、悪魔の弓が怯えたように震えた。
『ち、違う……!こんなの、人間じゃないぃ……!』
『何よこれ、何よこれ!?化け物?違う、こんなの違う!』
『これが、狂呪具を染めた者……?想像以上、これはもはや、別物の何かです……!』
飛びかかってくる灰犬を、キュレウは風の魔術の補助を借りながら避け、恐れ慄く悪魔の弓に怒鳴った。
「泣きごと言ってんじゃないわよ!やるっていったらやるの!
あいつが化け物だろうが狂呪具だろうがそれ以外の何かであろうが、関係無いわ!あいつは灰犬なのよ!だったら、絶対に止める!いや、止めてみせる!」
キュレウは、『悪魔の機械弓』で、灰犬の目を狙い撃つ。解き放たれた矢は、まっすぐに灰犬の片目へと飛んでいったが、灰犬は絶対に当たる筈の矢を、噛み砕いて能力ごと破壊した。
『うわー、マジですかー。
……これは無いです。反則です。』
呆然と言う『悪魔の機械弓』の声を聞き流しながら、キュレウは『悪魔の機械弓』を放り捨て、背から『悪魔の複合弓』を外して矢をつがえ、構えた。
「だったら、これはどうよ!」
巨大な『悪魔の複合弓』から放たれた矢は、唸りを伴って灰犬へと飛んでいく。
灰犬は、矢が届かぬ内に牙の生え揃った口を開いた。それを見たキュレウの脳裏に、警鐘が鳴り響く。キュレウがとっさに横に跳んだと同時、灰犬は空を噛み千切った。
その瞬間、灰犬の前方数十メートルの空間が『無くなった』。文字通り、光も、空気も、熱も、全てが消失した。
振り返って見たキュレウの視界には、まるでスプーンで抉り取られたかのように、円筒状に何もない闇の空間があった。
『……うっそでしょ、何よこれ……』
空気や光が戻り始めた空間を見ながら、キュレウは『悪魔の複合弓』の声と同じ事を思った。
それでも、キュレウは諦めるつもりはさらさら無かった。ここで諦めるくらいなら、ここには来ていない。
強い意思を込めた瞳を、まっすぐに灰犬に向けるキュレウの手に、放り捨てられた『悪魔の機械弓』がひとりでに戻ってきた。
『酷いですよ、捨てるだなんて。』
そう言う『悪魔の機械弓』を、キュレウは握りしめた。
「あなた、自分で戻って来れるのなら、ハンドルも回せるわよね?」
『ええ、できますが……?』
「だったら自分で回して矢をつがえて。終わったら、私に声をかけて。」
そう言うや、キュルキュルとひとりでに高速で回り始めた『悪魔の機械弓』のハンドルに目もくれず、キュレウは魔術を放ち、灰犬の上空に大量の水を生み出した。
避けようと四肢に力を込める灰犬に、キュレウは続けて魔術を使い、灰犬を囲むように強風を当て、一瞬だけ動きを止めた。
灰犬の全身に、大量の水が降りかかる。ずぶ濡れになった灰犬は、時折身体に走っていた電撃が漏電してしまうようになった為、電撃を止め、水を振り飛ばそうと全身を震わせた。
その時、『悪魔の機械弓』が声を上げた。
『終わりました。』
「分かったわ。
皆、行くわよ……!」
キュレウは、『悪魔の機械弓』を影の中に落とし、『悪魔の短弓』を構え、灰犬を見据えた。
(絶対に、止めてみせる……!)
キュレウは、真剣な眼差しで灰犬を射抜き、矢をつがえた。
キュレウの意思に、灰犬が反応して、灰犬が顔を上げた。
その瞬間、キュレウは『悪魔の短弓』で、灰犬の全身に浴びせるように大量の矢を放った。
灰犬は避けようと四肢に力を込めたが、足元がぬかるんで避けることができなかった。
灰犬の全身に、大量の矢が突き刺さる。
このままだと、さっきのように再生してしまうが、キュレウは『悪魔の短弓』を影の中に落とし、入れ替わるように跳び上がってきた『悪魔の機械弓』を掴んで構えると、灰犬に狙いを付け……
上空に向けて、矢を放った。
だが、灰犬は、それだけでキュレウの狙いを察したのだろう。矢が抜け、傷が再生するのを待つこともなく、動こうとした。
「させないに決まっているでしょう!!」
キュレウはそう叫び、背から『悪魔の複合弓』を取り出したが、その時には灰犬は移動できる体勢になっていた。
それでもキュレウは諦めない。歯を食いしばりながら、『悪魔の複合弓』を構えようと必死に手を動かす。
と、その時、灰犬の片方の前足が、一瞬黒くなった。力が大地に伝わった瞬間、その前足が地を滑る。
キュレウが、弓を構え、狙いを付けた。
時が止まった。そう、思える程の緊張感。
キュレウの手が震える。灰犬の、赤黒い目が、こちらを見つめていた。
矢を持つキュレウの手に、誰かが手を添えた。
「が、頑張ってください~!」
「ここまで来たのよ、絶対にできるわ!」
「あなたに、この一矢を託します。」
キュレウの背後から、そんな声が聞こえる。キュレウの手の震えが、少し収まった。
「キュレウ。」
聞き覚えのある、親友の声に、キュレウは目を見開いて視線を向けた。
キュレウと一緒に弦を引くような姿勢で、ノワールは、にっこりと笑った。
気付けば、キュレウの手の震えは消えていた。
キュレウは、まっすぐに灰犬を見つめる。灰犬は、『悪魔の複合弓』から放たれる矢を消失させるつもりなのだろう、口を開けていた。
だが、キュレウは、不思議と矢が届くと確信していた。
キュレウの黒い絵が描かれている手が、真っ黒に染まり、そこから矢へと移る。
「届けえぇぇっ!!」
『悪魔の複合弓』から放たれた真っ黒な矢は、灰犬に向かって飛んでいく。
まるで予定調和のように、灰犬は開いた口を閉じ、空間を喰らった。
また、空間が消失する。しかし、何も無くなった筈の真っ暗な無から、真っ黒な矢が飛び出してきた。
目を剥き、慌てて灰犬は矢を噛み砕いて破壊した。
しかし、その代償は大きかった。灰犬が矢を噛み砕いて破壊している内に、『悪魔の機械弓』で放たれた、絶対に当たる矢が上空で進路を変えて灰犬に迫っていたのだ。
体勢を崩していた灰犬が矢を避ける間もなく、灰犬の首の脊髄に矢が深々と突き刺さった。
目を見開き、完全に動きを止める灰犬。
「お願い、『蠢く眼差し』、『減らないお菓子』!」
キュレウはそう叫び、自分の影から沢山の笑い声と共に伸びてきた無数の手に体を預けた。
悍ましい暗黒の影の中を通り、キュレウは灰犬の影から飛び出す。キュレウの手には、『減らないお菓子』の大きな飴玉が握られていた。
「これで、終わりよ!」
灰犬の口の中、その喉奥に、飴玉を放り入れる。そのタイミングで、灰犬に刺さっていた矢が、光の粒の放出と共に抜けた。
灰犬の硬直が解け、飴玉を嚥下する。
その瞬間、銀色の光が弾け、キュレウの視界が真っ白になった。
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