第29話

 ノワールの席のテーブルの前に、ジュウジュウと美味しそうな音を立てるステーキが乗った皿が置かれた。


「わぁ、おいしそうです~!

 ……本当にいいんですか、キュレウさん?」


 ノワールの声に、キュレウは笑いながら頷いた。


「いいのよ、スデープのお金だし。気にしないで。」

「でも、キュレウさんも子犬さんも、食べないって……」


 そう言って、一人、壁を背にじっと佇む灰犬を見るノワールに、キュレウは苦笑した。


「私は、そんなにお腹空いてないし、それにほら、エルフ族って、お肉苦手なのよ。

 灰犬は……あいつなりに、気を遣っているんでしょうね。」

「気を、遣っている?」


 そう言って、首を傾げるノワールを見ながら、キュレウは目を細めた。


 男が立ち去った後、灰犬は、ギルドにいた冒険者達に謝罪し、騒がせたお詫びとして酒を奢ると言った。

 その灰犬の言葉に、さっきまで静まり返っていた冒険者達は一転して喜び、ギルドに併設されている酒場でどんちゃん騒ぎをし始めたのだ。


 灰犬は、その後、冒険者の一人に何事かを話した後、壁際に行って寄りかかり、そのまま動かなくなってしまった。

 そんな灰犬を見て、キュレウは溜息を吐いた。


「自分がいると、雰囲気を壊してしまうとか、そんなことでも考えているんでしょうね。」

「そんな……」


 悲し気な表情を見せるノワールに、キュレウは首を振った。


「狂呪具が人々から恐れられているように、それを扱う適正者も恐れられているわ。

 適正者には、貴族並の階級が与えられているけれど、その理由は、狂呪具の暴走を防いでいるという功績の他にも、その力を人に向けないでほしいっていう意思も込められているのよ。」


 キュレウのその言葉に、ノワールは持っていたフォークとナイフを、思わずテーブルに置いた。


「それは……私も、そうなのでしょうか……」

「あなたは違うでしょ?」


 ノワールの呟きに、キュレウは即答した。目を丸くするノワールに、キュレウは苦笑する。


「灰犬や狂呪具が恐れられているのは、あっさりと人を殺すからよ。

 そりゃぁ、灰犬は理由の無い殺人は犯さないけど……でも、さっきみたいに、理由があれば躊躇いもなく人を殺せるわ。

 でも、ノワールは違うでしょう?あなたは狂呪具としての能力の影響をできるだけ他人に与えないようにしている。

 だから、あなたは恐れられる必要も、恐れる必要も無いのよ。」


 そう言って微笑むキュレウに、ノワールは目元が熱くなって、思わず俯いた。

 狂呪具の能力を持っているノワールを、知って受け入れてくれる人は今までにいなかった。居ても、それは能力の影響で魅了された人だけだ。

 嬉しかった。初めて、自分が認められたような気がして。

 ノワールは、バッと顔を上げると、キュレウに顔を寄せた。


「あ、あの!」


 顔を寄せてきたノワールに、キュレウは驚いたように目を瞬いたが、笑みを浮かべて言った。


「なにかしら?」

「あの、私と、友達になってください!」


 そう言って、ギュッと目を閉じるノワールに、キュレウはくすくすと笑った。


「いいわよ……というか、もう、友達のつもりだったのだけどね?」


 ウインクしながらそう言うキュレウに、ノワールは花が咲くような笑みを浮かべた。


「呼び捨てで、呼んでもいいですか!?」

「勿論。」

「キュ、キュレウ!」

「ふふ……なに?」


 目を細めて微笑むキュレウに、ノワールはへにょりとした笑みを浮かべた。


「え、えっと、呼んでみただけです!えへへ……」

「何よそれ。」


 そう言って、笑い合う二人に、聞き耳を立てていた灰犬が小さく「新婚の夫婦か」と呟いて噴き出した。

 笑っているノワールの元に、女性の冒険者が訪ねてきた。


「あの……そちらの適正者から、あなたに冒険の話をして欲しいと、頼まれた者なんですが……」


 そう言って、灰犬を指す女性に、ノワールとキュレウは驚いて灰犬を見た。

 灰犬は、獣耳をこちらに向けていたが、目は向けなかった。

 キュレウが、溜息を吐いた。


「あいつ、かっこつけちゃって……もしくは、これもお詫びのつもりなのかしら。」


 キュレウは灰犬を呆れたような目で見た後、女性に目を向けて微笑んだ。


「お願いできるかしら?それとも、エルフ族は居ない方がいい?」

「い、いいえぇ!こちらこそよろしくお願いします!」


 キュレウの笑みに、頬を赤らめて女性はそう言った。


 キュレウとノワールが冒険者の話に夢中になっている間。

 灰犬が冒険者ギルドから姿を消したのを、誰も知らなかった。





 灰犬に大斧を破壊された男が、人気のない裏路地で、蹲っていた孤児を蹴り飛ばしていた。


「くそ、くそ、くそ!」


 何もできない子供を容赦なく蹴り飛ばしながら、男は口泡を飛ばして怒鳴り散す。


「あのガキめ、舐めたマネをしやがって!ぜってぇ許さねぇ、ぶっ殺してやる!」


 顔を腫らし、呻く孤児を見下ろしながら、男はニヤリと笑った。


「そういえば、あそこに女が二人いたな。散々甚振ってから、犯して、女を餌にしてあのガキを釣るか……」


 真っ赤な顔から一転、顔をにやつかせながらげひた笑いを上げる男。

 不意に、男は背中に衝撃を感じた。


「ごっほ……」


 鋭い痛みが背中から胸に渡って走り、男は「何が」、と言おうとして、口から血を吐き出した。


「せっかく拾った命なのに。」


 背後から、男が最も憎い者の声がした。その声は、哀れみに満ちていた。


「お前が俺を殺そうとするだけなら、まだ良かった。まぁ、宣言通り、俺を殺しに来たら、お前を殺してやったが。少なくとも、今、死ぬことは無かった。

 だが、お前はキュレウとノワールまで巻き込んだ。もう、情けをかける余地も無い。」


 男が視線を下に向けると、そこには、赤い塊があった。それは、脈打ちながら、赤い液体を吐きだしている。

 いや、違う。

 それは、男の心臓だった。男の心臓が、胸から飛び出しているのだ。

 男の体から力が抜けていく。足から頭まで、熱が無くなっていく。


「さようなら。死ね。」


 灰犬のその言葉を最後に、心臓が握り潰された。

 男の目の前が、真っ暗になった。



 冒険者の女性から冒険譚を聞き、満足したノワールが女性に礼を言い、立ち上がった。

 キュレウも立ち上がり、ノワールを伴って出口へと向かう。

 出口付近に立っていた灰犬が、片眉を上げた。


「終わったかな?」

「ええ!子犬さん、ありがとうございました!」


 笑いながら、気にするなと手を振る灰犬に、キュレウも何か言おうと口を開いた。

 不意に、キュレウの鼻に、血と灰の匂いが突いた。

 キュレウは、思わず、灰犬の手を凝視した。灰犬の手には、何も付いていない。……爪の間、そこの、赤黒い汚れ以外は。


「灰犬……」


 キュレウは、眉根を寄せ、何かを言いかけたが、首を振って口を閉ざした。


「……ごめんなさい。あなたばっかりに。」

「……いや。適材適所だろ。気にするな。」

「でも……」


 目を逸らして言う灰犬の手を取りながら、キュレウは呟いた。


「私がいるのも、忘れないでよ。あなたが全部やる必要は、ないんだから。」


 灰犬の手を離し、冒険者ギルドの外で二人を待っているノワールの元へ、キュレウは歩き出した。

 灰犬は、瞑目しながら、呟いた。


「……お前に、こんなもの人殺しの業を背負わせられるかよ。」


 灰犬は、小さく息を吐き、薄く目を開いて、ノワールとキュレウの元へと歩いていった。

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