第28話

 ノワールが灰犬にリンゴを渡すと、申し訳なさそうに貰いながらも、嬉しそうにリンゴを口にする灰犬がいた。

 灰犬がリンゴを食べる様子をじっと見つめるノワール。ノワールが見ている前で、灰犬はリンゴを齧って、咀嚼して、飲み込んだ。

 ノワールは、びっくりして目を見開いた。齧るところはいい。何の異常もない。

 だが、咀嚼するところがおかしい。顎がぶれて見えたのだ。普通の人が一回噛むのに、灰犬は何十回も噛んでいる。

 どうりで早いわけだ、と、複雑そうな目でみるノワール。

 そんなノワールが見る前で、リンゴを齧っているキュレウが灰犬に問いかけた。


「いつも思うけど、何時の間に買ってくるのよ……」

「ん?買ったんじゃなくて、盗ったんだよ?」

「はぁっ!?」


 既にリンゴを食べ終えた灰犬が、首を傾げながらさも当然であるかの如く言うと、キュレウが目を剥いて灰犬を見た。

 キュレウはわなわなと拳を握り閉めると、柳眉を立てて灰犬に言った。


「あなた、お金はあったんでしょう!?なんで盗んだのよ!?」

「いや、面倒だなって……っていうか、お金も盗んだものだし、今さら……」

「どうせスデープの金だからどうでもいいのよ!」


 そうやって言い合う二人を見て、ノワールは二人が羨ましくなった。

 灰犬を羽交い締めにするキュレウを見ながら、ノワールはリンゴを齧る。自分も、あの輪の中に入ってみたい。そう、思いながら。



 翌日、ノワール一行は、冒険者ギルドという建物の前にいた。

 ノワールが来てみたいと言ったので来たのだが、ここに来るのは灰犬もキュレウも初めてだった。

 大して感心した様子もなくギルドを見る灰犬とキュレウとは対称に、ノワールは目を輝かせていた。


「ここが、世界を冒険する者達が集うという冒険者ギルド……!」

「いや、ただの何でも屋だった筈だけど。」


 ノワールの言葉に、灰犬が首を傾げながらそう言う。そんな灰犬の言葉に、ノワールはショックを受けたような顔で振り向いた。


「そ、そうなんですか……?」


 ノワールのがっかりした様子に、灰犬は思わず目を泳がせながら獣耳の裏を掻いた。


「いや、まぁ、世界を旅する奴らもいるらしいけど。でも、大概の奴らはそうだと思うよ。」


 罰が悪そうにそう言う灰犬に、キュレウが言葉を継いだ。


「元々は、未開の地や遺跡を探索したり、国を跨いで冒険する人々を補助する為に立ち上げられた組織だったそうよ。

 今は、灰犬の言った通り、何でも屋という面が強いみたいだけれど。」


 キュレウはそう言うと、ぱん、と、手を叩いた。


「入り口で立ち止まっていても、迷惑なだけよ。とりあえず入りましょう?」


 キュレウの言葉に、ノワールはこくりと頷いた。


 ギルドの中は、依頼を受ける為に冒険者達が集まってくる朝という時間帯のせいか、人でごった返していた。

 それでも、皆、灰犬とキュレウを見ると、そっと目を逸らして離れていく。自然と、灰犬達の周りには人がいない状態になっていた。

 そんな人々を見て、キュレウが眉根を寄せた。


「ちょっと、灰犬を見て離れるのは分かるけど、私を見て離れるのはどういう事よ!」

「触らぬ神に祟りなし。厄介者という俺を止めるための重要なストッパーだからだろうね。そりゃ、国がバックに居れば誰だって関わりたくないよ。」

「さわらぬかみに……?また、訳の分からない事を……あなたって偶に、そういう事言うわよね……

 ああでも、何となくあなたの言いたいことは分かったわ。つまり、灰犬のせいでこうなっているという事よ!」


 そう言って、灰犬の獣耳を引っ張るキュレウ。灰犬は、困ったような表情で、指をさした。


「離れてくれる方が、良かったと思うんだけど?」


 灰犬が指した方から、酒臭い息を吐く、がたいのいい男が人ごみを掻き分けて現れた。

 キュレウは、あからさまに顔を顰めて舌打ちしながら、さりげない動作でノワールを背に隠した。

 男が眉根を寄せて声を上げた。


「いつからここは、ガキのたまり場になったんだぁ?んん?」


 足を踏み鳴らし、どすの効いた声を上げながら、凄んで見せる男に、灰犬とキュレウは冷たい目を向けた。


「……あなたの言う通りね。離れてくれていた方が良かったわ。」

「でしょ?」


 目の前の男を無視して話すキュレウと灰犬を見て、男は額に青筋を浮かべた。


「このクソガキども、いい度胸だなぁ!」


 そう怒鳴り散し、背中に背負っていた両刃の大斧を男は抜いた。

 勿論、街中や建物の中で人に凶器を向ければ犯罪になるのだが、この男は酒が入っているせいで頭から抜けているのだろう。もしかしたら、分かっていてやっているのかもしれないが。

 そんな男を見て、灰犬の赤い目がギラリと光った。

 さっと反射的にナイフを抜こうとする灰犬を見て、キュレウが目を剥いた。


「まっず……!」


 灰犬は、理由の無い殺人は犯さないが、相手が凶器を抜いてきたり、明確な殺意を向けてきたりすると、子供以外は全員、殺す対象として見てしまう。

 そこに容赦はない。あの死んだ奴隷商人を刺客から守る日々の中で、身に沁みついてしまった嫌な癖だった。

 灰犬を止めたいが、しかしノワールから離れることもできず、まごつくキュレウの前で、灰犬がナイフを抜いて男に襲いかかろうとした。

 その時、ノワールが声を上げた。


「殺しちゃ駄目です!」


 ノワールの声に、灰犬がピクリと反応した。その隙を狙って、男がニヤリと笑い、大斧を振り下ろす。


「おらぁっ!」

「っ!」


 灰犬の頭を目掛けて振り下ろされる斧を見て、灰犬は冷静に前に飛び込んだ。

 男の武器の間合いの内に入りこむと、灰犬は大斧の柄を拳で打ち上げる。灰犬の凄まじい力で打ち上げられた大斧が、しなりながら天井に向かって飛んでいく。


「ぬおおおっ!?」


 思わず大斧を離した男は、打ち上げられた勢いのまま、もんどりを打って床に叩き付けられた。

 天井に向かって飛んでいった大斧は、天井には刺さらず、空中で止まった後、そのまま落ちてくる。

 灰犬は、落ちてくる大斧の刃を、全力で蹴り抜いた。灰犬の力で蹴られた斧の刃は、衝撃に耐えられず空中で粉々に割れてしまった。

 男の顔が、見た目が子供の灰犬にいいようにやられて、羞恥と怒りで真っ赤になった。


「このガ……」


 男が頭を起こしながらそこまで言った途端、ヒュッ、という風を切る音と共に、男の顔すれすれを何かが通り過ぎていった。

 男が恐る恐る振り返ると、そこには、床に刺さって震える矢が。

 矢を射った本人であるキュレウが、短弓を構えながら、冷たい目で見下ろした。


「次は、当てるわよ。」


 矢を弓に番え、弦を引き絞るキュレウを見て、男はキュレウが本気である事を悟った。

 灰犬が、片手でナイフを握りながら、尻餅をついている男の後ろに立った。


「斧を失った程度で済んだと思ってここを立ち去るか、それとも、抵抗して命を失うか。お前はどっちを選ぶ?

 本当だったら既に無かった命だ、ノワールに感謝するんだな。まぁ、次は無いが。」


 灰犬は冷たい声でそう言って、斧の柄を男の前の床に突き刺した。男は顔を真っ青にして、逃げるように黙って立ち去っていった。

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