第27話

 しばらく露店を巡り、置いてある品物を冷やかすと、ノワールはスケッチブックや絵の具が置かれている店に目を止めた。

 ノワールは、迷うような目で、背負った袋に手を振れ、しばらく店を見ていたが、未練を振りきるように首を振った。

 その一部始終を見ていた灰犬とキュレウは、互いに目を合わせると、フッと笑った。

 灰犬が、立ち去ろうとするノワールに声を掛けた。


「買いたい物があるなら、買ってあげるよ?」

「ほ、本当ですか!?いや、でも……」


 パッと顔を輝かせ、しかし表情を沈ませてそう言うノワールに、キュレウが手をひらひらと振りながら言った。


「気にしなくていいわ。どうせ、スデープのお金なんでしょう?」

「ご名答。」

「何がご名答よ。盗んできたんじゃないの!」


 即答する灰犬にそう言って、呆れたように肩を竦め、キュレウはノワールに微笑んだ。


「ま、そういう事よ。どうせ、奴隷を買い込むだけの金があるんだから、私達が使っても問題無いし、遠慮も要らないわ。

 むしろ使ってやりましょう。その方がいいわ。」


 そう言って、何度も頷くキュレウに、ノワールは、灰犬を見た。

 灰犬は、ノワールの視線に片眉を上げ、ニヤッと笑うと、頷いた。

 ノワールは、再び笑みを浮かべて、店の中に入っていった。


 真っ白な画用紙やスケッチブックを手に取り、吟味しているノワールに、キュレウが声をかけた。


「絵、描くの?」


 ノワールは、見つめていた画用紙から顔を上げると、キュレウに、はにかんで言った。


「はい。私、絵を描くのが趣味でして……その、数日前に、紙や絵の具の一部を切らして、困っていたんです。」

「へぇ……ねぇ、どんな絵を描くの?」


 キュレウの興味深そうに言ったその言葉に、ノワールはビクリと肩を震わせた。


「へっ!?え、ええとですね、人の絵です、はい!」


 明らかに動揺しているノワールに、キュレウが不思議そうに首を傾げた。


「……?まぁ、いいわ。

 人の絵、って事は、私の絵も描ける?」

「キュレウさんのですか?はい、描けますよ。」


 そう言ってから、ノワールは気後れしたように眉を下げた。


「えっと……いいんですか?描いても……」


 ノワールの遠慮がちなその声に、キュレウは目を瞬いた。


「いいって……いいに決まってるじゃない。」


 あっけらかんとそう言ってから、キュレウは何かを思い付いたように、手のひらに拳を落とした。


「そうだ、どうせなら灰犬も描きなさいよ。いいでしょ、灰犬?」

「勿論、いいよ。」


 そう言って笑う二人に、ノワールは呆然と口を開けた後、嬉しそうに笑みを浮かべ、拳を胸の前で握った。


「分かりました!全身全霊、全力を持って描かせていただきます!」


 ノワールは、張り切ってそう言った。


 買った画材を胸に抱え、スキップでもしそうなくらいに機嫌よく歩くノワールに、灰犬がリンゴを差し出した。


「あ、ありがとうございます。」


 リンゴを受け取ったノワールは、顔にかかっている薄布を少しだけ持ち上げ、リンゴを齧った。

 しゃくしゃくと、甘いリンゴを噛みながら、ふと、隣にいる灰犬を見ると、キュレウにもリンゴを渡している所だった。

 キュレウは、灰犬の手にリンゴが無いのを見るや、溜息を吐いて、リンゴを宙に放った。

 その瞬間、リンゴに見えない刃が走った。キュレウが行使した魔術の、風の刃だ。

 真っ二つに割れたリンゴをキャッチすると、キュレウは片方を灰犬に突き出した。


「ほら!」

「いやでも、俺には『減らないお菓子』が……」


 そう言って、『減らないお菓子』を取り出した灰犬だが、その皿の上には何も出なかった。

 まるで、キュレウの差し出したリンゴを受け取れとでも言わんばかりの『減らないお菓子』のその様子に、灰犬が目を丸くしていると、キュレウが勝ち誇った表情で半分に割れたリンゴを突き出した。

 灰犬は、肩を竦めると、『減らないお菓子』を懐に仕舞い、おずおずとリンゴを受け取った。


「ありがとう……」


 灰犬が尻尾を緩く振りながら礼を言うと、キュレウは鼻を鳴らしてそっぽを向き、リンゴを一口齧った。

 少しだけ頬を赤く染めるキュレウを見て、ノワールは、なんかそういうのいいな、と思った。

 そして、自分の持っているリンゴに目を落とした。

 ノワールは、リンゴを両手で持って、力を込める。だが、だぶついた袖越しだからなのか、単純にノワールの腕力が足りないせいか、リンゴはびくともしなかった。

 口をへの字にして、リンゴを睨み付けるノワールに、キュレウが声をかけた。


「どうしたのよ?食べないの?」

「い、いえ、その……半分に割ろうと思ったんですけど……」


 恥ずかしそうにそう言うノワールに、キュレウはくすりと笑った。


「あなたが気を遣う必要はないのよ?それはあなたのものなんだから。」

「そう、なんですけど……分け合うとか、そういうの、いいなって……」


 そう言って、リンゴを見つめるノワールに、キュレウは微笑んで、手を出した。

 ノワールが、顔を赤らめながらその手にリンゴを乗せると、キュレウは魔術を使ってリンゴを二等分にし、そしてその片方をもう二等分にした。

 キュレウは、四分の一になったリンゴを残し、残りを渡すと、ノワールに笑いかけた。


「私はもう持っているから、これで十分よ。あとの小さい方は、灰犬にでもくれてやりなさいな。」

「は、はい!ありがとうございます、キュレウさん!」


 キュレウに頭を下げ、ノワールは灰犬に顔を向けた。

 そこには、既にリンゴを食べ終えて、リンゴのヘタを齧っている灰犬が。


「……え?えっ?食べるの早くないですか!?」

「そう?いつもこんな感じよ、こいつ。」


 ヘタも食べて、ぺろりと唇を舐める灰犬を見ながら、ノワールは呆然と口を開けていたのだった。

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