第26話

 キュレウは、不思議な夢を見ていた。

 辺りの景色はぼやけて詳しく分からないが、キュレウは誰かと対峙していた。


 それは、灰色の子供だった。


 それは、白い女性だった。


 それは、黒い男性だった。


 それは、赤黒い瞳の狼だった。


 四つの姿があるのに、それは一人だった。

 その姿が、ノイズと共にぶれた。

 次の瞬間には、地面に、鞘に入った刀が立っていた。

 キュレウは、何の疑問もなく、その刀を手に取った。刀は、まるで生きているかのように、温かかった。

 鞘から刀を抜くと、そこには赤黒い刀身が現れた。


「灰犬?」


 キュレウは、確信と共にそう呟いた。この刀は、灰犬だと、何の疑いもなくそう思った。

 不意に、キュレウは、泣きたい程の悲しみに襲われた。

 キュレウは、刀を胸に掻き抱いた……





 ふと、キュレウは目が覚めた。


「……?」


 何か、変な夢を……それでいながら、大切な夢を見ていた気がして、キュレウは首を傾げた。


「うーん……」


 だが、思い出そうとしても、思い出せない。微睡みと共に、夢の名残は遠くへと消えていく。

 キュレウは、腕の中にある温かいものを抱き寄せ、顔を押し付けた。少しだけ獣臭いが、ふさふさで触り心地の良い何かが顔に当たる。


「んー……」


 微睡みに沈んで働かない頭のまま、キュレウは特に何も考えずに、灰色の柔らかいものをギュッと抱きしめた。


(……灰色?)


 そう思った瞬間、微睡みから意識が浮上して、ぱっちりとキュレウの目が覚めた。

 鼻が付くんじゃないか、というくらいの距離の目の前に、灰犬の頭があった。キュレウの目の前で、ペタンと伏せられていた獣耳が、キュレウの方を向き、キュレウの視界いっぱいに灰犬の顔が映し出された。


「やぁ、おはよう。」


 灰犬は、腐った魚の目のような、死んだような遠い目で、笑って言った。



 ノワールは目を覚ますと、ぐっと背伸びをした。


「うう~ん、良く寝ました。こんなにぐっすり眠れたのはいつ以来でしょう……」

「おはよう、ノワール。」

「おはようございます、子犬さ……どうしたんですかその顔!?」


 ノワールは、頬に大きな赤い紅葉の痕が付いた灰犬を見て、笑顔だったその顔を、驚愕に染めた。

 灰犬は、暗器を服に仕込みながら、乾いた笑みを浮かべた。


「ははっはは……朝からいいのを貰ってしまってね……おかげで眠気が吹っ飛んだよ。」

「そ、そうですか……」


 ノワールは、部屋の隅で、背を向けて頭を抱え、蹲るキュレウをちらちらと見ながら、引き攣った笑みを浮かべた。



 朝食を食べた後、灰犬達三人は屋敷の外に出ていた。

 すれ違った人が、灰犬の頬を見て、未だに顔が赤いキュレウを見て、辺りをきょろきょろ見るノワールを見て、「浮気でもしたのか……?」と呟いていた。

 興奮したノワールが、灰犬の腕を両手で取りながら言った。


「凄いです、子犬さん!今まで、皆、私の事を奇妙なものを見るような目で見てたのに……全然目立ってません!」

「そりゃまぁ、「普通の女の子」としか意識できないようにしているからね。

 適正者で獣人族っぽい俺と、エルフで美少女なキュレウの方が目立つから、意識なんて逸らしやすいし。」


 さらっと美少女と灰犬に言われ、キュレウが耳まで顔を真っ赤にして、口をパクパクとさせた。

 すると、ノワールはムッとしたような顔で、灰犬を見つめた。

 灰犬は、首を傾げた。


「どうした?」

「……私だって……」


 自分の服を見て、悔しそうに口をへの字にするノワールに、灰犬は目を瞬いた後、罰が悪そうに獣耳の裏を掻いた。


「あー……そうそう、ノワール。何か、やってみたい事はない?

 今なら、ノワールは「普通の女の子」としか認識されないから、今まで遠慮してた事もできる筈だよ。」

「本当ですか!?ええと、じゃあ……」


 灰犬の言葉に、目を輝かせ、辺りを見渡すノワールに、灰犬は苦笑した。

 灰犬の隣に、ノワールが立って言った。


「消えるだけじゃないのね、あなたの能力。」

「まぁね。意識を落とせば眠らせることもできるし、意識を乗っ取れば操れる。意外とできることは多いよ。

 ただ、意識のない物にはどうしようないし、意識せずに起こった事象は感知できないけど。」

「改めて考えると、地味だけどえげつないわね。防ぎようがないし……」


 腕を組み、ちょろちょろと歩き回るノワールを見ながら、そう言って苦笑するキュレウに、灰犬は片眉を上げた。


「派手な事もできるよ?」

「え?そうなの?」


 思わず灰犬を見るキュレウに、灰犬はノワールを見ながら頷いた。


「できる。奥の手だし、疲れる上に間違えると自爆するからやりたくはないけど。」


 灰犬は、ノワールから持ち物を掏り取ろうとしている子供の意識を、隣を歩く女性のスカートに強引に逸らしながら、溜息を吐いて肩を落とした。

 キュレウは、再びノワールに視線を向けながら言った。


「自爆、って……どんなのよ、それ。」

「うーん、放電、っていうのが近いかな。」


 女性のスカートをまくり、周囲にいた女性達にリンチされている子供から目を離しながら、灰犬が目を細めてそう言うと、キュレウは顎に指を添えた。


「放電……ああ、自分が感電するのね。それはやりたくないわね……」


 ノワールをナンパしようと、声を掛けようとした男に殺気を飛ばし、ビクッとしてこちらを向く男を睨みつけながら、キュレウは頷いた。

 灰犬は、キュレウに睨み付けられて萎縮する男に、ナイフを袖口から取り出して、親指で首を掻っ切る仕草をしながら、酷薄な笑みを浮かべた。

 男は、真っ青な顔で首を振ると、背を向けて逃げ出した。

 ノワールは、灰犬を横目で見ながら言った。


「ねぇ、あなたの能力、ちゃんと効いてるの?さっきから、ノワールに意識を向けている奴がいるんだけど?」

「うーん……もしかしたら、ノワールの狂呪具としての能力が邪魔をしているのかも。自然と、周りの意識が吸い寄せられてる。

 スデープが声をかけて、屋敷に連れてきたように、ノワールには、自然と人を惹き付ける力があるんだろうね。

 ちょっと、本気出すか……」


 灰犬がそう言うと、目が赤く光りだした。すると、ノワールに目を向けていた人々が、何事もなかったように目を離した。

 ノワールの背負っている白い袋が、ガタガタと震えていたが、灰犬が袋には誰も意識できないようにしていたので、灰犬以外に気付く者はいなかった。

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