第25話
泣きじゃくるノワールの背を、キュレウは悲しそうに擦っていた。
「そう、そんな事が……」
そう言って、視線を落とすキュレウをよそに、灰犬は顔を顰めたまま呟いた。
「絵筆に、なにか仕掛けがあったのか。それとも、妻が死んで、既におかしくなっていたのか……」
「灰犬。」
冷静に分析する灰犬に、キュレウは責めるように呟いた。
灰犬は、訝しむようにキュレウを見たが、キュレウの表情を見て、ハッとすると、ばつが悪そうに獣耳の裏を掻いた。
「あー、うーん。狂呪具って、その人の狂気や願いがこもっているから……」
「灰犬!」
「ああ、いや、だからさ。もしかしたら、幸せな人生を送れるんじゃないかな、って。」
言葉を探すように、そう言う灰犬に、ノワールが顔を上げた。
「どうして、そんな事が分かるんですか……?」
「だって、言ったんでしょ?今度こそは、幸せな人生を送れるって。
それが、自分の妻に向けて言ったのだとしても……ノワールに、作品に込めた願いは、きっとそんな想いだと思う。」
灰犬は、ノワールと向き直って言った。
「亡き妻に、子供を作ってあげたかったのか……それとも、妻の代わりが欲しかったのか。それは、今となっては分からない。
それでも、きっと、自分の命を捧げてでも、君を描き上げたかったんだよ。君と言う作品を、生み出したかったんだ。それだけの願いが、君にあった。
でも、そうだよね。それは、随分と独りよがりな願いだ。幸せになってほしいと願いながら、娘を置いて自分は死んでしまうのだから。
彼の死が、君を、ノワールを狂呪具にした。でも、君は、まだ、狂呪具として完成していない。」
灰犬の言葉に、ノワールは目を瞬き、キュレウは眉根を寄せた。
「……どういうこと?」
「……詳しい事は言えない。俺も、あまりよく分かっていないから。」
宙を睨むようにしてそう言う灰犬に、キュレウは溜息を吐いた。
「そう。分かったら、話してくれるんでしょ?」
「勿論。そのつもりだ。」
お互いに見つめ合いながらそう言う二人に、ノワールは何故だか面白くない気分になり、声を上げた。
「あの!詳しい内容じゃなくてもいいので、分かっている事を話してくれませんか?」
二人の間に体を割り込んでそう言うノワールに、灰犬とキュレウは、きょとんとした顔になった後、灰犬が頷いて言った。
「そう、だね。やっぱり一番の理由は、ノワールが余りにも普通すぎるから、かな。
狂呪具って、基本、人を殺す事に躊躇いが無いんだよ。殺す人を選ぶ事はあっても、できるだけ殺さないように動く狂呪具、なんて話を聞いた事がない。
恐らく、ノワールが絶望したその時に、本当の狂呪具として、完成するんじゃなかったのかな。狂呪具なのに、狂呪具として完成していなかったのは、きっと、君のお父さんの「幸せになって欲しい」っていう願いが、君を守っていたからだと思う。」
そう言って、微笑む灰犬に、ノワールは胸に手を当てて俯いた。
「お父さん……」
生まれてすぐに、死んでしまった父。死なないでと言っても、聞いてくれなかった父。
描いてくれたことには感謝していた。でも、苦しみしかない日常に、人の命を奪う事しかできない自分の力に、自分を描いた父を憎んだ事もあった。こんな事になるのなら、生まれなかった方が良かったとすら思った。
それでも、それでも、やっぱり、父は願っていたのだ。願ってくれていたのだ。生きてほしいと、幸せになってほしいと。
「ごめんなさい、お父さん……!」
ギュッと握るノワールの拳に、灰犬の手が触れた。
「きっと、謝罪より……感謝の方が、嬉しいと思うよ。」
灰犬の言葉に、ノワールは頷いた。
「ありがとう、お父さん!」
ノワールの背負っていた白い袋が、微かに震えた。
その夜。
灰犬達三人は……ベッドで、川の字になって寝ていた。
(どうしてこうなった……)
左からは絵の具の濃厚な匂いが、右からは女性特有の甘い匂いが鼻をついて香る。
最初は顔を真っ赤にしていた癖に、灰犬を抱きしめてぐっすりと眠るキュレウと、子供のようにはしゃいだ後、すとんと眠り込んでしまい、灰犬の腕を抱きしめて眠るノワールに挟まれ、灰犬は眠れない夜を過ごしていた。
事の発端は、灰犬のこんな言葉からだった。
「そう言えば、ノワールは何処で眠るんだ?ベッドが大きいから、キュレウと一緒でいいなら使える筈だけど。」
ここから、ノワールはキュレウと一緒にベッドで眠る事になったのだが、ノワールがこんな事を言ったのだ。
「私、子犬さんとも一緒に寝たいです!」
当然、そのノワールの言葉に、キュレウは反発した。したが、ノワールも頑として引かなかった。
最終的に、万が一、ノワールの姿を目に入れてしまわないように、ノワールの力が効かない灰犬を挟むという結論になり、こうなったのである。
灰犬は、引き攣った笑みを浮かべ、溜息を吐くと、慎重に袖から腕を抜き、服をその場に残す形で脱ぐと、音を立て無いように、こっそりとベッドを抜け出した。
服に仕込んでいた暗器は、既に抜いて部屋の片隅に置いてあったので、それを回収しながら、灰犬は服をどうするかと考えていた。
ふと、暗器と一緒に置いてあった、狂い魔の包帯が目に付いた。
「……ふむ。」
灰犬は、暗器を再び置くと、一旦、穿いていたズボンを脱いだ。そうして裸になると、灰犬は体に包帯を巻き付け始めた。
やがて、首から下の全てを包帯で巻くと、灰犬は腕を回したり、軽く飛んでみたりしてみた。
「おお、いつもより体が軽い。」
包帯自体は、煤のようなもので汚れているものの、着心地は良く、しっくりとくる。気のせいか、包帯からたまに出ていた瘴気がなくなっていた。
灰犬は、包帯の上からズボンを穿くと、一つ欠伸をして、部屋の隅へ行こうとした。
その瞬間、何者かの意思が、灰犬を貫いた。灰犬が反応するよりも早く、それは灰犬に絡みついた。
振り返ると、ノワールの背負っていた袋から、額縁が半分出ていて、その額縁の中にある真っ黒な絵画から、ドロドロとした黒い触手のようなものが数本伸びている。その触手が、灰犬に絡みついていた。
「え、ちょ、俺、男なんだけど。誰も得しないからそういうのやめなよ。」
触手は、本気で嫌そうに身を捩る灰犬を持ち上げると、そのまま絵画の中に引きずり……こまずに、灰犬をベッドの中央、つまり、元いた場所に戻した。
「え」
タイミングよく、ノワールとキュレウが身じろぎし、そのまま灰犬の服を離して、灰犬に抱きついた。
灰犬は、振り出しに戻ってしまった。黒い触手も絵画の中に戻り、額縁もひとりでに袋の中に戻っていった。
「……え?」
今夜は眠れない事が確定した灰犬であった。
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