第23話
真っ白なローブを着ていた女性の名前は、ノワールと言った。
自分を見てもなんともない灰犬に、ノワールは興奮して詰め寄り、理由を問いただしたが、灰犬自身も分からぬ事なので、灰犬は首を振るしかなかった。
それでもノワールは諦めきれないらしく、薄布の向こうから睨むように灰犬を見つめていた。
「何か、何か理由がある筈です……!」
「そう言われてもね……」
困ったようにそう言う灰犬。なんとなく大丈夫だと思っただけなので、根拠も理由も無いのだ。だが、そんな灰犬に、ノワールは勢いよく頭を下げた。
「お願いします!あなたが私に夢中にならない理由が分かれば、私は、きっと普通の幸せが得られる筈なんです!」
ノワールの「普通の幸せ」という言葉に、灰犬とキュレウは顔を曇らせた。
灰犬とキュレウは、哀れむような目で、ノワールを見つめた。灰犬が二つの狂呪具を持つ適正者で、そして、その傍で灰犬の暴走を押さえ続けてきたキュレウ。そんな二人だからこそ、狂呪具がもたらす不幸を知っているからこそ、「普通の幸せ」がどれだけ遠いものであるかを、二人はよく知っていた。
キュレウが、躊躇うように、遠慮がちに言った。
「あのね……多分、灰犬があなたに魅了されない理由が分かっても、きっと、普通の幸せは無理だと思うわ。」
「ど、どうしてそんな事が言い切れるんですか!?」
泣きそうな声で、必死な声でそう言うノワールに、キュレウは悲し気に目を伏せた。
「狂呪具って、そういうものだもの。
あなたがいくら普通の感性を持っていて、あなたの能力が無害化する条件があったとして。
狂呪具は、容易く人の命を奪ってしまうものなの。
使い方を間違えれば……いえ、間違えなくても、あっさりと人死が出るのよ。そんな狂呪具が、普通の幸せを享受する事は、不可能よ……」
目を逸らしながら辛そうにそう言ったキュレウのその言葉に、ノワールはショックを受けたように目を見開き、よろよろと後ずさった。
「そんな……」
ノワールは、目に涙を浮かべ、震える声で言った。
「じゃあ、私は、人を殺す事しかできないんですか?何の罪もない人が、死んでいくのを、見ている事しかできないんですか……?」
震える手で、顔を覆い、俯く。
「そんなのだったら、私は、私は……!」
ギュッと目をつぶり、喉から押し出すように言葉を吐こうとした。
「生まれてこなければよか」
「ノワールッッ!!!」
ノワールのその言葉を遮って、灰犬が怒鳴った。目を赤く染め、ノワールを睨み付ける灰犬に、ノワールも、キュレウも思わず驚いて、灰犬を見つめた。
灰犬は、つかつかとノワールに歩み寄ると、ノワールの垂れ下がる袖を掴んで、真剣な表情で言った。
「間違っても、生まれてこなければ良かった、などとは口にするな。
お前が道具であれ、生き物であれ、お前はこの世に生まれてきた。そして、お前は、きっと望まれて生まれた筈だ。
そんなお前が、生まれてこなければ良かっただなんて言わないでくれ。お前を生み出した、作り出したその想いを、否定しないでやってほしい。」
悲し気に顔を歪めてそう言う灰犬の後ろから、真剣な表情のキュレウが歩み寄ってきた。
「あんな事を言ってから言うのもなんだけど、例え、普通の人の幸せが享受できなくとも、きっと、あなたの幸せはある筈よ。
狂呪具って、人を殺す事に容赦のない物がほとんどだけど、あなたは違うんでしょ?殺したくないから、そんな格好をしているんでしょう?
諦めないで。狂呪具は、容易く人の命を奪うけど……使い方を間違えなければ、人を笑顔にもできるのよ。」
そう言って、キュレウは笑みを浮かべてノワールの手を握った。
何故だか、灰犬もキュレウも、ノワールが放っておけなかった。人を簡単に殺せる狂呪具である筈なのに、ノワールを見ていると、何とかこの女性を幸せにしてやりたいと思うのだ。そう思うのも、ノワールから狂呪具特有の狂気が感じられず、他人に迷惑をかけないようにしながらも、自分の幸せを掴むために足掻こうとしているからかもしれなかった。
狂呪具であるノワールに関わろうとしている二人に、少し離れた所で、居心地悪そうにスデープが見ているが、二人はスデープの都合などどうでもいいと言わんばかりに、サラッと無視した。例えスデープにとばっちりが行こうが、元々はスデープが口説こうとしたのが悪いのだ。そういう事にした。
灰犬とキュレウは、ちらりと目を合わせた。そして、二人共同時に頷くと、キュレウが笑顔で言った。
「探しましょう。あなたの幸せを。私達で。」
「わたし、たち?」
ボロボロと涙を零しながらそう言うノワールに、灰犬は頷いた。
「そう。俺達三人で。」
微笑む二人を見て、ノワールはしゃくりあげながら問うた。
「いい、の?わた、し、普通、じゃ、ないんです、よ?人間じゃ、ないんです、よ?」
ノワールの問いに、灰犬は苦笑して肩を竦めた。
「それを言うなら、俺達も普通じゃないしね。」
「あら、私を含めないでくれるかしら?おかしいのはあなただけよ。」
つん、と、澄ました顔でそう言い放つキュレウに、灰犬は片眉を上げた。
「そんな俺にずっと付き合ってるお前も、十分普通じゃないと思うんだけどなぁ。」
「誰のせいだと思っているのよ!全部、あなたのせいでしょうが!」
眦を吊り上げてそう言うキュレウに、灰犬はおどけるように「違いない」と笑った。
いつの間にか、ノワールの涙は止まっていた。
二人の優しさに、ノワールの胸が温かくなる。ノワールは、知らず知らずのうちに、笑みを浮かべていた。
ノワールに、生まれて初めて、友達と呼べる者ができたのだった。
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