第19話
新しいナイフを打ち直してもらった灰犬は、ゆらゆらと尻尾を振りながら、帰路に着いていた。
そんな灰犬の後ろ姿を見ながら、キュレウは老人に言われた事を思い出していた。
(よろしく頼む……か……)
キュレウには、何故、そう言われるかが分からなかった。老人が、エルフである自分を差別しなかった事も分からないが、狂呪具である『蠢く眼差し』や、あの老人が、何故、自分に灰犬の事を頼むのかが、キュレウには理解できなかった。
確かに、キュレウは外見こそ少女の姿をしているが、これでも齢七十歳は超えているのだ。弓の腕も悪くないし、魔術もそこいらの人間と比べれば上だろう。
それでも、たかが人族と油断したから奴隷に落とされたし、そもそも灰犬に魔術はあまり効果がない。灰犬の傍に最もいるのはキュレウだが、だからと言って、何故、そんな自分に灰犬を託されるのかが分からなかった。
キュレウが、灰犬が暴走した時、止めようと思うのは、これ以上、灰犬に人殺しをして欲しくなかったからだ。灰犬は、人殺しを躊躇いはしないものの、それを罪として受け止めるし、その事実から逃げようとした事もない。
一見すれば、灰犬は、気の触れた殺人鬼にしか見えないのかも知れないが、本当は、どこか気が触れているけど、ちょっと大人びているだけの優しい少年なのだ。人の涙を舐めて美味しいだなんて言う変態だけど。
それでも、たまに見せる、影のある表情を見るのが嫌で、だからこそ、これ以上灰犬に、自分の手を汚してほしくなかった。キュレウは、ただそう思っているだけだ。
と、不意に、灰犬の獣耳がピクっと動き、灰犬が怪訝そうな顔で右斜め前の前方に目を向けた。
キュレウが首を傾げていると、俄かに辺りが騒がしくなっていく。
すると、ちょっと先の曲がり角から飛び出してきた男が、恐怖に染まった表情で叫んだ。
「狂い魔だ!狂い魔が町の中に入ってきた!」
その言葉に、キュレウは表情を固くした。
狂い魔は、魔物が何らかの原因で変質したものだと言われている。昔はいなかったのだが、丁度、勇者召喚が五回行われた辺りから、勇者召喚を行っているフォルナ国の周辺に出没し始めた。
狂い魔は、魔物と違って、魔核と呼ばれる、魔物の心臓ともいえる石のようなものを破壊しても、消える事がない。何故か魔術も通じ難く、厄介な魔物だった。
フォルナ国は、魔王が勇者に対抗する為に編み出した魔物だと言っているが、それにしては勇者の攻撃は狂い魔にあっさりと通る事が確認されている。むしろ、肉体を再生できない程に欠損させるか、魔核を破壊、もしくは抜き取らない限り死なない魔物よりも、狂い魔は勇者の攻撃であっさりと死んでしまうのだ。
そのせいか、魔王に仕える魔族なんかは、狂い魔はフォルナ国が生み出した、と言っている者もいるという。
そんな狂い魔が町中にいると聞いて、町民はパニックになっていた。
灰犬は、そんな慌ただしい雰囲気の中、何の気負いもなく、険しい表情のキュレウの手を掴んで言った。
「帰ろっか。」
「ええ……ええっ!?」
思わず険しい表情を解いて、灰犬を凝視するキュレウ。
もうちょっと、こう、慌てたり、助けようとしたりするのかと思っていたキュレウだったが、当の本人である灰犬はあっさりと町民を見捨てる宣言だった。
納得いかない、という視線を向けるキュレウに、灰犬はあっさりと言った。
「だって関係ないし。それに、もしお前に何かがあったら嫌だし、ね。」
恥ずかし気もなくそう言う灰犬に、キュレウは何も言えなくなった。
そんな二人を、周りの町民達が「他所でやれよ……」という呆れたような目で見ていた時、それは来た。
男がやって来た曲がり角、そこから、どす黒い瘴気を漂わせた、狂い魔が姿を見せた。
それは、マミー、と呼ばれる魔物だったものだった。
ゾンビやスケルトンなんかの、アンデットと呼ばれる魔物で、その中でも体中を包帯で巻いているものがそう呼ばれている。
それを見て、灰犬は舌打ちをすると、『蠢く眼差し』を顔に着けた。
そこからは、あっという間だった。灰犬は、自分の影の中に倒れ込むようにして飛び込むと、影のような大鎌を持った状態で狂い魔の影から飛び出し、狂い魔の背後から、その首目掛けて、鎌を振りぬいたのだ。
魔核を破壊しない限り、永遠に動き続けると言われているアンデットの狂い魔が、首を落とされ、あっさりと地面にその身を伏せた。
狂い魔は、体中から瘴気を噴出すると、濁った魔核と、煤で汚れたような包帯を残し、消えてしまった。
灰犬は、包帯と魔核を回収すると、呆然としているキュレウの前に歩いて来て、あっさりと言った。
「帰ろっか。」
「ええ……ええっ!?」
目を白黒させ、さっきと同じ事を言うキュレウに、灰犬は肩を竦めた。
「言われている割には、あっさりと片付いたね。こんなんだったら、まだ狂呪具に操られた人の方が恐ろしいよ。」
「いやそうかもしれないけど!比較対象がおかしいわよ!?」
国を滅ぼす可能性のある狂呪具と、殺すのが厄介な狂い魔では、危険度に差があり過ぎるのだ。
そんな様子の灰犬を見て、町民達がひそひそと話し始めた。
「あれって、勇者様なのか……?」
「いや、あのポッチャリン家の奴隷だ。ただ、どうやら適正者様らしい。」
「ああ、なるほど……適正者様か……」
「じゃぁ、あのエルフは、適正者様の暴走を死者無しで抑えたという、あの?」
「そうだ。そのエルフだ。」
次第に、町民達の視線に、尊敬と畏怖が込められるようになってきて、キュレウが居心地悪そうに身じろぎした。
灰犬は、キュレウの服を引っ張って言った。
「帰ろっか。」
「……うん。」
今度は、素直に頷いたキュレウであった。
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