第18話

 灰犬は、未だ頬がほんのりと赤いキュレウを連れて、珍しい事に表通りを歩いていた。

 すれ違う人が灰犬の顔を見ると、驚いて二度見する。そして、頬を染めて膨れっ面をしているキュレウを見て、何処か納得した表情ですれ違っていく、というのの繰り返しだった。


「なんだ、痴話喧嘩か……」


 と、すれ違う人の一人が呟いていたのを、灰犬は苦笑しながら聞いていた。


 灰犬が来たのは、民家から離れた所にある、こぢんまりとした古びた小屋のような建物だった。


「おーい、爺、生きてるかー。」


 ぎいぎいと軋む扉を開けながら、灰犬はそう言った。

 部屋の奥で、剣を研いでいた老人が、灰犬をじろりと見た。

 だが、老人は、灰犬の頬を見ると、訝し気に眉根を寄せた。


「……なんだ、その、赤い手の痕は。」


 灰犬の頬に付いた赤い紅葉のような手痕に、灰犬は苦笑しながら肩を竦めた。


「ちょっとした代償かな。」

「訳が分からん。で、何用だ。」


 剣を研いでいた手を止め、灰犬の後に入ってきたキュレウをちらりと見てから、灰犬を見て老人はそう言った。

 灰犬は、老人に、鞘ごと真っ二つになったナイフを差し出した。


「これなんだけど……直せる?」


 老人は、灰犬からナイフを受け取ると、ナイフの断面を見て、鼻を鳴らした。


「何を切ろうとしたらこうなる。お前、これで何かを叩き折ろうとしたな?」


 ギロッと鋭い視線を灰犬に向けながらそう言う老人に、灰犬は頷いた。


「人の腕を。」

「……お前なら、叩き折れる筈だが。」

「狂呪具に乗っ取られてたんだ。それを止めようとして。」


 灰犬の言葉に、老人は目を伏せて深い溜息を吐いた。


「あの、狂った道具にゃ敵わんよ。」


 老人は、乱雑に切ってある顎鬚を撫でながら、折れたナイフを見下ろした。


「儂にはこれは直せん。作りなおした方が早い。こいつは、お終いだ。」

「そっか……」


 悲し気に眉を下げ、残念そうにそう言う灰犬に、老人はナイフの断面を見ながらぽつりと呟いた。


「……今まで、くだらん小僧の命を守る為に、人殺しをしてきた刃だ。誰かを、狂呪具から守る為に折れたならば、こいつも本望だろうよ。」


 目を細め、ナイフの刃に誰かを透かし見ながらそう呟く老人を、灰犬はじっと見つめた。


「……あいつが死んだの、知ってるんだね。」

「噂でな。」


 鼻を鳴らしてそう言う老人に、灰犬は息を吐いた。この老人は、奴隷商人の男の為に、このナイフが血で汚れるのを嫌がっていた。作らなくてもいい敵を勝手に作り、買わなくてもいい恨みを買い、殺させなくてもいい相手を、灰犬に殺させていた奴隷商人の男が、何よりも大嫌いだった。

 それでも、この老人は、一本のナイフを灰犬に無償で作ってくれた。だから、灰犬も、そのナイフを大切にしていた。老人も、そんな灰犬だから、例え自分の望まぬ殺人がそのナイフで行われると知っていて、灰犬にナイフを渡したのだ。

 灰犬は、適当な所に腰を降ろすと、姿勢を正して老人を見つめた。


「聞きたい事がある。」


 灰犬の真剣な声音に、老人は目だけを向けた。


「狂牙狼を素材に、武器を作った奴はいる?」


 灰犬の言葉に、老人の皺がぐっと寄せられた。


「……どこで、それを知った?」

「知らなかったよ。たった今、それがあるって分かったけど。

 ……それを作ったのは、ドワーフの男だね。」


 灰犬の目が、赤く染まっていく。老人は、苦虫を噛み潰したような顔で言った。


「……その話は、儂らの間では禁忌の話だ。」

「教えてください。お願いします。」


 土下座してまで頼み込む灰犬に、後ろにいたキュレウも、老人も、目を見開いて驚いた。


「……約束したんだ。何としても探し出すって。」


 地面に額を押し付けながら、絞り出すような声でそう言う灰犬に、老人の目に迷いが生まれた。


「それは、……狂呪具だぞ。」

「構わない。」

「それだけじゃない。異国の地、ドワーフの帝国、ガドルム帝国で封印されておる。お前が取りに行けるものじゃない。」

「だったら!!!」


 バッと顔を上げ、真っ赤に、煌々と輝く瞳で老人を睨みながら、灰犬は吠えた。


「ガドルム帝国を滅ぼしてでも、俺はそれを探し出す!俺は、俺は、奴らを許せない!邪魔なものは全て……!」


 牙を剥き出しにしてそう言う灰犬に、キュレウは焦った。と、その時、灰犬の袖から何かが、ころりと転がり落ちた。

 床に転がる、包装紙に包まれた飴を見るや、キュレウはそれを拾い上げて包装紙を破った。


「灰犬っ!!」


 キュレウの声に反応して、振り向いた灰犬の口に、キュレウは飴を押し入れた。飴が灰犬の口に入ると、灰犬の目が元に戻り、灰犬は目を瞬いた。


「……ごめん。取り乱した。」

「まったく……『減らないお菓子』の人に感謝ね。」


 手の中から、ノイズと共に消える包装紙を見て、キュレウは腰に手を当てて溜息を吐いた。

 老人は、灰犬の勢いに押されたように仰け反っていたが、キュレウの手からノイズと共に消えた包装紙を見て、目の色を変えた。


「それは、歪み……狂呪具か。」


 そう言って、老人は灰犬の頭に付いている『蠢く眼差し』を見て、呆れたように言った。


「また、お前は、いらんものを背負っているのか。」


 老人の言葉に、灰犬はムッとしたように老人を見たが、老人は手のひらを向けて制しながら言った。


「お前、どれだけのものを背負うつもりだ?以前は自分の殺した数多の命を背負っていた。そして、今度は狂呪具だ。

 お前は、どこまで行くつもりだ?普通の人間なら、既に発狂しているぞ。そこまでして、お前はどうしたいのだ。」


 老人の諭すようなその言葉に、灰犬は老人を睨むようにして言った。


「背負えるなら、どれだけでも。それが、俺の覚悟だ。」


 灰犬の決意の籠った言葉に、老人は悲しそうに顔を歪め、首を振った。


「そうか。お前は、止まる気は無いのだな。今回の件も、お前がきっと背負ったものなのだろう。

 それでしか救えぬ者がいるのも事実だ。だがなぁ、お前はどうする?お前はどうやって救われる?」


 老人は、顎髭を撫でながら、溜息を吐き、肩を竦めた。


「いいや、もう、お前は誰にも救えんのだろうなぁ。儂は、お前のそこだけが嫌いだった。」


 そう言って、老人は灰犬の後ろで悲し気な表情で立つキュレウに目を向け、姿勢を正し、頭を下げた。


「申し訳ないが、こやつを救う事は、儂にはできん。……せいぜいが、新しい刃をもう一本、打ってやるくらいだ。

 エルフのお嬢さん、この背負いたがりを、どうか、よろしく頼む。」


 薄暗い部屋の中、頭を下げた老人の声が静かに響いた。

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