第17話
食べてもいつの間にかお菓子が出現するその狂呪具は、そのまんま『減らないお菓子』と名付けられた。
狂呪具自体に確固たる形は無いようで、基本は白い皿だが、出てくるお菓子によって容器の形と大きさを変える性質を持っていた。
例えば、パフェだったら、底の深いグラスのような容器に、ケーキ1ホールだったら、それ相応の大きさのお皿に、といった具合に。
お菓子を変えるのは簡単で、『蠢く眼差し』の視線を変えるのと同じく、願えば望んだお菓子が出るようだった。
灰犬が眠ると、予定調和のように、夢を見た。
灰犬は、真っ白な空間の中、テーブルを前に、椅子にポツンと座っていた。
テーブルの上に、一切れのアップルパイが置かれる。顔を上げると、エプロンを着け、コック帽を被った、穏やかな目をした男が灰犬を見ていた。
「どうぞ、冷めないうちに。」
男の言葉に、灰犬は目を輝かせた。
「いただきます!」
灰犬は、喜んでアップルパイを手で取って食べ始めた。
灰犬の舌は、『減らないお菓子』以外の食べ物の味が分からなくなってしまっていた。あの騒動の後、普通の食事を食べてみたのだが、灰犬は食べ物の味が分からなかったのだ。
尻尾を振りながら、味わうように噛みしめてアップルパイを頬張る灰犬を見て、男が哀れむように言った。
「かわいそうに。気が触れて、味が分からなくなってしまっただなんて。
お腹一杯食べなさい。このお菓子は、君のような飢えた子にこそ、食べて貰いたいのだから。」
男はコック帽を脱いで手に持ち、灰犬の向かいにある椅子に座ると、誰に問われるでもなく語りだした。
「私は貴族に仕えていたが、あのクズ共はパーティーで大量の料理やお菓子を作らせる癖に、いつも余らせて平気で捨てる。それが、私には耐えられなかった。
裏通りにあるスラム街に出れば、毎日の食べ物も満足に食べられない子達が溢れているというのに。
実際、その子達は、私の作ったお菓子を美味しいと、涙を流して食べてくれたよ。貴族と違って残すこともない。いちいち下らない事で味にいちゃもんを付ける事もない。
できれば、ずっと、あの子達の為に、私はお菓子を作りたかった。……もはや、それは叶わないが。」
話の途中辺りで既に食べ終えていた灰犬は、男の悲し気な笑みを見て、眉を下げた。
「殺されたんだね。その、貴族に。」
灰犬の言葉に、男は頷きながら、片手で顔を覆った。
「そうだ。捕らえた私の目の前で、まだ幼い彼ら彼女らは、殺された。
あのクズは言っていた。「お前が小汚い下民共に貴重な食料を恵んだから、こうなったのだ」と。」
男は、顔を覆っていた手を降ろした。男の顔は、涙で濡れていた。
「そして、私も殺された。」
そう言って歪んだ笑みを浮かべる男に、灰犬は悲し気に微笑んだ。
「あなたは、優しい人だね。」
「……」
「人が憎いだろうに、本当は自分から積極的に殺してやりたいだろうに、それでも、あなたは貴族以外には害意を向けなかった。
キュレウから聞いたよ。あなたが、俺を止めてくれたって。
あなたが復讐を、貴族殺しを優先していたなら、あの時キュレウの声に応える必要は無かった。俺を正気に戻す必要も。
何故なら、あのまま放っておけば、俺はそのまま屋敷にいた人を皆殺しにしていただろうから。復讐したかったのなら、そうすれば良かったのを、あなたは俺を止めてくれた。」
灰犬は、席を立つと、深々と頭を下げた。
「俺を止めてくれて、本当に、ありがとうございました。」
頭を下げる灰犬に、男は目を閉じて微笑んだ。
「……あのお菓子は、君が持っているといい。私が望む人は、飽食の記憶を持つ君では無いが……君になら、許せそうだ。
ただ、一つだけ、君に願う事があるとすれば……このお菓子を、貧しい者に分けてあげて欲しい。
彼ら彼女らに、この世界には美味しいものがあるのだと、食べる幸せがあるのだと、教えて欲しい。私のお菓子は、その為にあるのだから……」
カーテンから透けて当たる日差しを浴びて、キュレウは目を覚ました。
ベッドから身を起こし、声を漏らしながら背伸びをする。
ふと、部屋の隅を見ると、そこには体を丸めて眠る灰犬の姿があった。
結局、最初の夜以降、灰犬がベッドを使う事も、ソファの上で眠る事も無かった。ベッドやソファでは柔らかすぎて眠れない、と、灰犬は言っていた。
そんな事を思い出し、キュレウは表情を暗くした。灰犬は、生まれつきから奴隷なのだという。きっと、固い床でしか寝たことが無いから、柔らかいベッドの上では落ち着かないのだろう。その事が哀れで、悲しかった。
ベッドから降りて、キュレウはそっと灰犬の傍に寄った。灰犬の獣耳がピクリと動き、キュレウの方に向いたが、すぐに元に戻った。灰犬は、眠ったまま起きない。
キュレウ以外の人が近付くと、すぐに起きる灰犬だが、キュレウには心を許しているのか、起きることは無い。その事がなんだか嬉しくて、キュレウは自分でも知らず、笑みを浮かべていた。
灰犬の寝顔を覗き込んでみると、普段とは違って、子供らしいあどけない寝顔を晒していた。
「か、かわいい……」
起きている時とのギャップが凄くて、思わずそう呟くキュレウ。夢で何か食べているのか、幸せそうな表情で口をもぐもぐしている。
ふと、悪戯心が湧き上がってきて、キュレウは、そっと灰犬の頬を人差し指でつついた。
ふに、と、柔らかい感触が人差し指から伝わってくる。
と、その瞬間だった。
灰犬の頭に付いていた『蠢く眼差し』が、ずれて、キュレウの人差し指に当たった。
「ひっ!?」
真っ青になって、勢いよく手を引くが、時すでに遅し。しゃがんでいた膝の上に、悍ましい子供の生首が佇んでいた。
ヒュッ、と、キュレウの喉から息が漏れる音がした。恐怖のあまりに、硬直するキュレウに、子供の生首は、にっこりと笑うと、キュレウを見上げて言った。
「お姉ちゃん。お兄ちゃんはよく無茶をするから、お兄ちゃんの事、よろしくね。」
「……えっ?」
どんな悍ましい事を言われるのかと、身構えていたキュレウに放たれた言葉は、そんなありふれた言葉だった。
子供の生首は、キュレウの返事も待たずに、キュレウの膝の隙間に消えて言った。
突き刺すような強い視線を何処からか感じるが、キュレウは心を平常に保ち、その視線を無視した。
「……灰犬は、ずっと、こんな視線を感じているの……?」
前に聞いた時は、灰犬は「大した事は無いよ」とあっけらかんと言っていたが、この視線がどれだけ悍ましいかが、今のキュレウには分かった。
こんな視線を、665人分も、灰犬は受けているのだ。普通の人ならば、とっくの昔に心を壊して病んでしまってもおかしくはない。
と、そこまで考えて、キュレウは気が付いてしまった。
あっさりと人を殺せる異常性。
感じない満腹感と味覚。
そして、『蠢く眼差し』の強い視線を無数に向けられても、何とも思わないその精神。
更には、死ぬかもしれないと知っていて、それでも、大して親しくもないスデープを助けるために、何の躊躇いもなく『減らないお菓子』のお菓子を口にした事。
もう、既に、彼の心は……
「キュレウ?どうしたの?」
不意に、目の前から灰犬の心配そうな声が聞こえて、キュレウは慌てて俯いていた顔を上げた。
そこには、何時の間に起きたのか、心配そうな表情でキュレウの顔を覗き込む灰犬の姿があった。
キュレウの顔を見て、灰犬の顔がすっと無表情になった。
「……また、誰かに酷い事を言われたのか?」
「え?なんで?」
「泣いてる。」
僅かに桃色に光る瞳で、キュレウの目を見ながらそう言う灰犬に、キュレウは自分の目元に手を当てた。指先に、しっとりと濡れる感触が広がって、キュレウは自分が泣いていたのだと気付いた。
思わず呆然としていると、灰犬が顔を寄せてきた。キュレウの視界いっぱいに、灰犬の顔が映る。
灰犬は、おもむろに口を開くと、桃色の舌で、キュレウの涙を舐め取った。
「きゃぁっ!?何すんのよ、馬鹿っ!!」
「ぐえっ」
顔を真っ赤にして、キュレウは灰犬を突き飛ばした。灰犬は仰け反って、後頭部を背後の壁にぶつける。ドン、という鈍い音が鳴った。
後頭部を擦りながら、灰犬が笑みを浮かべた。
「キュレウの涙って、ちょっとしょっぱいけど、美味しいね。」
「~~~っ!?」
キュレウは、手をわなわなと震わせながら、耳まで真っ赤になり、キッと灰犬を睨み付けた。
「こ、こ……」
「こ?」
「この、へんたーーいっっ!!」
スデープの屋敷に、パシン!という、頬を張る大きな音が響き渡った。
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