第11話

 奴隷商人の男の商館に着いた灰犬とキュレウだったが、商館の扉が蹴破られているのを見て、キュレウはハッと目を見開いた。


「扉が……」


 思わず足を止めるキュレウをよそに、灰犬はまるでそれが当たり前であるかのように、蹴破られた扉を通って商館の中に入ってしまった。


「ちょっと、待ってよ、灰犬!」


 慌ててキュレウも商館に入ると、そこは、あらゆる物が散乱していて、床にはガラスや陶器の破片が転がっていた。

 それを見て、キュレウは睨むように辺りを見回しながら言った。


「物取りでも入ったのかしら……」

「……それは、どうかな。」


 灰犬はそう呟くと、階段を上がって二階に上がり、男の寝室の前まで迷うことなく行くと、開けっ放しの扉を通った。

 そこには、かつて灰犬の主であった、奴隷商人の男の亡骸が転がっていた。

 うつ伏せに倒れている男の背には、斜めにバッサリと斬られた痕があった。

 それを見て、キュレウは顔を顰めた。


「後ろから、バッサリ斬られたのかしら……?逃げようとした時に?

 やっぱり、物取りか何かよね?」


 灰犬は、死体の傍に寄ると、キュレウに手招きした。しかめっ面のまま、あまり近寄りたくない様子で、渋々来たキュレウに、灰犬は死体をひっくり返して見せた。


「胸の辺りを見てみろよ。」

「胸……?

 あ、何か、刺されたような痕がある……?」


 心臓のある辺りを、ナイフか何かで突き刺した痕があるのを見て、キュレウは首を傾げた。灰犬は、一つ頷いた。


「これは、物取りなんかじゃない。確実に心臓を刺しているし、傷口から毒の匂いがする。つまり、殺意があったんだ。物取りだったら、逃げる事を優先して、こんな風にトドメを刺したりはしないはしないよ。

 ここに来たのは、物取りなんかじゃ無く、こいつを殺すために放たれた刺客だ。」


 淡々とそこまで言って、灰犬は肩を落として溜息を吐いた。


「馬鹿な男だ。少し考えれば、簡単に分かる事だろうに。

 どれだけ自分が恨まれていたか、どれほどの刺客が送られてきたか、その刺客から誰が守っていたか。」


 灰犬は、目を細め、鼻を鳴らした。


「大金が手に入って、奴隷商人を続ける理由がなくなって……奴隷商人を止めれば、もう命を狙われないとでも思ったんだろうね。

 甘い考えだ。人の悪意と憎しみは、そんな程度の事では消えていかないというのに。あの時の俺の忠告を聞いていれば、きっと違った未来だっただろうに。

 まぁ、自業自得なのかな。」


 悲壮な表情で目を見開いている死体の瞼を閉じてやると、灰犬は立ち上がって、死体に背を向けた。

 部屋の出口に向かって歩く灰犬に、キュレウが黙ってついていく。ふと、灰犬は出口の前で立ち止まり、ちらりと死体に目を向けた。


「そういえば……」


 フッと、灰犬は息を吐くと、再び前を向いた。


「名前を聞いた事も無かったね。あれだけ、付き合いは長かったのに。」


 部屋から出た灰犬が、ぽそりと呟いた。


「まぁ、その程度の関係だった、って事だね。」


 少し残念そうな声音でそう言う灰犬の背を、キュレウが複雑そうな目で見つめていた。



 商館の裏にある、黒い彼岸花の花畑は、未だ、ひっそりと隅っこの影で黒々と咲いていた。

 その花畑の前で、灰犬は口を開いた。


「この、黒い彼岸花は、普通の彼岸花とは違うらしくてね。

 土壌に沁みこんだ死人の数だけ咲き誇るんだって。」


 それを聞いて、キュレウがギョッとした様子で花畑を見た。ぱっと見た程度では数え切れない程にある黒い彼岸花の花畑を見て、どれだけの人が灰犬の手によって殺されたかを想像してしまったのだ。

 灰犬が、そんなキュレウを見遣って、目を細めた。


「あの時、キュレウは俺の事を人殺しと言ったけど。」

「そ、その、あれは……」

「俺は、本当にその通りだと思ったよ。俺は、そう言われても仕方がない事をしてきた。

 例えどんなに正当な理由があろうとも、人殺しは人殺しだ。

 ……俺は、それを正当化しようとも思わないし、かと言って、反省も後悔もしないけど。」


 花畑を背に、灰犬は腕を広げてキュレウを見つめた。


「俺の人生には、これだけの屍が転がっている。これだけの血を浴びて、俺は今まで生きてきた。俺の手は、沢山の血で汚れている。

 こんな俺に、お前はまだ、親切にするか?」


 そう言う灰犬の背後に、一瞬、幾人もの亡霊が居るように見えて、キュレウは息を飲んだ。

 灰犬は、諦めたような笑みを浮かべると、キュレウの首元に手を伸ばした。

 思わず目をつぶって固まるキュレウの首輪を掴むと、灰犬はそれを両手で引き千切った。

 キュレウの付けている首輪は、奴隷が着ける物の中でも、魔術の発動を妨害すると言われる、「魔封じの首輪」と呼ばれる魔道具だった。

 それを引きちぎられて、キュレウは灰犬を呆然と見つめた。

 灰犬は、肩を竦めた。


「好きにするといいよ。この国では生き辛くとも、他国なら、お前を受け入れてくれる所もあるだろうし。」


 突き放すようなその言葉を聞いて、キュレウの胸の奥から、怒りにも似た衝動が突き抜けた。

 キュレウは、湧き上がる衝動のままに灰犬の胸倉を掴むと、ぐっと引き寄せた。引き寄せた灰犬の体は、悲しいくらいに軽かった。


「勝手に見限らないでくれる?あなたがどんな人殺しであろうと、私があなたにする事は変わらないわ。

 あなたが食べ物を食べないのなら、無理矢理にでも食べさせてやるし、例えあなたが何処に行こうと、無理にでもついていって隣にいてやるわ。」


 震える手で胸倉を掴み、睨みながらそう言うキュレウの言葉を聞いて、灰犬の目が揺れた。

 獣耳を伏せ、すっと目を逸らす灰犬を見て、キュレウが勝ち誇ったようにニヤリと笑った。


「好きにさせてもらうわ。いいんでしょう?」


 キュレウのその言葉を聞いて、灰犬は目を伏せ、微かに笑みを浮かべると、黙って「降参」と両手を上げた。


 灰犬の尻尾が、フサフサと揺れていた。

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