第10話

 屋敷を出て、迷う様子もなく歩く灰犬の背に、キュレウは辺りの様子を伺いながら話しかけた。


「ねぇ、あのメイド、結局どうしたの?」

「ん?ああ、死んだよ?」

「そうじゃなくて。」


 振り返りもせずにしれっと言う灰犬に、キュレウは少し口籠りながら、言い辛そうに言った。


「その、あなたが殺したの?」


 キュレウのその言葉に、灰犬は立ち止まり、振り返ってキュレウを見た。

 慌てて何か言おうとするキュレウの目を見て、灰犬は事もなげに言った。


「まぁ、殺したと言えば、俺が殺した事になるんじゃないか?直接的ではないにしろ、毒を飲むように誘導したのは俺だし。」


 何の感慨もなく、あっさりとそう言い放つ灰犬に、キュレウはムッと眉根を寄せた。


「……よく、そうあっさりと人を殺せるわね。」


 キュレウの嫌悪感の混じったその言葉に、今度は灰犬が眉根を寄せた。


「人を選ばない殺人鬼のように言われるのは不本意なんだけど。これでも、俺は殺意を向けてきた相手しか殺していないよ。」

「それは、そうなのかもしれないけれど、でも……」

「何も殺さなくても、って?」


 灰犬の言葉に、キュレウはしかめっ面になって黙り込んだ。

 灰犬は、溜息を吐いた。


「人に、凶器と共に殺意を向けた時。」


 灰犬は、桃色に光る瞳でキュレウの目を見た。


「その凶器には、命が乗っているんだ。相手の命を奪う刃に、自分の命を乗せるんだよ。カジノで賭ける、コインのように。

 殺すという事は、殺意を向けるという事。そしてそれは、相手からも殺意を向けられるという事だ。

 殺意を持って凶器を差し向けたその瞬間は、法律も、倫理も、正義も、何も関係ない。生きるか死ぬか、ただそれだけだ。

 死ぬ覚悟のない者に、命を奪う資格はない。相手に殺意を向けた時点で、殺そうとした時点で、殺されても文句は言えないんだよ。」


 その言葉に宿る決意の重さに、キュレウは面食らったように顔を引いた。

 歩き出してしまった灰犬に、キュレウは慌てて追いすがりながら、声をかけた。


「ねぇ、あなた、あの時!刺客を殺した後、遺灰を撒いて、頭を下げてたけど!あれって、なんだったの?」


 キュレウのその言葉に、灰犬は歩みを止めぬまま、苦虫を噛み潰したような顔をした。


「……見てたのか。」

「そ、その、偶然見ちゃって……」


 気まずげに口籠るキュレウに、灰犬はぽそりと呟いた。


「感謝と、謝罪。」

「……」

「俺は、殺した相手に、感謝と謝罪を込めて、頭を下げるんだ。

 人は、様々な命の犠牲の上に生きている。あの人達は、俺の糧になった訳では無いけれど……でも、あの人達が死んだから、今の俺がある。だから、その感謝。

 あとは、その人の未来を奪って申し訳ない、っていうのと、あんな男の為に殺して申し訳ない、って意味の謝罪かな。」


 灰犬のその言葉を聞いて、キュレウは何を言っていいか分からなくなった。

 キュレウが俯いていると、キュレウの目の前に赤い果実が差し出された。


「え……?」


 ハッとして顔を上げると、リンゴを差し出す灰犬の姿があった。


「食べなよ。ご主人の屋敷の厨房からくすねてたんだ。」

「……あなたは?」


 灰犬を見つめながらそう言うキュレウに、灰犬は「俺は、もう食べたから大丈夫」と言った。一瞬、目が横に逸れたのを見て、キュレウは灰犬が嘘を吐いている事に気付いた。

 キュレウは、リンゴを受け取りながら言った。


「皮を剥きたいから、ナイフを貸してくれない?」

「ナイフ?俺は人を斬った事のあるものしか持ってないよ。」

「それでいいから。」


 そうか、と、灰犬は目を瞬きながらもナイフを鞘ごと差し出した。それを受け取り、キュレウは鞘から刃を抜いた。

 それは、綺麗な刀身だった。よく手入れされているのだろう、曇りは愚か、血の跡も脂も何もない。

 キュレウはそのナイフをリンゴに差し込み、ナイフをひねってリンゴを二つに割った。


「はい。」


 キュレウは、二つに割った片方のリンゴを灰犬に差し出した。灰犬は、驚いたように唖然と口を開けている。

 何時までも受け取らない灰犬の口に、キュレウは無理矢理リンゴを捻じ込んだ。


「いいから食べなさいよ!あなたが嘘を吐いている事くらい、分かってるんだからね!」


 もごもご言いながらリンゴを咀嚼する灰犬に、キュレウはそっぽを向きながら呟いた。


「これから、あなたが食べてないって分かったら、こうやって無理矢理にでも食べさせるから。」

「……ありがとう。」


 嬉しそうな、それでいて照れているような顔で、灰犬は尻尾を緩く振りながらそう言った。キュレウは、鼻を鳴らして更にそっぽを向いた。

 キュレウが、不意に、何かに気付いたように首を傾げた。そして、灰犬を見て、怪訝そうな声で言った。


「ねぇ、あなた、食べるの早くない……?」


 へたも芯も種も既に食べつくしている灰犬に、キュレウが眉根を寄せながらそう言うと、灰犬はフッと笑って言った。


「よく言われるよ。」

「いや、早すぎるわよ!?そもそも一口で食べられる大きさじゃなかったじゃない!」

「はっはっは」

「笑って誤魔化すな!」


 灰犬の脛を蹴るキュレウと、痛いと言いながらも、笑って逃げる灰犬。そこに、最初にあったギスギスとした雰囲気はなかった。


 灰犬を追いかけながら、ふと、キュレウは気付いた。

 キュレウの蹴りを避けながら笑う灰犬の、細められた目から見えたのは、淡く光る桃色の瞳ではなく、普通の黒色の瞳だった。

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