第9話
少しやつれたように見える灰犬と、未だ灰犬を睨んでいるキュレウがメイドに案内されて連れてこられたのは、スデープの執務室だった。
「やぁ、おはよ……えっと、適正者くん?君、少しやつれてないかね?」
「気にしないで……それより、どうしたの?」
弱々しい笑みを浮かべながら、首を傾げる灰犬に、スデープは、ああ、と頷いた。
「いや何、今後の事について話し合っておこうと思ったのだが……
どうやら、メイドの一人が厨房で死んでいたようでね。」
スデープの、困った様子で言ったその言葉に、灰犬の後ろにいたキュレウが「えっ」と目を見開いた。
まるで何も知らないかのように片眉を上げるだけの灰犬に、スデープは灰犬をじっと見つめながら言った。
「そのメイドは、昨日の夜、君の夕食を運んだメイドなのだが……どうも、水が入っていたポットに毒を入れていたようなのだ。」
「へぇ。そうなんだ。」
「殺したのは、君だね?適正者くん?」
スッと目を細めて笑うスデープに、灰犬は動揺する素振りも見せず、しれっと返した。
「さぁ?ポットの水に毒が盛られていた事は知ってたけど。
で、なんで俺が殺したなんて思っているの?根拠や証拠は?」
後ろから、キュレウの強い視線を感じながら、灰犬は悪びれもなくそう言った。スデープは、溜息を吐いて肩を落とした。
「分からないから、こうやって君に聞いているのだよ。
死体を調べた結果、どうやら昨日の夜に死んだという事は分かったのだが、何故か、誰も彼女を見ていないというのだ。勿論、君の姿も。
近くにコップが転がっていて、そこからも毒が検出されたようだから、そのコップから毒を摂取した事は分かっているのだが、まさかうっかり自分で毒を飲んだ、なんて事はあるまいし。」
「いや、きっとうっかり飲んじゃったんだよ。喉が渇いて。」
犬歯を剥き出しにして笑いながらそう言うと、スデープがギョッとして仰け反った。
「き、君、目が……」
「ああ、なんか、桃色に光ってるとか。」
「いや、真っ赤に……」
「へ?」
思わず、キョトンとして目を瞬く灰犬に、スデープは目を白黒させながら言った。
「あ、いや、桃色に、なった?君、瞳の色を変える事ができるのかね?」
「いや、そんな事はないけど……適正者になったから?いやでも、そんな事聞いたことないしな……」
灰犬は首を傾げて唸っていたが、しばらくしてから、息を吐いて首を振った。
「まぁ、いいや。とりあえず、誰が殺したのかはどうでもいいけど、キュレウ……彼女の事も巻き込むような殺し方はやめて欲しいんだ。
うっかり、殺しちゃうかもだからさ。」
また瞳を真っ赤に染めながらそう言う灰犬に、スデープは息を飲んだ。
「……ああ、こちらも気をつけよう。せっかくの適正者だ、それを失うのはこちらの本位ではない。
あと、君の後ろにいるエルフの少女だが、君に一任しよう。大切なのだろう?」
肩を竦めてそう言うスデープに、灰犬の瞳の色が桃色に戻る。灰犬は、困ったように眉を下げた。
「大切……まぁ、そうかもね。」
灰犬のその言葉に、キュレウが「えっ」という顔で、バッと灰犬を見た。
灰犬は、そんなキュレウに苦笑しながら、決まり悪そうに獣耳の裏を掻いた。
「あー、そうだ。ご主人、一つお願いがあるんだけど。」
「何かね?」
「十日に一度……いや、月に一度でいいから、墓参りにいく許可が欲しいんだ。
勿論、逃げないかどうか心配なら、見張りを付けてもいい。」
獣耳を伏せながらそう言う灰犬に、スデープは目を瞬きながら頷いた。
「そのくらい、いいが……君に両親や家族がいたのかい?」
「いや、いないよ。俺、生まれから奴隷だし。」
「なら、誰の?」
興味があるのか、身を乗り出してそう言うスデープに、灰犬は笑顔で頷いた。
「今まで俺が殺してきた刺客達。」
スデープの体が固まった。キュレウは心当たりがあるのだろう、ハッとしたように目を見開いた。
スデープは、ぎこちない動きで、椅子の背もたれに体重を預けると、引き攣った笑みで頷いた。
「そ、そうかね……まぁ、君の好きにしたまえ。」
「ありがとう、ご主人。」
さっそくとばかりに、その墓参りにキュレウを連れていった灰犬を見送りながら、スデープは溜息を吐いて、机の中にしまっていた報告書を取り出した。
「彼は、どこまで知っていたのだろうかね……」
報告書を見ながら、スデープは眉根を寄せた。
あのメイドに灰犬の夕食を運ばせるよう手配したのは、スデープだった。灰犬がメイド風情に殺されるような柔な奴ではないと知りつつも、どんな力を持っていて、どの程度の力量があるのかを見る為に、狂呪具のせいで両親を失ったあのメイドを近付けたのだ。
結果は、何故か、メイドの方が毒殺されるという、不可思議な結末だったが。
「部屋を見張っていた者も、彼が部屋を出た所を見ていないという……彼は、いったいどうやって彼女を殺した?」
謎だった。灰犬が、魔力を持っていない事を、スデープは事前調査で知っていた。つまり、魔力を燃料として使う魔術は使えない。
そもそも、魔術を使ったとして、誰にも気付かれずに監視されている部屋を出る事は不可能に等しい。
灰犬が、魔術ではない、何らかの力を持っているのは確かだったが、それが全て謎だった。なにせ、彼と敵対した刺客は全て殺されている。彼の情報を持ち帰った者がいないので、誰も彼の事を知りようがないのだ。
報告書を眺めていたスデープだが、そこに書かれている一文に目が留まった。
「メイドが退室した後、指を鳴らすような音が聞こえた……?」
しばらくその一文について考えていたスデープだが、まさかと鼻で笑って次の文に目を移した。
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