第8話

 灰犬は、真っ暗な闇の中、目を見開いてバッと跳ね起きた。見ていた夢があまりにもリアルで、迫真に迫っていたものだから、灰犬はここが一瞬、何処だか分からなかった。


「……!……!?」


 荒く息を吐きながら、混乱する頭を落ち着ける。

 ここは、自分達に宛がわれた部屋で、エルフの少女と散々揉めた末に、エルフの少女にベットを押し付け、自分は、寝慣れない柔らかいソファで寝たのだという事を思い出し、ふうっ、と、息を吐いた。


「……ああ、そうか、夢、か……」


 そう呟いて、とりあえず次からは寝慣れた床で寝ようと決め、頭に手を当てようとして、自分の持っている物に灰犬は気が付いた。

 それは、夢の中で託された、あの影のように真っ暗な大鎌だった。明かりもない真っ暗な中だというのに、その大鎌は確かな存在感を手に伝えてくる。

 しばらくの間、灰犬はその大鎌をじっと見ていたが、悲し気に顔をくしゃりと歪めると、擦れた声で呟いた。


「そうだよな。夢なんかじゃ、ないよなぁ……」


 そう言って、灰犬は額に手を当てると、寝ていたソファに寝転がった。

 やっぱり、柔らかいソファは、違和感があった。


 あの大鎌は、結果的に言うと、自分の影の中にしまう事ができた。朝日がカーテンの間から差し込み、それでできた自分の影に偶然大鎌が触れて、影の中に沈んだ事から分かった事だった。

 正直、その鎌を見られるのは面倒だったので、灰犬としては助かった。

 朝日が上り、人が動く気配が増えてきた頃、屋敷の中で悲鳴が上がった。


「っ!?何事!?」


 エルフの少女が、バッと跳ね起きる。灰犬は、素知らぬ顔をして首を傾げた。


「さぁ……死体でも転がっていたんじゃない?」

「やめてよ、縁起でもない……」


 冗談じゃないと、溜息を吐くエルフの少女に、灰犬はフッと笑った。冗談ではないのである。

 ふと、灰犬の顔を見たエルフの少女が、不思議そうに首を傾げた。


「ねぇ、あなたの目……桃色だったかしら?」


 黒色だったのだと思うのだけれど、と、首を傾げるエルフの少女に、灰犬も片眉を上げ、首を傾げた。


「え、俺の目の色、変わってるの?」

「ええ。なんだか、うっすらと桃色に光ってるわ。」

「はい?いやいや、どこぞの機動戦士のロボットじゃあるまいし。」


 笑いながらそう言う灰犬に、エルフの少女は「……ろぼっと?」と首を傾げていた。

 灰犬は、あ、と言って、目を瞬き、首を振ってから、エルフの少女に向き直った。


「そう言えば、自己紹介してなかったね。

 俺は……名前はないけど、灰犬って呼ばれてる。裏社会の人達からは狂犬とも呼ばれてるから、どっちでもいいよ。

 これから長い付き合いになると思うから、俺が死ぬときまでよろしくね。」


 灰犬がそう笑いながら言うと、エルフの少女は顔を顰めた。


「死ぬまで、って……そういう事を笑顔で言えるあなたの神経を疑うわ。

 私は……キュレウよ。本当の名前はもっと長いのだけれど、もう使う事もないだろうし、それでいいわ。」

「もう使わないって、何故?」


 灰犬が不思議そうに首を傾げながら言ったその言葉に、キュレウは、悲し気に肩を落として言った。


「人族の奴隷になった私を、誰も同族とは認めてくれないからよ。私の種族は、人族を忌み嫌っているから、ハーフエルフでなくても、一度でも人族の奴隷になった奴は穢れているといって嫌悪されるの。」


 そう言ってから、キュレウは灰犬を見て、自嘲気に笑った。


「その点、獣人族はいいわよね。エルフ族と違って、奴隷になっても忌み嫌われたりしないんだから。」

「へぇ、そうなんだ。」


 キュレウの何処か妬むような言葉に、灰犬は大して感心していない様子で頷いた。そんな様子の灰犬に、キュレウは眉根を寄せた。


「へぇって……あなた、獣人族でしょう?」


 怪訝そうな声でそう言うキュレウに、灰犬は困ったような顔で首を振った。


「違うよ?ほら。」


 灰犬はそう言って、驚いている様子のキュレウに普通の耳を見せた。

 キュレウは、灰犬のもう一対ある耳を見ると、混乱したように目を白黒させた。


「え、えっ?耳がもう一つ?ど、どういう事なの?」

「俺、元は人族だったんだよ。でも、洞窟の中で転がっていた、灰色の毛の狼の子供の死体を食べたら、いつの間にかこうなっていたんだ。」


 灰犬の苦笑混じりのその言葉を聞いて、キュレウは半眼になって灰犬を見つめた。


「……あなた、なんでそんなものを食べたのよ。呪われたんじゃないの?その、狼の子供に。」

「いや、あまりにも空腹で、つい。」

「つい、で食べていいものじゃないわ!まさかあなた、あまりにも空腹でって……昨日私に夕食を強引に押し付けたみたいに、その頃からずっと自分の分の食べ物を他の人に上げていたんじゃないでしょうね!?」


 睨みながらそう言ってくるキュレウに、灰犬は思わず獣耳をぴくりと揺らした。何も言えなくなって、灰犬はそっと視線を逸らした。

 キュレウは、顔を真っ赤にして怒った。


「ばっかじゃないの!?自分も余裕が無い癖に、余裕ぶって食糧を分けるからそうなるのよ!」

「いやだって、獣人族の子供とか、明らかに少なかったから、つい……」

「そういうのは余裕のある人がやるの!あなたは奴隷で、そんな余裕なんて無かったんだから、自分の事だけを考えれば良かったのよ!」

「あ、はい、すみません。」


 灰犬は、メイドが灰犬達を呼びに部屋を訪れるまで、キュレウにずっと説教されていた。

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