第7話

 部屋で待っていると、夕食が運ばれてきたのだが、一人分しか運ばれて来なかった。


「おい、これ……」


 灰犬が言い終える前に、夕食を持ってきたメイドは何も言わずに灰犬を見下すような冷たい目で見て、部屋を出ていってしまった。

 奴隷の癖に、という見下す思いと、適正者か狂呪具に何か恨みでもあるのか、こびり付いた恐怖と憎しみが込められていた。

 この調子だと毒でも入っていそうだなと思い、鼻を利かせて匂いを嗅げば、水が入っているポットから変な匂いがした。

 灰犬は顔を顰め、額に青筋を浮かべるとポットを取り、水以外の残り全部をエルフの少女に渡した。


「え、これ、あなたの……」

「ああ、大丈夫だよ。昨日も食べてないだろう?」


 灰犬がそう言った途端、エルフの少女のお腹が鳴った。

 顔を真っ赤にしてお腹を押さえるエルフの少女に苦笑し、灰犬は部屋の扉に手を掛けた。

 すると、エルフの少女が慌てて声を上げた。


「待って!あなたのはどうするの!?」


 エルフの少女のその言葉に、灰犬は『蠢く眼差し』を着けながら笑った。


「大丈夫、空腹には慣れているから。」


 そう言って、灰犬が指を鳴らした途端、エルフの少女は目を見開いた。

 灰犬の姿が認識できなくなったのだ。気付けば、そこには誰もいなかった。



 灰犬の部屋に夕食を運んだメイドは、早歩きで厨房まで歩くと、誰もいない所で周囲を見渡し、息を吐いた。


「ふ、ふふ……やってやったわ……」


 うるさく鳴る胸に手を当て、ニヤリと笑うメイド。

 その時、ふと、メイドは机の上にある水の入ったコップに意識が吸い寄せられた。何故だか分からないが、机の上にぽつんと置かれているコップが気になったのだ。

 そう言えば、緊張で喉が乾いていたと、メイドは疑う事なくコップを手に取り、水を飲んだ。

 水が喉を通って胃に落ちた途端、胃から喉にかけて燃え上がるような熱さが走る。


「がっはっ!?」


 口から血を吐き、四肢に力が入らなくなったメイドは床に崩れ落ちた。

 震える声で、床に広がる血だまりを見ながら、メイドは呟いた。


「馬鹿、な、これは、あいつに使った毒……!?」

「そうだね。まさか本当に一服盛るとは思わなかったよ。」

「っ!?」


 バッと、メイドが顔を上げて前を向くと、そこには灰犬が真っ赤に染まった瞳で見下ろしていた。

 メイドは、灰犬がポットを持っているのを見て、どうにかして毒を盛り返したのだと気付き、慌ててポケットの中を探った。


「ああ、これ?」


 灰犬の手に、メイドが探していた解毒薬が握られていて、メイドは震える手で解毒薬に手を伸ばした。

 だが、灰犬は、目の前で、容赦なく解毒薬を握りつぶした。


「人を殺していいのは、殺される覚悟がある奴だけだ。殺した命を、背負う覚悟がある者だけだ。無論、お前もその覚悟はあったんだろう?

 だから、お前は、ここで、死ね。」


 そう言って、灰犬は手のひらに残る解毒薬の残骸を床に捨て、背を向けた。暗くなっていく視界の中、メイドは助けを求めるように血を吐きながら手を伸ばしたが、何故か、通りかかった人は皆、メイドを認識できていないように素通りしていった。

 しばらくして、がっくりと地面に伏したメイドを見て、灰犬は頭を下げると、今度こそ部屋へと戻っていった。





 その日、灰犬は、夢を見た。

 沢山の人が跪いている。その先には、豪華な祭壇があった。

 祭壇の上には、魔方陣の描かれた仮面を着けさせられた子供が横たわっていた。丁度、首から上が、祭壇の向こう側にはみ出るように横たわらせられている。


「神の誕生に、贄を!」


 祭壇の脇に居た老人が、影のように真っ黒で大きな鎌を振り上げた。

 これから何が起こるかが分かって、灰犬は慌てて駆け出した。


『やめろ!!』


 寸での所で鎌の柄を掴んだ……と思ったが、灰犬の手は鎌をすり抜けてしまった。

 振り下ろされた鎌が、子供の首を両断した。


 ザザッ、と視界にノイズが走る。


 また、灰犬は少し血で汚れた祭壇の前にいた。祭壇の上には、また、仮面を着けさせられた子供がいる。


「やめてぇ!!***を返して!***を殺さないで!」


 後ろから女性の声が聞こえて、ハッとして振り返ると、数人がかりで抑えられている女性が、泣きながら、子供に向かって手を伸ばしていた。

 しかし、儀式は止まらない。


「神の誕生に、贄を!」

「いやぁぁぁぁ!!」


 また、子供の首が斬り落とされた。

 祭壇の向こうに落ちていった子供の生首と、その子供に付けられていた魔方陣の描かれた仮面を見て、灰犬は目を見開いた。

 灰犬は悟ったのだ。これは、『蠢く眼差し』という狂呪具ができるまでの過程なのだ、と。


 それから、ずっとその光景が繰り返された。灰犬は、見ている事しかできない。

 何もできないのが悔しくて、灰犬は歯ぎしりした。鎌を持つ老人を何度も引き裂いてやりたいと思った。祈るだけの人達を噛み殺してやりたいと睨んだ。

 また、子供が犠牲になっていく。罪もない、無垢な子供が、また、命を散らしていく。祭壇と仮面が血で染まっていく。


 これで、何回目だろうか。子供の血で祭壇が血で赤黒くなった頃、変化が訪れた。


「神の誕生は近い!この贄で、665人目だ!贄が捧げられれば、あと一人で神が誕生する!」


 そう言って、顔に狂気を貼り付けた老人は、鎌を振り上げた。


「神の誕生に、贄を!」


 そう言って、鎌を振り下ろす。

 その途端、あちらこちらで血の噴き出す音が響いた。

 辺りを見渡して、灰犬は目を剥いた。祈っていた者も、あの老人も、全ての人の首から上が無くなって、そこから血が噴き出していた。

 辺りが血で染まる中、男性のような、女性のような、ともすれば機械音のような声が聞こえた。


「汝らに、救いは無い。すべからく死すべし。」


 祭壇の上に、懐中時計のようなものが浮いていて、それがしゃべっているのだと気付き、灰犬は唖然とした。

 灰犬が唖然としている内に、視界がまたノイズが走ったように砂嵐に晒された。



 灰犬の足元に、大量の子供の生首が転がっていた。皆が、灰犬を見つめている。

 灰犬は、俯くと、ぐっと歯を食いしばった。


「覚悟はしていたさ……大量の子供の生首、贄という言葉、神の誕生というまるで宗教染みた目的……

 でも、でも、こんなのってありかよ。」


 低い唸り声が、灰犬の喉奥から漏れ出す。


「なんの為に、この子達は死んだんだ?ただただ大人が作り出した妄想の為に、罪もない子供達がただ殺されたと?

 ふざけるな。誰がこの子達の死を背負うっていうんだよ。奪った分の未来を、いったい誰が背負うんだよ!?皆死んでるじゃないか!!何の為に、この子達は死ななくちゃならなかったんだよ!」


 握りしめた灰犬の拳から、血が滲んだ。


「世界を綺麗にする?人間が居る時点で、もう取り返しのつかないくらいに汚れているだろう!お前達の願いそのものが、既に汚れているんだよ!!

 それとも何か?神様を創って、救いを求めるのか?その誕生の犠牲に、666人もの子供の未来を奪って?それの何処に救いがあるんだよ!!この子達は、どうやって救われるんだよっ!!」


 牙を剥き出しにしながら、赤く発光する瞳から悔し涙を流し、灰犬は吠えた。

 灰犬はしばらく怒りを乗せて吠えていたが、やがて、がっくりと地面に膝をついて、不思議そうに灰犬を見る子供の生首に悔しそうな表情を見せた。


「俺には……お前達を救ってやることができない……知ることができたのに、俺にはお前達を救う事ができない……むしろ、お前達の死を無駄にしてしまうかもしれない。」


 子供の生首の額に、涙がぽたりと落ちる。灰犬は、悔しそうな表情から一辺、決意を込めた眼差しで、辺りに蠢く、灰犬を見る眼差しを見渡した。


「だから、せめて、俺はお前達の死を背負おう。誰もお前達の死を背負ってやれないのなら、お前達の想いを誰も受け止めないのなら、俺が代わりにお前達の死を背負おう。

 俺には、それしかできないから。」


 灰犬の宣言を聞きながら、額から流れてきた灰犬の涙を、子供の生首はぺろりと舐めた。


「やっぱり、お兄ちゃんは仲間じゃないね。」

「そうだね。お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ。」

「そうやって見てくれたのは、お兄ちゃんだけだね。」

「そうやって受け止めてくれたのは、お兄ちゃんが初めてだよ。」


 不意に、灰犬の目の前に、影のように真っ暗な大鎌が現れた。


「これ、は……」


 それは、子供達の命を奪ってきた、あの大鎌だった。

 目を見開いて鎌を見つめる灰犬の背に、首の無い子供が寄りかかる。その手に持たれていた子供の生首が笑って言った。


「それ、お兄ちゃんに預けるね。私達の最後の贄が見つかるまで、お兄ちゃんが持って背負っていて。

 背負ってくれるんでしょ?」


 そう言って、にっこりと笑う子供の生首に、灰犬は、強い意思を宿した目で、頷いた。

 灰犬は、大鎌に手を伸ばした。

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