第6話

 太った男は、灰犬の隣に立つと、腰を抜かしている男に顔を向けた。


「君、この子は、君の奴隷だね?」

「あ?ああ……」


 訝し気にそう言う男に、太った男が、後ろに控えている従者に顎をしゃくった。

 従者は男の前まで進み出ると、持っていた袋の口を開け、中身を男に見せた。


「……っ!」


 男が、ごくりと生唾を飲み込んだ。灰犬が『蠢く眼差し』で袋の中身を覗いてみると、その袋の中には、宝石やら、白金貨やらがたっぷりと詰まっていた。


 太った男が、そのでっぷりとした腹を揺らして言った。


「どうだい?それで、この子を私に売ってくれないかね?」


 太った男の言葉に、ああ、やっぱりそうなのかと目を細める灰犬をよそに、男は興奮したように立ち上がった。


「も、勿論!売った!」


 男は従者から袋をひったくると、袋の中身を覗いて気味の悪い笑い声を上げた。

 こんなのでも一応主だからと、灰犬が忠告の為に声を上げた。


「ご主人、一応言っておくけど……」

「うるせぇ!てめぇはもう俺の奴隷じゃねぇんだ!ただでさえ薄気味悪いってのに、狂呪具なんてものの適正者なんてもんになりやがって!

 てめえが俺の傍に居たら、命が幾つあったって足りねえ!」


 灰犬が忠告しようとしたのだが、男は灰犬の言葉を遮って、そう捲し立てた。

 隣にいる太った男が、喉の奥で笑っている声を聞きながら、灰犬は確かめるように呟いた。


「本当に、いいんだね?」

「当たり前だ!さっさと俺の前から消えろ!」


 そう言って、追い払うように手を振る男に、灰犬は溜息を吐いた。失望感は無かった。

 灰犬は、隣にいる太った男を見上げて言った。


「あの、一つ、お願いがあるんだけど。」

「ん?なんだね?」


 機嫌良さそうに二段になっている顎を撫でながらそう言う太った男に、灰犬は男をちらっと見て言った。


「あの男が持っている奴隷の中で、売れ残っている奴隷に、エルフの少女がいるんだけど。それも買い取ってくれないかな?」

「おや?恋人かね?」


 灰犬は、鼻を鳴らして、肩を竦めた。


「俺が恋人だったら、彼女がかわいそうだ。

 って、そうじゃなくてね。」


 灰犬は、太った男にだけ聞こえる音量で囁いた。


「あのまま、あの男の元にいたら、かわいそうだから。」


 灰犬のその言葉に、太った男は出っ張った腹を揺らしながら、くつくつと笑って「違いない」と呟いた。


 その後は、契約書を交わし、エルフの少女の件もスムーズに事が進んだ。

 小躍りしながら出口へ向かう男を見ながら、灰犬は新しく主となった太った男に軽く頭を下げた。


「よろしくね、ご主人。」

「こちらこそ、よろしく頼むよ、適正者殿?」


 太った男がここまで機嫌がいいのには、理由がある。適正者には、国から多額の年金が支払われるのだ。適正者が奴隷だったりする場合、その持ち主にお金が支払われる。

 つまり、太った男のよろしく頼むとは、国から金を得るために、『蠢く眼差し』の管理を頼むという事なのである。そして、主人だった男は、それを知らずに灰犬を太った男に売ってしまったのだ。

 あまりにも物知らずな発言をしていたから、この事も知らないと太った男に勘付かれ、そして騙されたのだ。馬鹿な男だった。

 出口に向かって歩きながら、ふと、太った男が振り返って灰犬を見た。


「しかし、私に女の奴隷を、それもエルフを買わせるとは、君も酷な事をする。」


 オークションで、美少女の奴隷を買ったのは、この太った男だ。大抵、そう言う奴隷は性奴隷として扱われる。だからだろう。

 そんな太った男のおどけるようなその声に、灰犬は横目でちらりと見上げ、鼻で笑った。


「ご主人は、そんな事をする人じゃないでしょ。匂いで分かるんだ。

 女を毎晩抱いているような人からは、香水や女の匂いが染みついていて、さらに乱暴する人には恐怖を感じた時に分泌される匂いがこびり付いている。あなたからは、お菓子なんかの甘い匂いや、香辛料や肉の脂の匂いはするけど、そういう匂いはしない。」


 ちなみに、以前の主人だったあの男からは、どっちの匂いもしなかった。あの男は肝心な所でヘタレるから、そう言うのとは無縁だった。

 そんな詮無い事を思い出しながら、灰犬は自分の鼻を指して言った。


「俺は、鼻が利くんだ。犬だけにね。」


 太った男は、灰犬のその言葉を聞いて、愉快そうに手を叩きながら笑った。


 太った男が買った美少女の奴隷を受け取り、外に出て、太った男の豪華な馬車に乗り(太った男が乗った時、みしりという音が馬車から聞こえて不安になった)、男の商館に寄ってエルフの少女を回収し、太った男の屋敷へと向かった。ちなみに、エルフの少女の両腕を繋いでいた手枷は、その場で灰犬が引き千切った。

 太った男はやっぱり貴族で、名前はスデープ・ポッチャリンと言った。聞いた途端吹き出しそうになって、灰犬は笑いを堪えるのに必死だった。

 爵位は侯爵と言っていた。灰犬はあまり爵位には詳しくないのでよく分からないのだが、多分それなりに偉いんだろうなと思った。


 スデープの屋敷に入ると、見た目麗しいメイドがびっしりと並んでスデープを迎えた。

 灰犬とエルフの少女は、夜も遅いからと部屋を与えられた。ちなみに、エルフの少女と同じ部屋である。


「待遇がいいんだか悪いんだか……」


 後で夕食が運ばれてくるというので、部屋にあった椅子に座りながら、灰犬は頭に斜めに掛けた『蠢く眼差し』に触れた。

 手首に残る手枷の痕を撫でながら、エルフの少女が、灰犬を睨んだ。


「あのヘタレから私を買って、どうするつもり?私を犯すの?」


 エルフの少女の声が少し震えているのに気付いて、灰犬はエルフの少女を見て、肩を竦めた。


「どうするもこうするも、あのまま男の所にいたら、酷い目に合うだろうなと思ったからさ。まぁ、ただの気まぐれだよ。

 ああ、俺に犯される心配はしなくていいよ。俺、そもそも体が子供だから、興奮しても勃起しないし。」

「ぼ、ぼっ……!」


 灰犬の言葉を聞いて、エルフの少女は顔を真っ赤に染めた。

 意外と初心なんだなと、灰犬は呑気にそう思った。

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